本日、二百十日/越中おわら風の盆・古代「風鎮祭」
立春から数えて二百十日めである。 二百十日は台風襲来の特異日とされ、奈良県大和神社で二百 十日前3日に行う「風鎮祭」、富山県富山市の「おわら風の盆」など、各地で風鎮めの祭りが執り行われる。...
View Article殺っておきながら異常にきを使う日本人・それが日本古代史の原点
さて、このように見てくるとわれわれ日本人の霊的観念の造り上げ方には、ひとつのパターンがあることに気がつくはずだ。 日本人の矛盾にあふれる生き方の答えがここにある。 残虐無道に蘇我入鹿は斬首された。その断罪には冷酷で、科学性がある選択だったはずである。ところが、時がたつと、その霊魂が宮に顕れたという噂が出るようになり、手のひらを返すように「畏れ」を口にする。...
View Articleそがのいるか~~~? のCMは傑作であることについての薀蓄
このCMは頭にこびりついて困る。http://youtu.be/V0O5R_wJKTg 史上、頸を切られた叛逆人と断罪された蘇我入鹿を、CMに使ったというのが、まず肯首に値する。 素晴らしい快挙と言える。 ま、とにかくおもろい。 そんなのいるか~~~?この記事いるか~~~? それがいるのやなあ。 ぷふふふ 笑える。 PUHUPuhuuuu・・・・・・...
View Article生野と号くる所以は・・・/荒ぶる障壁神・境界神を科学する
「生野と号(なづ)くる所以(ゆえ)は、昔、此処に荒ぶる神ありて、往来の人を半ば殺しき。此に由りて、死野(しの)と号く。以後、品太天皇、勅りたまひしく「ここは悪しき名となす」とのりたまひて、改めて生野(いくの)となせり」 『播磨国風土記』神前郡地名の悪名が良名に変えられる実例である。 皇學館大學の橋本雅之は、以上の風土記地名説話を「生野説話」と名づけてその特異な障壁神を語る。...
View Article想定不可能な災害など歴史上の記録からは実はありえない・台風
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View Article装飾古墳画像公開ファイルの復活のお知らせ
Yahoo公開ファイルに装飾古墳コレクションが復活しました。以前までYahooフォトアルバムで公開していたファイルですが、一年間ほど移動するのを忘れておりましたら、ヤフーさんが自動的に別アカウントの未使用公開ファイルの方へフォトアルバム終了で自動移動してくれていました。 装飾古墳画像コレクション(要Yahoo!ID)...
View Articlewhat a wonderful world!
http://youtu.be/mVw5HKanadw 縄文海進を観た このアイロニーに富んだ世界 人の英知などと「軽口」だと知った。 しかし日本人は笑い 福島に比べれば、がんばれば元に戻せると けなげにもまた立ち上がる 人 いとおしきもの がんばれ復興!! Kawakatu’s HP...
View Articleヤマトタケル天皇
『常陸国風土記』だけはヤマトタケルを天皇として数々のエピソードを記録している。 「倭武天皇の威武に人々が服したので天皇と称した」(西野宣明)「多くの東国来訪したタケル=勇者をひとりの天皇として擬人化した」「常陸国の壬生氏が自前の皇子をヤマトタケルにしたてて天皇とした」...
View Article物部守屋の遺骸は打ち捨てられたか?『日本書紀』「もちあげ」と「おとしめ」の思想
播磨国風土記印南郡 「原南有作石 形如屋 長二丈 廣一丈五尺 高亦如之 名號曰 大石 傳云 聖徳王御世 廄戶 弓削大連 守屋 所造之石也」 原の南に作り石あり。形、屋の如し。長さ二丈(つえ)、廣さ一丈五尺(さか、尺または咫)、高さもかくの如し。名號を大石といふ。傳へていへらく、聖徳の王の御世、弓削の大連(ゆげのおおむらじ)の造れる石なり。...
View Article印南地名 播磨稲日大郎姫 いなび・いなみ 犬並
石の宝殿のある高砂市を含む印南郡はもと「いなびのこほり」である。 「いなび」がつづまって「いなみ」「いんなみ」。 そのいなびとは「稲日」である。芦屋道満・宮本武蔵・山片蟠桃出身地。稲日野(いなびぬ)も行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ 柿本人麻呂 「播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ、生年不詳 -...
View Article月夜よし/芋名月
月夜よし 川音さやけし いざここに 行くも行かぬも 遊びて行かむ (万4-571) 大伴四綱か? つくよよし かほとさやけし いさここに ゆくもゆかぬも あそひてゆかむ 都へ発つ人も、発たぬ人も、ひととき川音もここちよい今日の月を見て遊んで行かれよ。...
View Article文字刻んだ最古の須恵器 能美・和田山古墳群の気になる釉薬?
石川県能美市の能美古墳群にある国指定史跡「和田山・末寺(まつじ)山古墳群」から出土した古墳時代中期(5世紀末)の須恵器2個に、「未」「二年」の文字が刻まれていたことが分かり、同市教育委員会が19日、発表した。文字が確認できた須恵器では国内最古という。...
View Article播磨国風土記の書写「孤本」という問題点
これは橋本雅之も書いていることだが、『播磨国風土記』には写本がひとつしかないという点である。これを「孤本」という。古代の記録や史書はすべてが原本が消失し、あるのはすべて写本であるが、いずれも複数写本があって、比較検討が可能である。しかし播磨国の古風土記だけは三条西家本を原本とする複数書写本しかない。...
View Article風土記(古風土記)
風土記とは和銅六年(713・元明朝)五月に当時の国内各国にその地方の様子を詳細に記録し、天皇に差し出すように発令されて、各地で編纂された地誌、日本志・日本書。『古事記』成立翌年に発布された。(続日本紀)一般的に「播磨風土記」「出雲風土記」などと「国」を省いた言辞が使われているが、後世の新撰された風土記と区別するために、学術書では正式には「国」を入れる。 その内容指示は、 1...
View Article日十大王解釈の難解さ 大日下皇子と日下部集団 「日本の歴史学」はキセル史学
●和歌山県隅田八幡人物画像鏡銘文癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟 大意 癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月十日大王年、孚弟王(男弟王か?)が意柴沙加(おしさか)の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直(かわちのあたい?)、穢人(漢人)今州利の二人らを遣わして白上同(真新しい上質の銅)二百旱をもってこの鏡を作る。...
View Article筑紫は「ちくし」か「つくし」か
筑紫これを最古では「つくし」と読む。というのがこれまでの常識で、本当はどう読むのかについて言及した真摯な研究が無い。 筑紫の最古の文献登場は、『隋書』東夷伝の「俀」国伝である。ここには「竹斯国」とあり、これを「つくしのくに」と読むように日本の研究でではこれまで言われてきた。それでいいのだろうか?...
View Article仏をなぜ日本語は「ほとけ」と言うのか?
「「仏」をホトケと呼び始めたのは、どうやら物部守屋(もののべのもりや 弓削守屋とも ?~587)という人であったという。この人は神道派であり、政治的に対立していたのが、仏教擁護派の蘇我馬子(そがのうまこ=?~626?)や厩戸皇子(うまやとのみこ 後に聖徳太子と呼ばれる 574~622)であったという。...
View Article全国天皇陵・参考地の分布図
明治政府宮内省が陵墓、陵墓参考地だとしている日本の都府県である。古代史愛好家諸氏は、この分布図を見てどう思われただろうか?ちょっとおかしいのじゃないか?と感じなかっただろうか?天皇とは大和あるいは近畿地方に墓があるはずではないのか?そういう素朴な疑問に対して考古学者松木武彦はこう解説している。...
View Article上田正昭・帰化と渡来本義
まずは駆けつけワンクリック!! 日本ではじめて「帰化人」という言葉を著作に使ったのは上田正昭である(『帰化人』中央公論社 1965 昭和40年六月)。 それまで「帰化人」という言葉は世間一般でも学界でも、「なんの疑問もなしに使われていた」。それが「渡来人」に代わったのは朝鮮人作家の金 達寿(キム・タルス/キム・ダルス、김달수、1919年11月27日 -...
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