Quantcast
Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

十一/職能民の絵文字

$
0
0
 
 
 
 
           (十 一)
 
 
 
 
 
 
 
この絵文字はある職能者の外見特性を示す符牒であると筆者は考えている。
さすがに往古に( )記号はない。
ただの地名で「十一 じゅういち」なのである。
民俗学の分析で、これは鍛冶屋を示していると筆者は考えた。
製鉄氏族というのは、世界共通で「片目」なのだ。
だから十一もまた、片目を表す漢字を使った絵文字なのではないか・・・。
 
今から約十年前、大分県竹田市にあるこの地名に出くわした筆者は、十一バス停の次のバス停が「鍛冶屋」であることに気づいた。そしてここの地形が北西から南東へゆるやかに下ってゆく「風の通り道」であることを知った。戌亥~辰巳の方角とは、季節風の通り道である。そうした扇状地に、古代から、多くの野だたらが作られたのは、出雲に限った話ではない。
 
鍛冶屋がたたらを見つめて三日三晩も火を絶やさぬように火の守をしなければならないことは、製鉄と古代史を知るものなら必ず知っている話である。
だから片目が火の粉で傷つくのである。
 
日本の村落の中で、伝承がある。
「頭屋」「とうば」というものが登場する祭りである。
鍛冶屋、製鉄にとって死者は縁起がよいとされ、生贄としての人身御供神事で、捉えてきた人質の片目を傷つけ、片足を傷つけ動けなくして、一年間、かこいものにしたあげくに、殺して神に捧げたのである。
風土記に多い、こうした記述は、要するに片目・片足とは中国太古の夏王朝の禹王が、いざりで片目だったことに由来した、道教的鬼道の流れを汲んでいると思われる。
 
いわゆる大和で言えば「穴師」、諏訪で言う「薙ぎ切神事」などと同根の儀式を鍛冶屋はモンスーンの頃に行ったらしいのである。
 
 


 
 
<地形>
 久住連山から南東へゆっくりと降りてゆく稜線上の国道沿線。両側は谷になっており、西側は「川床」地区で大きな川・玉来川(たまらいがわ)が流れる。この川はやがて県下最大の大野川に合流。合流地点から竹田市市街地、豊後大野市、県都大分市丹生地区へ流れ出す。背後は高千穂の峰とも言われる祖母傾山系が遙拝できる。東側は複雑な地形の棚田がいくつも作られ、それぞれ細い道。その先に小部落がある。久住連山が吹き下ろす風はこの東側傾斜地を一気に駆け下りると思われる。10~11月頃の「おろし」はいわゆる秋の季節風・モンスーンである。若尾五雄『黄金の百足鉱山民俗学への道』によれば、たたら製鉄は開始時期はこのモンスーンの吹く11月であったと書いている。

中世から歴代の領主たちが大切にしてきたこの地域でも最も社格の高い城原地域周辺(城原は「きばる」と読み、近隣には鬼原地名もあるところから、本来は鬼原かと思える。)

西側の玉来川の名称は、この川からある種の玉が採れた、あるいは水源のある熊本阿蘇地方からの新技術、新文化の到来を思わせる。はるかなる祖母傾山系は多くの鉱物を古代から産出する。また北部に白丹温泉があり、白い丹という矛盾した名前は温泉成分である硫酸塩素、炭酸塩素を意味するか。

久住連山は九州最高峰で、その中の硫黄山は今も有毒ガスを排出する。この硫化鉱脈を抜けて潤島川(うるしまがわ)、久住川などが南下、地域名は朽網。漆職人、木地師の存在を感じさせるこの川の名前は連山反対側のK町の氏族である漆間氏を排出したか。
また朽網氏の氏族名は硫黄成分の多い久住水系の水が臭いことから「臭み」がなまったものと郷
土史では定説化している。

玉来川西地区は建築、土木、石工、造園などの技術業種が点在し、多くの横穴古墳が見られる。ゆるやかな上り坂の上には奈良に染料を提供し、貴族婦女子に尊ばれた「紫草の里」という部落があり、やはり横穴墓群とむらさき八幡宮がある。紫草栽培は現在、サフラン栽培に移行したが、紫色の花で高額な植物という点では同じ。サフランは食用と薬用。

国道東側で最大の古墳は5世紀の帆立貝式前方後円墳「丸山古墳」。西側では少し南に離れるが
禰擬野の七つ森古墳群がある。ここは景行天皇が土蜘蛛を祭ったところ。
バス停は道の駅竹田を過ぎて上がってゆくに従い、上鹿口、下鹿口、十一(ここは梶の迫地区とい
う)、紙漉、地蔵堂、城原(城原小学校に景行天皇行宮跡)、轟、かじや。

民俗学者たちの研究に寄れば、鉱山開発者と運命共同体のように付きそう者たちには、飯炊き(かしき)、たたら師、鍛冶屋の他に、杣、番匠、ろくろ木地師、香具師、指物師、石工、農業従事者、仏師、白拍子などがあるといわれている。つまり、一箇の町そのものが鉱山周辺、たたら周辺
にはできてゆくと言ってよいだろう。生産が安定するとやがて大きな神社もできあがり、鉱山などでの死者を埋葬する仏閣(たいがいが禅宗か真言・天台である)ができる。

城原周辺はその後も大友、緒方、志賀、中川などの諸氏が相次いで入り、それぞれ城原神社に厚い信仰を寄せてきた。また島津氏も豊後攻めのさいにまずここへ入ってもいる。

こうしたことから竹田市一帯を含める大分県南部の広範囲が、古代から重要な地点にあったことがわかって来た。過去、頼朝の不審を買った義経が、まず竹田の岡城に籠もろうとした時、それを迎え入れたのは豊後大神氏の末裔・緒方三郎惟義であった。岡城は義経を匿うために惟義が築城したのである。

豊後大神氏もまた製鉄、鍛冶の氏族である。



十一地名がなぜ?から始まったこのフィールドワークで、この地域の職能民定住が見えてきた。

酒造業、紙漉、鍛冶、景行天皇行宮跡などなどの点在。かつ、武士たちが必要とした土地であっ
たことから、この地域はあきらかに刀鍛冶、農具鍛冶がいたはずであり、その地名が轟という槌撃
つ響きを地名とし、十一という「片目」=たたら鍛冶を連想させる地名として残ったと考える。
鍛冶神はたたらの火を三日三晩見つめ、飛んでくる火の粉で多くが目を痛めるという鍛冶職人そ
のものを表している。「一つ目小僧・その他」柳田國男。
また鍛冶職は時として歳神とされ、トウバ(鍛冶)たちから片目を傷つけられ片足を折られ動けなくされ、一年を災厄よけの神として食をまかなわれる行為が全国的に見られる。

そして年度が終わったあと、豊穣にかげりがあったり、村に災いがあった場合「鬼」とされ、秘密裏に殺害され、やがて祟らぬように神として再び神殿に収められたと思われないだろうか?

神の鳥居はおしなべて坑道(間歩)の木組み構造に似ており、その連続が事故の災いを防止する。それこそまさに福の神ではないか。福の神とは「吹く」風。それは11月の「息吹」「伊吹」「伊福部」となった。ひょっとことおかめの「おかめ」は時に「お多福」であるが、「おふく」地名にはこの吹き下ろす風への信仰が反映されたのではなかろうか。伊吹山、息長氏、伊福部氏などはすべて鉱物開発、たたら操業に関わる名称であろう。八幡神も鍛冶神であった。

2006年10月28日  かわかつ



T市のバス停巡りはさらに発見へとつながった。

まず地名で追ってゆくと、城原八幡神社からバス停轟木を経て国道へ出ると、いきなり「かじや」バス停が。
ここからまた農道へ入り福原へ。福原には木原山があり、広大な裾野は風が舞う盆地となっている。ほうれん草の出荷場を過ぎると道が二股になっており、一方は木原山への登山道で鉢山部落がある。片方は急激に降りてゆく坂道で、久住山から流れ落ちてくる急流・久住川にへばりつくような温泉のあった村。
ここも鉢山という。

下の鉢山からは御影石が出るため、岩盤が固く容易には鉱脈へは届かないそうである。上の鉢山は炭焼き部落だったことがある。
木原山の「きはる」こそが城原八幡の元の地名だろう。
この山をくるっとまわると雉子が原という場所で、おそらく木地師がいた山村である。その道を抜けて県道へ出て行くとTV塔が立つ三宅山に出る。

三宅山とは妙見山の別名であろう。みょうけんが訛って三宅となる例は多い。吉田東吾はまったく反対に解釈し、三宅が訛って妙見となったと「日本地名辞典」に書いてしまっているが、かわかつは逆だと思う。

残念ながら道路が壊れて通行止め。しかし、木原山は頂上までかろうじて登れた。なにもない。草某々で上がれない。
三宅山をあきらめてから、疣水へ。イボが治る水が湧いたところで、郷名はなんと鬼田である。手前に立石バス停。
阿鹿野は反対側の炭竈の上にあるが、ここはダム工事中でバス停廃止。

道がどんどんでき、新田開発で、地形もどんどん変わってゆく。昔を知る老人も少なくなり、民俗学のヒントもまた、次から次へと消えかかっている。誰も顧みない過去の真実が、わずかに神社や祭りの語り継がれた伝承にしか見えなくなってしまう。
焦る心。もっと保護されるべき過去が山村には沢山ありすぎて、ひとりの手に負える者ではない。柳田や折口、司馬、宮田、宮尾、谷川の諸氏はすごいフィールドワーカーだったのだ。

2006年11月1日 かわかつ

追伸;次回はかじや裏にある山から炭竈、白丹を抜けていよいよ閼伽野へ!
十一地名は京都市右京区、宇治市にもあるとこの興味深いサイトのあるじにお伺いした。
あなたもお近くの地名散策をおやりにならない?京都の方、ご一報待つ。
 
 


 
 
あなたはどう思われるだろうか?
筆者だけが気づいた奇妙な地名由来である。
 
 
イメージ 1
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳 http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html.
 Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
民族学伝承ひろいあげ辞典http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html/
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>