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飛鳥酒船石遺構と導水施設の全国分布図・三井語源

 
奈良県飛鳥で発見された亀石遺物などを含む飛鳥遺構は導水施設であり、その高台に置かれた酒船石は、導水施設模型であることはもう明白となったと言っていいだろう。
 
 
 
 
 
 
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  飛鳥酒船石遺跡の導水施設 素材は花崗岩
 
 
 
 
 
 
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                  酒船石・手前の水槽から三ヶ所に水を分ける
 
 
 
 
 
平成4年(1992年)に酒船石の北の斜面で石垣が発見され、『日本書紀』の斉明天皇の時代(600年代中盤)に記述される工事に該当する遺跡と推測されている。記述中の「宮の東の山に石を累ねて垣とす」の「宮」が、酒船石の南西にある伝飛鳥板蓋宮跡であり「東の山」が酒船石のある丘ということである。
 
 
以前、このブログでは全国に点在する導水祭祀遺構、遺物の出土例と三点湧水からの導水、三川合流地点の三角状突起地帯での水の祭祀が古墳時代から飛鳥・奈良時代を通して行われたことを解説した。
 
 
では今回はさらにそうした同様の祭祀施設のこれまでに発見された全国分布を見てみよう。
 
◆全国導水遺跡・遺構分布図
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すべての遺構・遺物に共通するのが「樋」と中心に置かれるやや広い水浴遺物(水溜遺構)である。
 
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木造が多いが、石造もある。
 
 
 
 
 
中でも注目に値するのが三重県宝塚古墳出土の遺構モデルの埴輪や八尾市心合寺山遺跡出土の導水施設付き家型埴輪や、群馬県高崎市の三ツ寺遺跡導水遺構や東京都世田谷区野毛の野毛大塚古墳木製導水遺物である。その祭祀形態はみな、水の祭祀による1 祖霊の招来祭祀 2 禊祭祀 などのためにあったと考えられる。
 
 
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◆三点湧水のシステム
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◆その古墳バージョン
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これをミニチュア版にして宮施設内に取り込んだのが飛鳥酒船石遺跡になる。
 
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さらにコンパクトに埴輪にして古墳に納めたのが心合寺山や宝塚古墳である。その被葬者が水の祭祀によって生前、地域の巫覡王(かんなぎおう)だった証拠であろう。
 
 
野毛大塚古墳出土の木樋型石製品を今回は取り上げる。
 
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拡大してみると・・・
 
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酒船石の亜種デザインになっていることがわかる。
 
酒船石遺構は背後の多武峰(とうのみね)にあったとされる飛鳥両槻宮(ふたつきのみや)の一部、あるいは両槻宮への入り口施設としての意味で作られたと学説は言うけれど、斉明天皇伝飛鳥板蓋宮跡であるとする意見も根強い。
 
 
◆三井・御井語源は三点湧水
全国に「御井」「三井」地名はある。「みい」「みつい」などと読む。
一般に三つの井戸があったところなどとも言うが、原点はこの古墳時代あたりから始まった水の祭祀の三点合流・湧水という地形にある。三川合流地の聖地としての意味合いは、当然、女子の陰部の形であったことである。
なぜならそこから子孫が生まれ出るからにほかならない。要するに三が聖数であることは間違いないが、その三つが聖なる数になったそもそもは、三つの流れが作り出す三角形の突出部が祭祀の重要地点なのである。これはのちの水分(みくまり)=分水嶺、あるいは道祖神が置かれることの多い三叉路信仰にもあてはまる。(中沢新一・アースダイバー理論)そして出雲の四隅突出墳における突出もまた祭祀場である。これらは極めて道教思想に近い観念を体現している。
 
ということは、この祭祀のさらに古い源流は弥生時代、縄文時代にまで遡ることtなり、その様式・観念の源流は地域的には中国華北・華南からベトナムドンソン文化、さらには日本人遺伝子の源流であるバイカル湖湖畔の北方系アジア民族のふるさとにまで遡れることとなるのである。日本では先に華南文化の神仙思想が九州から関東へひろまり、あとから華北の道教が畿内中心に広まっている。
 
 
 
 
◆水鳥と鹿と弓の祭祀とデフォルメ・契約する鹿と弓を持つ人
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愛知県朝日遺跡の三点湧水遺構付近からは銅鐸が出土している。(上図上から7番目ブルーの図)
すると銅鐸にはこのような祭祀場鎮撫の意味合いもあって埋められたことがわかるのである。
 
 
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                   水辺のゴイサギ
 
 
 
 
◆水の祭祀と製鉄カンナ流し遺構の関係
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非常によく似た形状になっている炭窯遺構である。
炭窯には水と同じく風を送る導風施設の溝が必要である。
あるいは製鉄遺構のカンナ流し施設でも、溶かした鉄を長大な溝に流して冷まし、中央の炉に集合させる同様の施設が作られた。これらも子供(子孫)としての炭や鉄が中心部から生まれることを女体に置き換える着想観念が工人たちに生まれ、それが民間の「神」ー祖霊信仰につながった。
 
 
◆塩堤との関係
塩もまたカンナ流し製鉄遺構や水祭祀遺構とよく似ている日光による乾燥施設を持っていた。
 
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塩堤の全国分布図(古代~中世)
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◆三点合流地に造営された街
筆者は継体大王山城の宮などは三点合流していた時代の木津川に造られたと考えている。
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このように三角地点は聖地であった。
そしてこの祭祀形態のアイテムの分布こそは、飛鳥時代のやっと芽生えた大和朝廷の版図だったと考えてかまうまい。もう一度分布図を見られたい。
 
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東は北関東~西は豊までがその版図である。筑紫はこのときまだ、中央祭祀を模倣する完全なる臣下足りえていなかったのではなかろうか?
 
参考資料 森浩一編『春日井シンポジウム 水とまつりの古代史』大巧社 2005
 
 
 
 
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