百済の役とは白村江の戦いを含んだ唐・新羅連合軍による百済占拠事件を指す。
「663年の白村江の戦いで敗北した天智朝政権にとって最大の関心事は唐軍の動向であり、通説的な見解としては唐の軍事的侵攻に備えるのが天智朝の最大の課題であったと考えられている。A中大兄は即位せずに称制のまま政治を執ったこと B防衛上飛鳥の地より近江大津の地が有利であるため近江遷都したと考えられること C瀬戸内海沿岸各地に山城を中心とする防衛施設を建設していることなどを論拠とするものである。
・・・・ただ、かかる瀬戸内海を中心とする防衛施設の建設、中大兄の称制、近江遷都ということが、唐の軍事的侵攻に備えるだけのものとする見解には若干の疑問をもつ。すなわち白村江の戦い以後の唐を中心とする朝鮮半島の政治状況によりすると唐軍がわが国へ軍事的侵攻をするとは想定できないからである。
663年の白村江の戦いに勝利した唐は、ただちに高句麗への軍事行動に突入することはせず、664年に新羅王法敏と旧百済の太子餘隆※1との間に和平の盟約を結ばせて南朝鮮の安定をはかり、665年には泰山における封禅(説明省略)に新羅・百済・倭などの人々を参集させ唐帝国の威勢を天下に誇示しているのである。そして666年に高句麗の泉蓋蘇文(せんがい・そぶん)が病死したことを契機に唐の高句麗への軍事行動が開始され、668年に高句麗は滅亡した・・・」(松原弘宣『古代瀬戸内の地域社会』第二章P62)
※百済の太子餘隆・・・よりゅう。別表記で「徐隆」。余隆=武寧王は祖先だが別人。百済の役の時の王・義慈王の子。
つまり、白村江直後の唐は南朝鮮地域の安寧で忘却されており、倭を攻撃するようなゆとりは当時の唐にはなかったということである。
663~668年の間に唐は三度使者を倭国に派遣しているし、高句麗も唐・新羅連合軍の攻撃に援助を求めて二度使者を倭国に送っている。唐は高句麗と日本の共同戦線を牽制しようとしたのである。ということは天智は唐が倭国には攻めてこないことを知っていたはずである。(松田好弘・松原弘宣)
ではなぜ天智は難波や飛鳥よりも内陸の近江に引越し、あえて軍事的緊張感を継続させたのか?
「中大兄の指導下でなされた百済の役の敗戦の結果により生じた国内的な不満や責任問題を、対外緊張を高めることで外(ママ)らせよう(そらせよう?)としたことに主たる意図があったのではないか」(松原)
国内に唐が攻めてくるぞと言う緊張感を感じさせることで、敗戦の不満の出るいとまを与えず、追求を逃れるためだというわけである。このとき天智は瀬戸内各地に評を置いている。そして筑紫・瀬戸内をはじめとする海岸部に山城・防塁(水城とか神護石とか呼ばれてきた)を各地の氏族に作らせてもいる。これは侵略の危機感に乗じて地方を中央集権にまとめてしまおうというはかりごとだというわけである。
また中央の中・下官僚にはそれまで19しかなかった階位を一気に26にまで増やしている。足元の不満分子に階位を与えて懐柔したということになる。
百済の役にさいして大将軍に任命されなかったのは大伴・阿部・紀などの古くからの旧王家=倭王政権以来の氏族であった。
彼らは飛鳥王権では不遇であったが大豪族であることは変わらない。影の影響力は非常に強い。だから天智は彼らの本拠地である飛鳥にはいられなかった。だから飛鳥政権が伝統的に受け入れて放り込んできた渡来人の多い近江はふさわしかった。さまざまな知恵者もいたからだし、なにより筆者は鎌足の領地が山科から近江大津にあったからではないかと見ている、実際天智の墓は飛鳥藤原京の真北、京都の山科に造られた。そこの背後は鎌足の鉄鉱山があった将軍塚裏遺跡のある逢坂山のすぐそばである。
いずれにせと天智は敗北の言い訳をしなければならない立場にあって、危険な立場にあったと言うことも可能である。いつ敗戦の責任で暗殺されるか知れない。そこで藤原氏と百済王一族のお膝元に逃げ込んだでいいのではないか?実際、異伝では天智には山科遭難の伝承(山科に狩にいき履を残して消え去った)があるわけである。かかる非常時に狩りにいくようなゆとりもあるはずはなく、この伝承はようするに天智が危機的状況にあって、いつ殺されてもおかしくないという意味に受け取れる。そういう不満分子が飛鳥にはいたということである。つまり天武のクーデターは起こるべくして起こったのだ。その背景には天智への不満を持った飛鳥政権下では不遇であり続けた旧王権氏族と海部・尾張・葛城・出雲などの敗者たちということになるだろう。(天智が百済の役以降、天武あるいは飛鳥旧王権の宰相たちの手で暗殺された可能性はひじょ~~~~に高いが、『日本書記』はそれをあえて書かなかった。)
「評 (ひょう)」は斉明天皇時代の大化の改新以後おかれ始めた郡である。
「評(こおり、ひょう)とは、古代朝鮮および古代日本での行政区域の単位。『日本書紀』は「大化の改新」の時に「郡」が成立したと記すが、「郡」と言う用語が用いられるのは、大宝律令制定以降であり、それ以前は「評」を使っていた文書(木簡類)が見つかっている。」
瀬戸内の評
百済の役では五万人もの倭人軍隊が朝鮮半島に行き、評制度もまた百済に応用されているのである。これは半島にとっては一大画期だった。これは当時の日本の社会体制の一部がそっくりそのまま半島南部に入ったということなのである。
四国愛媛の越智国造はこのときとばかりに仏教建築を増やし、評を越智郡に置くように申請している。天智はそうとう破格の地方豪族への優遇措置をとらざるをえなかったようだ。はるか東国の福島県の那須では石碑がのちに立てられ、持統天皇に遡る歴史が那須国造評にはあるんだと堂々と言わせている。こうした国アイデンティティあふれる碑文の多くはだからこの時期が多いのだろう。伊予の太子碑文や羊太夫碑文なんかもそうかも知れない。再考証の余地がある。
要するにどうしたって敗戦王であった天智の立場は弱い。だからもうなんでもかんでもやっている。ちょうど今のNHK会長が理事たちに辞表を書かせたような恥じも外聞もない行動に出たのである。その中のひとつがあの聖徳太子聖人化であろう。国家が一丸となるためには自分の祖先の正当性をまず言い出す。すると中国や蘇我王権に立ち向かえたのは厩戸だけだとなっていく。だから馬子のことはあまり悪くは言えず、代わりに入鹿が権利を占領したんだという書き方をしている。天智が暗殺されたとしても書くはずがない。
しかしよくよく考えれば厩戸こそいい迷惑。だって彼は天智が殺した蘇我氏の子なのだから。だが旧王族に使えてきた飛鳥の豪族たちにはかなりの効果が望めたのであろう。久米氏などは厩戸の弟・久米(来目)皇子の筑紫の久米郷地名由来を否定しないでいるが、実際には久米(来目)部がいたからの地名であろう。久留米なんぞも久米+久米皇子が来たというような由来もあったかも知れない。
天智の大王としての権威はこのように地に墜ち果てようとしていたわけである。天武が登場するのは当然の結末だった。
だからこそ『日本書記』では、藤原不比等は父鎌足の復権と、天智王権の正統性を、これでもかと言い張る必要があったことになろう。女帝傀儡政権の精神的基盤はここにあった。天智は聖徳太子を聖人化したが、不比等は今度はその天智をこそ聖人化・祖人化したわけである。面白いでしょう?歴史は繰り返す。しかしどっちにしたって海人氏族は再び差別されていくことになるわけだ。大海人皇子=天武が
やっと打ち立てた海人系王家はひっくりかえり、大伴氏も紀氏もそれぞれ不遇な平安時代を迎えることとあい成った。
大伴の 名に負う靫帯びて
万代に恃み(よろずにたのみ)し心いづくか寄せむ 大伴家持・万葉集
万代に恃み(よろずにたのみ)し心いづくか寄せむ 大伴家持・万葉集
昔の大伴氏は偉かったなあ~~~という歌である。
この和歌と大伴氏と久米氏の関係についてはいずれまた。
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