弥生人骨の偏在性を示す発掘人骨の各地における一覧表
資料は1998年のもので、決して最新とは言えない。
現在ではもっと多くの人骨サンプルが発見されている。
しかし、北部九州・日本海西部地域の群を抜く例証数は、要するに弥生時代の発掘が日本で最も進んでいることをあらわしている。他地域では発掘に鈍感なのである。これはほかの遺物にも言えることだろう。
ただ、九州と同じように発掘に熱心な近畿地方の弥生人骨の少なさはやはり特筆すべきもので、あれほど熱心に掘り返しても、なかなか出てこないことを示している。それはなぜだろうか?
第一には弥生時代に近畿では、まだ半数以上が縄文時代の人が圧倒しており、そもそも渡来系弥生人の進入が少ないこと。
第二に、近畿の土壌の腐食率である。
腐食しやすい土壌ゆえに、古墳時代には石棺による密封が近畿でいち早く始まったと考えることも可能であろう。
「同じ九州でも、西北部九州の「弥生人」骨は、まるで「縄文人もどき」。縄文人骨と共通する特徴が多く報告されている」片山一道『骨考古学と身体史観』
つまりそれが九州北西部と北東部の人種の相違を如実に示すのである。
那珂川より東部から遠賀川流域では朝鮮半島系渡来人の人骨が、先住していた縄文系海人族とは隔離して出土するのに対して、北西部の佐賀県や長崎県や天草などでは、縄文的な・・・すなわち同じ海人系白水郎族と考えられる、長江文明人と在来縄文人が仲良く同居して混血するのである。
半島人の排他性、と言ってしまうと語弊はあるだろう(それもあるかも知れないが・・・)。なぜなら遠賀川からは半島系稲が流出していくからだ。彼等はあくまで日本海沿岸にこだわって北上し、いち早く青森まで到達する。
一方、北西部九州の縄文的人骨を持つ人々は、入ってきたのは早いのに、なぜか遅れて南下し、太平洋を北上すると考えられるのである。近畿にはこの双方が時間差で入り込むと考えられる。
南九州弥生人は貌は縄文的だが、異常に背が低く(男154センチ)、北部弥生人とはあきらかに違う。後頭部は絶壁で、どちらかというと今の琉球人に似る。
このように「弥生人」は多種多様で、その中には在来の先住民族もいたわけである。弥生時代だから、弥生人とは全部渡来系だとか、弥生人だから全部半島系だということではないのである。
これは多元的な物の見方、歴史の見方を示唆している。
ぼくたちが教わってきた歴史は、あまりにも一元的だったということなのである。
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PS
沖縄の決断
安部という男は、難解な問題をすべて沖縄県内の問題に一瞬で転嫁させた。狐のようにこずるい、頭がよい。しかしその安部が、今、なにゆえにことさら東アジアを挑発するのかは謎である。
勝てぬいくさの宣戦布告をしてしまったのではないか?
正しい歴史認識とは、マスコミがあおりたてるような、そんな簡単なものではない。もっともっと民族の奥底にある、古いところまでつきつめていかねば、彼等の不満は見えてこない。せいぜい先の大戦でのことだけだと思ったら大間違いである。そんな浅薄な問題ではない。古代史こそがそこに立ち入るヒントを与えている。人骨は多くを語ってくる。そういうことに科学や考古学は役立たねばなんの意味もない。
次元が違う史観を、つまり民族哲学をこそ、古代史は語らねば成るまい。人類の歴史である。政治はあまりに無知である。無知だからこそ災いを好む。
危うい。