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84歳にして新著を出した大和岩雄氏『神と人の古代学 太陽信仰論』2012から編集
それぞれの壁画に描かれている渦巻きや円はすべて人や船につながっているように描かれている。
大和岩雄はこれらをすべて渦巻き・円紋=太陽=魂であるとしている。
1 は魂だろう。人物の祖霊のように見える。それが渦巻き=永遠の命という意味ではないか?
2 は珍敷塚古墳装飾。太陽に見えるが、なぜかもがり船とつながっている。
3 ももがり船である「太陽」はウロボロスの蛇で囲まれていて、太陽というより永遠の魂に見える。
2と3の船はともに舳先に黒い鳥がいて、一目でこれがもがり船だとわかる。また船には先が丸くなった柱のようなものがともに立っており、空の「太陽」はその柱につながっている。
問題はその柱のようなものである。
これは何か?
モンゴルからバイカル湖、またカスピ海周辺にはスキタイや匈奴が立てたポール墓という柱が立っている。地下には子供の屍骸が埋められている。その屍骸の多くはこれまで、砂漠の小動物によって食べてしまわれるのでほとんど出土がなく、墓だとは思われていなかった。ところがある地域で遺骸が出たことでポールが墓だとわかった。
夭折幼児に祖霊が宿るという死生観が、上記したアジア北部のステップ地帯に広がって、それは西アジア、バルカン半島とアジアをつないでいる。これがスキタイ民族の信仰である。そして縄文時代の日本でも、類似する石柱や木の柱が出る。だから縄文の死生観は西アジアから北周りできた民族の子孫であるかと思える。
柱に魂がやどる・・・。
降りてくる。という思想であるか?
するともがり船に立てられた柱もそういう「寄り代」ではあるまいかと気がつく。
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宝塚古墳出土船形埴輪に立つポールとV字型柱とキヌガサ
キヌガサは王族の印
Y字型石版は魔よけ、持衰の代わり
では左端のひときわ高い柱はなんのために?
太陽は祖霊のいる場所であり、そこに黒点があるのは黒い鳥として「太陽の使者」として死人の魂を運ぶ。
そして太陽にいる祖霊の霊魂をくわえて持ち帰り、新生児に降臨する。つまりヨミガエリの死生観である。
魂魄が引き継がれれば、それは不可能なはずの永遠の実現なのだ。
永遠の生はひとりの個人では達成不可能だ。しかし霊魂をつないでいけばそれは永遠に生きることと=になる。
血脈の永続である。
自然界で種が存続するとはそういうことである。
しかし科学では、その長い時間をつないできた種も、いつか必ず絶滅することがわかっている。そのように科学とは、客観性とは常に冷酷である。だから主観に生きる人々と、科学に生きる研究者との間には、ある種の言質によるトラブルが起きることも多い。「なぜ、そんな冷酷なことを平気で言えるのか、この罰当たりめ!!」という具合である。しかし現実はそうなのでしかたがない。
確かに、主観的考え方には科学的整合性はない。
しかし、そこには血脈への不合理に嘆く共感と、明日へ向かうための通過儀礼としての葬儀が生まれる余地があった。ひとつの区切りが必要だった。だから葬送儀礼は世界で大きくは違わない。悲しみは共感された。
太陽が生物に生命を与えることは古代人が、共通してどこでも夏至や冬至の日光を意識して墓を作ったことでわかる。日光の持つ霊的生命力が死者、あるいは新生児にいのちの息吹を与える・・・という日光感精神話も世界中にある。太陽光が夏至に差し込んでくる墓室も世界中にある。
それが渦巻きという永遠性ある絵柄に交差したのが円紋であろうか。
ウロボロスの蛇の絵柄はインドのヒンドゥ教で使われる哲学観念であるが、それがエジプトにまで伝わったのか、そうでなくエジプト人も同じことを考えたのかどちらであろう?
その共通観念を世界中に運んで行った人々がいたのだろうか?
いや、筆者はそれは海をつないで、伝わっていくものだと考える。
つまり海洋民族が出会い、伝播していき、淘汰され、結果的に非常に似た観念に仕上がった。
要するに人類の思いには大きな相違が無いと思えるのである。
諸氏はいかがでしょうや?