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[転載]中国南部の支石墓発見・世界のドルメン支石墓分布図



前の記事の支石墓派生地について、では世界に広がるこの海洋民的な墓制は、白水郎の本拠地だった中国南部海岸地域には本当にあるのか?を検証したい。
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http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1603556/05/54777505/img_5?20140322160307

世界の支石墓(ドルメン)分布図


◆支石墓とは、その分布域は?
「支石墓(しせきぼ)は、ドルメンともいい、新石器時代から初期金属器時代にかけて、世界各地で見られる巨石墓の一種である。基礎となる支石を数個、埋葬地を囲うように並べ、その上に巨大な天井石を載せる形態をとる。
支石墓という形態がもっとも早く発祥したのは、おそらく西ヨーロッパだったと考えられる。しかし、西ヨーロッパの支石墓が世界各地へ伝播したのではなく、それぞれの社会発展状況に応じて、全く別個に世界の各地域で支石墓が発祥したとする見方が非常に有力となっている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E7%9F%B3%E5%A2%93


「支石墓(コインドル)は先史時代の石墓の一種として英語ではドルメン(Dolmen)といわれます。支石墓(コインドル)は巨石記念物のひとつとしてピラミッド(Pyramid)、オベリスク(Obelisk)等、エジプトやアフリカ大陸の各種石造物とイギリスのストーンヘンジ、フランスのカルナクの列石などが巨石文化の産物であります。
韓国の青銅器時代の代表的なお墓の中の一つである支石墓は、世界的な分布を見せていながら地域により時期と形態が違うように現われています。全国に約30,000基余りの支石墓が分布されていると知られており、その中で世界遺産の登録された高敞(ゴチャン)、和順(ファスン)、江華(カンファ)の支石墓遺跡が高く評価されています。

又、支石墓は先史時代の文化が把握できる重要な遺跡で、当時の政治や生活などの研究にも重要な資料になっています」
http://www.tabijin.com/unesco_08.html
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支石墓は本来、そのまわりを礫(小石など)で囲まれるのが普通だが、現状その多くが、礫が風や波で紛失したと言われる。

◆世界分布
中東では、イラン高原やゴラン高原(現イスラエル)で支石墓が営まれたとされる。
インドには古代の巨石遺跡が約4000箇所ほどあるが、明確に支石墓と見られるものは、紀元前1000年頃の南インドに出現した。
その他、インドネシア・南アメリカ・北部アフリカに見られる。
その多くは海岸部に存する。

●東アジアの支石墓とその分布
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「紀元前1500年頃に遼東半島付近で発生し、その周辺(現在の中国吉林省付近)へ広まった。当初は、地上に支石を箱形に並べ、その上に天井石が載るというテーブル状形態を示しており、天井石の下部では葬祀が行なえるようになっていた。中国東北部・遼東半島・朝鮮半島西北部に分布する。紀元前400年頃から次第に支石が低くなっていき碁盤式といわれ、朝鮮半島西側の中南部と北部九州に見られる。また、青銅器(銅剣など)の副葬も見られ始めた。

紀元前500年頃、支石墓は朝鮮半島(無文土器時代)へ伝播した。遺構は半島のほぼ全域で見られ(約4-6万基とされる)、世界の支石墓の半数が朝鮮半島にあるといわれている。南へ伝播するに従い、支石は地下へ埋設されるようになり、天井石が地表近くまで下りている。大韓民国では、高くそびえるもの(テーブル式)を「北方式」、低いもの(碁盤式)を「南方式」と分類しており、両形式のおおよその境界は全羅北道付近とされる。また、天井石が碁盤状を呈するなど多様な類型を示していることも、朝鮮半島の支石墓の特徴である。紀元前後になると、銅剣(細型銅剣)が副葬されるようになった。

朝鮮半島において、分布が特に顕著なのは半島南西地域(現在の全羅南道)である。同地域ではもっとも多い場所で500-600基の支石墓が群集している。支石墓は朝鮮半島の先史時代を大きく特徴づけており、2000年には高敞、和順、江華の支石墓群が世界遺産に登録された。

日本では、縄文時代最晩期の九州北西部に出現している。朝鮮半島南西部の強い影響があったと想定されているが、日本の支石墓は朝鮮半島のものより小型化が著しい。また、屈葬の採用や甕棺を伴うことなど、一定の独自性も認められる」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E7%9F%B3%E5%A2%93


●日本の支石墓源流は中国南部海岸部にあり・浙江省沿海地区の支石墓群
最近の調査からは、中国南部、長江下流域でも支石墓が見つかった。
「(中国の支石墓は)浙江省沿海地区と山東省にあり、 中国社会科学院考古研究所の研究. 員安志敏先生 の観察では浙江省の支石墓と日本の九州の支石墓は形. 式の上で共通の特徴を持っ ており、 日本の支石墓は江蘇省・ 浙江省. 一 帯の古代文化の影善を受けて形成され たと」いう。
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=R7lm-w5bzUMJ&p=%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%B5%99%E6%B1%9F%E7%9C%81%E6%94%AF%E7%9F%B3%E5%A2%93&u=202.231.40.34%2Fjpub%2Fpdf%2Fjs%2FIN2510.pdf#search='中国浙江省支石墓'

●浙南石棚墓群(浙江省温州地市瑞安)
 1993年に浙江省温州地市30を超える石棚墓が発掘され、春秋時代の器物が多数出土した。石棚墓とは日本でいう支石墓のことである。これは、紀元前1700年~紀元前256年頃にかけて江南地方で営まれた墓制で、石棚墓の下には甕棺も埋葬されている。その形状や葬送様式などから、九州北部や朝鮮半島南部に展開する支石墓のルーツかとも考えられる。 

 紀元前1500年頃になると遼東半島から吉林省南部地域にも出現するが、これは、支石を箱形に並べた上に高くびえる形で天井石を載せたもので、テーブル式と呼ばれる。一方、朝鮮半島南部に支石墓が出現するのは紀元前500年頃からで、数個の支石の上に長方形に近い天井石を載せたもので、碁盤式と呼ばれている。韓国では、高くそびえるテーブル式を北方式、低い碁盤式を南方式と分類しており、両形式のおおよその境界は全羅北道付近とされる。」
http://blog.goo.ne.jp/isaq2011/e/feb38310affc1341db8f81b06fa43f45

どうやら朝鮮半島の支石墓と九州の支石墓では、どうやらその伝播してきた大元が違っていたようである。
九州のは江南系、朝鮮のは遼東系であるそうだ。

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http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-0a-2d/kawakatu_1205/folder/1603556/05/54777505/img_0?20140322160307

浙南石棚墓群(浙江省温州地市瑞安)の画像
画像サイト↓ 
「浙南石棚墓群是目前已知的中国南方地区唯一的石棚墓群分布区,是世界巨石文化重要组成部分,对研究商周时期中国沿海地区社会生活性质、经济状况、对外交流和文化面貌提供了宝贵的实物资料,是当时浙南沿海地区流行的一种墓葬形式。」http://blog.sina.com.cn/s/blog_574dff1c0100g7va.html



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以上の記事から再検証するに、筆者の白水郎江南起源は今後正論となりそうな気配濃色である。

東アジアの派生地は今のところ中国東北部の遼東半島説が定説であるようだ。

これが朝鮮半島の全域に登場する。

ところがあにはからんや、これが紀元前500年頃で、日本ではすでに弥生時代になっている。
確かに世界の支石墓の大半が朝鮮半島に爆発的に生まれて集中した。
しかしながら九州北部海岸部の支石墓は半島に先立って縄文時代晩期に隆盛を始めているので、海を西から順にやってきたかと見え、日本への派生は中国遼東半島とほぼ同時期か、あるいは早かった可能性が非常に高い。その派生地は江南、長江河口部である。

ということは半島の支石墓は逆に、遼東と玄界灘沿岸日本の双方からの伝播だったのかも知れない。どっちにせよ倭人のしたことであろう。

海洋民が先に選んだのは、どうやら半島沿岸ではなかったようだ。これは水耕稲作の日本への先の伝播を後押しする考古学的発見である。

その後の隆盛はひとえに朝鮮半島が独占している。
けれどその分類からは、北部九州沿岸の支石墓は、中国南部、長江起源であることになる(要今後の発掘待ち)だろうか。

海洋民族と言ってもいろいろ”流派”があったようだ。


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転載元: 民族学伝承ひろいあげ辞典


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