昨日の人類学発掘記事の沖縄の人骨DNAにもう少しこだわってみたい。
篠田氏は日本や周辺諸国の古人骨DNA解析を基に、日本人の起源を研究している第一人者。スペイン征服以前のアンデス先住民のDNA研究にも携わる。琉球列島に住んでいた人々の系統が中国南部や東南アジアと関連深いことなどを明らかにしている。
篠田氏の分析によると、2万年前の人骨は女性で、南方系のつながりがあるとみられる。白保の人は東南アジアから海を渡って北上したグループの一員だったと考えられるという。
篠田氏は2万年前の人骨を含む10体の人骨を分析し、そのうち5体で有効な分析ができた。「正式に論文にまとめるのは先のことだ。2万年前の人骨は1体だが、何体かのDNAが集まれば、さらにいろいろなことが分かってくると思う」と話した。
同遺跡からは、年代が特定できたものとしては国内最古となる2万4千年以上前の人骨も出土している。今年に入ってからも、1万6千~1万8千年前の地層から頭部の骨など重要な資料が次々と出土し、東アジアにおける人類進化の解明につながると期待が高まっている。
篠田健一は日本の古代人骨のDNA研究の第一人者として有名である。彼の以前の分析では、日本人の大半のルーツはバイカル湖であったことはすでに何度か書いた。
北方系新モンゴロイドの母方DNAの遺伝子を、調査した古代人~現代人人骨のほぼ85%の日本人が受け継いでいる・・・それですべてが決定したかのように外野は思い込んでしまったが、篠田は「今後の発掘次第である」と書き。筆者も同じことを書き、そして南方系遺伝子が来ている可能性を、残りの15%の古モンゴロイド的要素から「まだまだ捨てたものではないのだ」と言ってきたつもりだ。
そしてとうとう東南アジアや中国少数民の遺伝子に類似するものを持った人骨が、篠田自身の手で発見されたわけである。
このサイトの画像を見てわかるように、
しかしながら石垣島のある八重山諸島(南琉球地域)と琉球本島(北琉球)の間には全長270キロに及ぶ海が存在することを忘れてはならない。沖縄にも北と南の文化、言語の相違があり、決定的に人種が隔離された歴史を持つのが八重山なのだ。
言葉が違う、人種も違うのである。
さらに、この海を渡って沖縄本島にたどり着けたとしても、さらに本島から奄美、奄美から鹿児島までの間には、名にし負う流れの荒い海流を通す海峡が待ち受けている。
縄文時代後期~弥生時代、古墳時代以降にかけて、確かに本土と沖縄本島の間には「貝の道」があった。けれど先土器時代に舟があったと言える証拠はまずもってなく、たとえ氷河期であっても、これらの長大な海峡がつながっていなかったことは、港川人遺伝子と縄文人遺伝子の似て非なる部分のあることからも、「つながっていなかった」ことが言えてしまう。
石垣島から沖縄本島へたどり着けた人間がいたかどうかがこれからの課題である。
ひとつひとつを埋めていくしかない。それがいつか、新しい発見の積み重ねによって、奄美、鹿児島までやってこれた証拠を今後も求め続けねばなるまい。
可能性は常に先送りしてゆくしかない。
なにも今、こうだった、などと誰が決められようか?
なに、楽しみが先へ伸びただけのことである。かくしてぼくらの夢は終わらない。
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