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クラとポトラッチ/新しい経済共同体社会をまさぐる

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【クラ(kula)】

マリノフスキー
『西太平洋の遠洋航海者』(1922)



クラでは何が行なわれているのか?

・それは、

トロブリアンド諸島の交換(交易)ネットワーク
のこと。

マリノフスキーとクラ




クラ航海のカヌー



・誰もがクラに参加できるわけではないし、勝手に交換してはいけない。

・隣の島の人びととクラを行うために、カヌーの船団を組織して、危険な航海を成功させなければならない。

・出発の際には、安全祈願の呪術を行う。

・交換される財(ヴァイグア)は二種類。
・特別なヴァイグアを所有することは名誉であり、危険な航海をともなうクラに参加することが、
英雄的な行為として認識されている。

・それは「交換のネットワーク」であると同時に、信仰や儀礼、神話や物語、信頼や名誉などが
埋め込まれた複雑な関係でもある。

・クラで交換されるヴァイグアは、貨幣のような働きをするが、けっして貨幣ではない。

クラ交換(交易)は、取引であっても、売買ではない。


⇒クラは地理的広がりからいっても、その構成要素の多様性からいっても、極度に大きく複雑な制度である。

それは多数の人びとを結びつけ、たがいに関係しあった諸活動の巨大な合成物をその内容とし、こうして一つの有機的全体を形成する。

クラは、財の交換(交易)という経済活動というだけでは捉えることができない。

それは、島と島を結ぶ社会秩序の形成と持続の機能も果たす制度でもあるのだ。


まとめ

トロブリアンドでは、交換(交易)は、呪術、威信、冒険などの社会活動からは切り離されない。

それは、利益を得るために行われる独立した経済活動ではない

http://www2.obirin.ac.jp/okuno/CA15.html
 
つまりクラとは勇気の代償である。名誉とか金メダルといえばよいだろうか?
勇敢な行為を達成できたものに対して、貝輪という貨幣価値のある宝物が与えられる。
だからと言ってその貨幣は、私たち貨幣経済社会に生きているものにとってのモノと交換できるシロモノでもない。
 
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名誉を得るための大きな祭り=イベントそのものが村の価値観であり、政治であり、それが村人を結びつけ(まるで高校生の文化祭のための集合する組織のような無償のパッションに似ている)、組織を作り出し、そうした構造の中で衣食住も助け合う(東北人の日常のように、食べ物を分かち合い、価値観や悩み事をも分かち合う)生活様式。
ただし、貨幣経済社会におけるシェアハウスのような、小さな助け合いやお金に関わらない非利害関係=形骸的な悩みの分かち合い=キズナではなく、全生活におよぶ人生の絆による生き方。
 
 
例えばモンゴルなどの遊牧民や縄文人のような、貨幣による経済ではなく自給自足が完全に存在する古代・未開社会でしか存続は不可能であろう形態だろうか。
 
 
 

【ポトラッチ】


・アメリカ北西太平洋岸のトリンギット、
ハイダ、チムシアン、クワクワカワク
などの集団



クワキウトル(クワクワカワク)の舞踊



クワキウトルのポトラッチ





・ポトラッチとは、
子どもの誕生、首長の就任、
葬儀などで、近隣部族を招いて大量の財をふるまう習慣

 =
競覇的贈与

・贈与をおこなうさいのモットー
気前のよさ、寛大さ

・食料や毛布などを提供することで、贈り手の威信が高まる。

贈り物を受け取った相手もうかうかしていられない。

受け取ったもの以上のものを送り返して、
自分の威信や面子を保たなくてはならない。

・人びとは、威信や面子を高めるためにより大量の財を贈る。

受け取った相手はまた贈り返す。

贈り返された相手はまた・・・
そのうち、お返しを期待していないことを示すために、
持っている財を破壊する。

すると、相手は、より以上の財を破壊する。

それを見た相手はまた・・・

ヒマラヤスギの皮から作った強力な糸で織ったブランケット、沢山の飾りをつけた篭、毛皮、服を贈ったり、破壊した。
貴重な魚油を燃やして、豊かさをひけらかすこともあった。
棒で奴隷をなぐり殺して、その数を競い合ったことも合った。
一人の女性が何ヶ月もかかって織り上げるブランケット4000枚以上の値打ちがある、所有者を守護する銅版を破壊し、海に放り込むこともあった。
それを見た者たちは、「おお、あの首長はなんて気前がいいんだ!」と感動した。



ポトラッチ
を行うような
人間の心性とはどのようなものか?
 




ジョルジュ・バタイユ



エミリー・ブロンテ、ボードレール、
ミシュレ、ウィリアム・ブレイク、
サド、プルースト、カフカ、ジュネを
取り上げて、文学作品とは、邪悪の極限に
迫ることだと論じる。






 『呪われた部分』

経済活動を人間の生命活動の一環とみなして、
人間は過剰なエネルギーを
「蕩尽」する、
熱狂的な動物であると考えた。

蕩尽
(consumation)とは、
  
エネルギーを溜め込んでおいてから、
あるときに一気に破壊して、目くるめく陶酔を味わうこと


  
セックス、死、戦争、経済
・・・は、
その意味で、
人間の「呪われた部分(la part maudite)」という
本性から湧き上がる活動
なのである。

贈与は、たんに、金銭・物品などを
贈り与えるだけの行為ではない。


そうした行為を含む経済行為は、
人間の本性と関わる行動なのである。
 
 
いわゆる貨幣交換とか物々交換によらない贈与による経済社会?
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
さて、東北大震災以来、東日本を中心に新しいキズナへの欲求、新しい共同体へのあり方が問われ始めている。これまでの西欧型資本主義経済に親しんできた先進国の人々が、今すぐにこうした古代未開社会の金銭なき生活を始められるかというとかなり難しい。金銭による交換社会に染まるのは簡単であるが、そこから抜け出すにはその国家の政治・経済体系のすべてを変えるリボリューションに成長させねばならなくなる。世界の流通から隔離された世界でならそれは可能であるが、日本は世界経済の流れの中にすでにどっぷり浸かっている。
 
こうした日本の中では、特異な日本的な助け合いが残存している地域がある。東北である。
東北人の「もちより文化」は縄文的な野生の思考の残存だと言える。
大震災、原発事故があった福島海岸部に、ようやく一年経ったばかりで、もう首長が「復帰宣言」を出したり、汚染した故郷に早く戻りたくてしょうがない心根の源は、おそらく、もともとこの地域にある互助社会の影響からにじみ出るものではなかろうか。
 
困っていたら大鍋に煮物をたっぷり入れておばちゃんが持ってくる。そういう自然の助け合いの心理は、東北の厳然として厳しい環境なしには生まれてこないものだっただろう。助け合わねば生きていけないから、誰かが困ったら、もうやもたてもたまらずやってくる人がいる。そして互いに生活を補い合う。
 
そういう東北の野生の志向を、果たして弥生人である現代日本人が真似できるか?
稲作によって安定社会を古代から営んで来た西日本人に真似できるか?
阪神淡路のときにそれは成立した。異常事態で成立した。しかししかしそれが西日本全体にまで及んだ痕跡はない。
 
つづく
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