●和歌山県隅田八幡人物画像鏡銘文
癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟
大意
癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月十日大王年、孚弟王(男弟王か?)が意柴沙加(おしさか)の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直(かわちのあたい?)、穢人(漢人)今州利の二人らを遣わして白上同(真新しい上質の銅)二百旱をもってこの鏡を作る。
癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月十日大王年、孚弟王(男弟王か?)が意柴沙加(おしさか)の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直(かわちのあたい?)、穢人(漢人)今州利の二人らを遣わして白上同(真新しい上質の銅)二百旱をもってこの鏡を作る。
●癸未年八月(みずのとひつじ)
この西暦年は443年と503年の二つの説がある。どちらが正しいのだろうか?
この西暦年は443年と503年の二つの説がある。どちらが正しいのだろうか?
●百済武寧王(むねいおう・斯麻王・日本語読みぶねい)
462年~ 523年の人。
在位:502年 ~ 523年
462年~ 523年の人。
在位:502年 ~ 523年
●継体大王
450年?~531年3月10日?。
在位は507年3月3日?~531年3月10日?
450年?~531年3月10日?。
在位は507年3月3日?~531年3月10日?
●大日下皇子(大草香皇子)
?~454年?
?~454年?
●意柴沙加(おしさか)の宮
これは忍坂宮である。
允恭天皇のとき,皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ),つまり雄略天皇の母のために設けられたという宮で、「刑部」が置かれたので「おしさか」=「おさか」=「おっさか」=「おほさか」となる。皇后になったのは454年1月28日である。従って計算上は、画像鏡紀年が443年だとまだ忍坂宮は存在しないはずである。これも503年説を後押しする。
これは忍坂宮である。
允恭天皇のとき,皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ),つまり雄略天皇の母のために設けられたという宮で、「刑部」が置かれたので「おしさか」=「おさか」=「おっさか」=「おほさか」となる。皇后になったのは454年1月28日である。従って計算上は、画像鏡紀年が443年だとまだ忍坂宮は存在しないはずである。これも503年説を後押しする。
また、画像鏡銘文の「斯麻」が武寧王であるなら、やはり443年説は消えることになる。
すると503年なら即位前の継体大王が銘文の男弟王に該当し、読み方は「オヲド」となるわけである。
従って故森浩一がとなえた日十大王=日下皇子説はかなり不利である。443年説も分が無い。
すると503年なら即位前の継体大王が銘文の男弟王に該当し、読み方は「オヲド」となるわけである。
従って故森浩一がとなえた日十大王=日下皇子説はかなり不利である。443年説も分が無い。
数字上はそうなる。
では503年なら継体大王はどこにいたかというと、
あくまで『日本書紀』が正しいとするならばの話、
「506年に武烈天皇が後嗣定めずして崩御したため、大連・大伴金村、物部麁鹿火、大臣巨勢男人らが協議した。まず丹波国にいた仲哀天皇の5世の孫である倭彦王(やまとひこおおきみ)を抜擢したが、迎えの兵士をみて恐れをなして、倭彦王は山の中に隠れて行方不明となってしまった。そこで、次に越前にいた応神天皇の5世の孫の男大迹王にお迎えを出した。男大迹王は心の中で疑いを抱き、河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)に使いを出し、大連大臣らの本意を確かめて即位の決心をした。翌年58歳にして河内国樟葉宮(くすばのみや)において即位し、武烈天皇の姉(妹との説もある)にあたる手白香皇女を皇后とした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87#.E7.94.9F.E6.B6.AF
のであるから、近畿どころか、まだ越前にいたことになり、合わなくなってしまうのである。
では継体は本当はどこにいたかが問題になる。
もし忍坂にいたのなら、『日本書紀』はうそを書いたことになる。
もし忍坂にいたとしても、ではなぜ斯麻王が忍坂宮の継体に贈った鏡が、和歌山県の神社に伝わったかがまったく不可解である。
もし忍坂にいたのなら、『日本書紀』はうそを書いたことになる。
もし忍坂にいたとしても、ではなぜ斯麻王が忍坂宮の継体に贈った鏡が、和歌山県の神社に伝わったかがまったく不可解である。
また「白銅」を持って作ったはずの鏡が、なぜ青銅鏡なのかも不可思議。
問題はこの鏡が倣製=コピーで、しかも踏み返しによって人物画像が上から乗せられていることだろう。
森浩一はその技法は武寧王陵から出土した方格規矩四神鏡(宜子孫獣帯鏡)の上に踏み返されて置かれた獣帯模様の技法とよく似ていて、共通性があると主張した。だからこの鏡の斯麻は斯麻王で武寧であるとなるのだが、武寧であるなら大日下皇子とは年代が合わなくなってしまうのである。
武寧王鏡
方格規矩鏡の上に獣帯絵柄を乗せてある
隅田八幡鏡
神獣鏡の上に人物画像が乗せてある
ならば大日下皇子の時代を60年下げればどうなるのか?
『古事記』の大日下皇子は『日本書紀』では大草香皇子 (おおくさかのみこ) であるとされ、ともに仁徳の子である。
母は髪長媛(かみながひめ)。妻は中蒂姫命(なかしひめのみこと)(のちの安康天皇の皇后)。子に眉輪(まよわの)王。安康天皇元年天皇が大草香皇子の妹草香幡梭姫(くさかのはたびひめの)皇女と大泊瀬(おおはつせの)皇子(雄略天皇)を結婚させようと,根使主(ねのおみ)を派遣した。大草香皇子はよろこんでうけたが,根使主がいつわりの報告をしたため天皇に殺された。「古事記」では大日下王,波多毘能大郎子(はたびのおおいらつこ)。
彼のための名代部が日下部であるとされる。
波多は海人族を指すので大伴氏靫負部だった日下部のことだろう。生駒山麓日下地名はそこから出たのであろう。その日下には物部氏の祖であるニギハヤヒを祭る石切劔箭神社がある。日下江は縄文海進時代の難波の最深部にあった港である。だから西から船で難波に着いた船はまずここに到着したことになる。日下部は尾張氏・海部氏・物部氏・宗像氏ら大和河内先住海人族のひとつである。すると『日本書紀』の言う大日下皇子のための日下部は最初から日下に存在しており、それが河内で作られた集団であるという記紀主張は、考古学上、日下部の痕跡である靫負装飾が登場するのは5世紀中盤となり、九州人吉で5~6世紀。日田で6世紀であるからほぼ正しいことになる。つまり日下部集団が物部ら海人族とやってくるのはないことになり、少なくとも日下部は河内の日下で作られ、大日下皇子死後、各地に派遣されていったことになる。
となるとニギハヤヒ集団の九州からの、神武より古い時代の東征という旧事紀の記事も疑わしくなってしまいかねない。
●日本史は「キセル史学」?
ここは記紀の年代観がやはりこねくりまわされたと見るのがいいように感じる。
つまり応神~武烈までの河内王朝(中王朝)の挿入年代がずれている可能性である。
言い換えるなら、宋書に河内王朝を充当させようとしたが失敗しているということになろうか。
つまり応神~武烈までの河内王朝(中王朝)の挿入年代がずれている可能性である。
言い換えるなら、宋書に河内王朝を充当させようとしたが失敗しているということになろうか。
この問題は永遠の謎であるにも関わらず、日本史の古墳から飛鳥への画期を語る最重要な課題であり、にも関わらず迷宮入りしている大問題。
逆に考えれば、日本史の飛鳥以前・・・つまり天武天皇以前は実はほとんどすべて謎だという証明でもあるだろう。文献上の「日本史」は天武以後の、わずか1300年間しかないのである。
それ以前の倭国の歴史はほとんど未明のまま。むしろ縄文時代の方がどんどん明確化されているという「キセル歴史学」なのである。
そもそも開中費直で「かわちのあたい」でいいのか?
孚弟王がなぜ男弟王でいいのか?
斯麻がなぜ斯麻王なのか?
やっぱりこの国の史学は文学部に置かれた主観的、詩的なSFでしかないのではないか?
学者が勝手なオデッセイのシナリオを書いている。
それで歴史観がきまっていく・・・。
不可解。
明治政府の亡霊が作った皇国古代史観が畿内にはまだ潜んでいる
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