石造物は歴史の証拠品。
次回、蘇我入鹿の墓はどこだ?
そんなのいるか~~~でありますよ。
馬子の石舞台は土盛りをはがされたことが近年の調査であきらかになっております。乙巳の変以前に死んでいる馬子でさえそうされたわけです。石舞台の周囲には石をつめた四角い土盛りと周溝(しゅうこう)があったことも発掘で明白です。
では惨殺された朝敵とされた入鹿、蝦夷に墓は果たしてあったのでしょうか?
それは必ずあります。有間皇子も大友皇子も、どのような敵役であろうともちゃんと臣下が手厚く葬った墓があります。ただ入鹿の場合、それがちゃんとした墓であるかどうかなのです。首塚伝承はあっても、切られた胴体を祭った墓、つまり墳があったはずなのです。
それはどこかを次回探ります。
「そなのいるか~~?」
「あほ、いるに決まってまんがな~~~~うらめしやあ」
昨今、斉明天皇の石棺という説が出た鬼の雪隠、鬼の俎、益田岩船などなど、飛鳥の同時代の石造物から探すことができますぞ。