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『墓の考古学』土生田純之 吉川弘文舘 2013 から
1墓のなかった人々は・・・
平安時代~中世になっても、これは世界的にだが、墓の中に葬られない人がほとんどだった。筆者が知っているところでは花の都パリなども、街中に死骸・糞尿・動物遺骸がちらかっていたというが、清潔世界一の日本の都大路でさえも溝や池やには犬猫人間の死体が放置されていた。臭いがひどいので穴を掘り、ゴミ捨て場なのだが、人間もそこへ捨てられる。これを遺棄と呼ぶのか、それとも弥生時代以前からあった風習の風葬なのかの判断が実は難しい。
縄文・弥生の風葬にはあとから追葬の手が加えられたわけであるが、そのやりかたは、そこいらの丘の上に死体を座らせて鳥や風のままにまかせたあと、すっかり骨になった遺骸をばらして骨臓器に骨をばらして再葬するものであった。縄文色の強い関東から東北の太平洋側に集中する。それも内陸部のほうが海岸部より多いので、わざわざ台地まで運んで行ったらしい。
弥生再葬墓の分布
都市部でも放っておいた死体の骨をかきあつめ、何人分も落ち葉掃除するようにまとめてしまい、円形にしておいて土をかぶせたり、金のある人は骨をばらして骨臓器・・・。ひどいのはごみ穴にいきなり放り込まれる人。平民のほとんどがそんな具合である。
中世のいくさなどで死んだ武士なども、大半は片付けもなく、ほうりっぱなし。川も海岸も平原も。で、平和になって追悼するときはそのまま土を盛って、神社、あるいはその参道になったりした。一番有名なのが鎌倉の鶴岡(つるがおか)八幡宮の一の鳥居下(200体以上の遺骨)や鎌倉滑川海岸の材木座(1000体以上の骨が出た。河野眞知郎)である。由比ガ浜海岸の海蝕崖や穴からも数ヶ所、刀傷のある遺骨。これらはあきらかな戦争遺棄死体である。
墓を造れなかった人と、墓を造らなかった人があるという。
柿本朝臣人麻呂、香具山の屍を見て悲しみ詠みし歌一首
草枕 旅の宿りに誰が夫か 国忘れたる 家持たまくに 人麻呂
海行かば みづく屍(かばね)
山行かば 草むす屍
大皇(おおきみ)の へにこそ死なめ 家持
奈良時代も平安時代も鎌倉時代も、共通の死者への追悼観念が現れた歌である。
風葬であったかも知れないが、平安の道端でそれをやられたらかなわない。
歩けばそこらへんみな屍だらけ。なぜ貴族が香を焚くか、武士が香木に大金を使ったかわかろうというもの。
2墓を造らなかった人
これは淳和天皇が有名。火葬して散骨させた。京都市の西の山(小塩山)山頂。にもかかわらずこの天皇にもちゃんと宮内庁指定墓がある。もちろん記録どおり小塩山山頂がそうである。これを薄葬思想の特例とする。
チンギス・ハーンにも墓がない。武田信玄や諸葛孔明がそうしたように、いくさの最中だったので死を隠匿させた。そもそも騎馬民族は墓を持たない。常に騎馬で移動するからであるが、夭折した子供だけはポールを立てて、仮設野営地などに転々と埋葬し、目印にしたようである。日本の道祖神や縄文の感情列石(もとい、環状列石。石に感情はないな)の起源と言えるか。
「 モンゴル帝国を建設した英雄、チンギス・ハンの霊をまつる霊廟(れいびょう)をモンゴル西部で発見したと、国学院大、新潟大とモンゴル科学アカデミー考古学研究所の合同調査団(団長、加藤晋平・元国学院大教授)が4日、発表した。チンギス・ハンの墓の所在は不明で、世界史上の謎といわれる。しかし、墓と霊廟の位置関係を示す史料が残されており、今回の霊廟発見は墓の所在地に直結する重要な手がかりとして注目を集めそうだ。」http://www.smhric.org/jap_43.htm
あくまで霊廟であって遺体は安置されていない。
モンゴル七代目王の霊廟近くに置かれた守護神石人。
3基本は土葬
民間では当然、火葬風習は遅くなり、明治を待たねばならなかった。ほとんどが土葬である。あるいは風穴などへの屈葬。または既存の古代の横穴墓に押し込んだ例もある。土葬するときは大きな桶に入れた。土葬なら土に還る。これがもっとも理想的だと筆者などは思う。散骨もよい。あなたなら?高額な墓は必要ですか?往古、民間人には墓石はなく、土盛りしてただ卒塔婆を立てるだけだった。そうすればやがて風化して邪魔にならないうえに、土は肥えて畑にできるからだ。所詮、三代ほどが祭れば、あとの子孫はもう知らないとなるのである。いかに立派な墓を造っても結局、個人の墓など、その程度の時間枠でしかおまいりしてくれなくなる。家族墓ならほぼ永久だが。むしろ死んだ後では自分の葬式も墓も、どうなろうと見ることができないのだ。葬式代のお金を残してなんになる?
4 エジプトのミイラ
ミイラを造るのは、もちろん死者が復活すると信じられていた古代だけである。魂が復活しても戻る容器=肉体が腐っていたのでは困るだろう・・・。そういうのがはじまり。同じような発想をしていたはずの東洋には、しかしエジプトのような肉体保存の痕跡がない。そのように願って金科玉条に包み込んだ王墓ならある。しかしほとんどは水銀やベンガラの防腐効果に頼っている。そしてそれらが効果なしとわかったあとは、もうなすがままにして、観念的に魂は天空にのぼって、太陽の使者カラスなどが持って帰り、生きている妊婦に憑依して新生児になって再生が成就・・・となっていった。基本的に現代でも仏教徒に限らず多くの日本人がたましいは帰ってくるとなんとなく感じているのは、このときからの言い伝えであろう。
5 日本になかった墓誌を置く風習
日本の古墳には墓誌も墓碑もない。だから誰の墓かがわからない。なぜか?
それは大王以下氏族が墓に墓守を置いたからである。小屋を立て被差別者などに墓を守らせた。これで充分だったのだが、戦乱などで彼らはやがていなくなった。
太安万侶の墓誌実物
6縄文時代、死者は家屋内に埋葬
守り神となったからである。特に夭折幼児の遺骸は、家の入り口の敷石の真下に埋葬された。入り口から魔物が入らないため。これを守護神とした。なぜ夭折した幼児には呪力が?
それは早死にという異常死が、祖霊がその子に憑依することを望んだからで、特別な子供だったからである。
家内に死者を埋葬するのはやがて人柱のような災害除けへと発展した可能性がある。
7 道祖神は墓なのか?なぜ夫婦円満なデザインか?
道祖神の大元は陰陽五行。神仙思想。道教である。これは仏教ではなく混交した修験道の哲学。だから大元は中国の西王母・東王夫の並立デザインにあったと思われている。それが民間で夫婦に変化するが、空海が後に書いたように、夫婦=セックスと子沢山こそが国家の中枢という思想も関係するのではないか。
8骨を抜き取る再葬風習
考古学で言う「再葬」は民俗学・民族学で言う「複葬」である。文字通り、一旦骨にして(一次埋葬)、また集めて埋葬する(二次埋葬)ことである。
これが顕著なのは神奈川県~福島県の内陸部から群馬県柩山遺跡・栃木県出流原(いずるはら)遺跡、茨城県女方(おざかた)遺跡、千葉県天神前遺跡などが有名。しかし、横穴墓などで一旦土で閉めきったのを掘り返し、中にひょうたんに入った酒などを置く追葬痕跡がたまに見られる。これは九州などで多い家族葬・追葬であろう。横穴はやや高い崖などにあるので、家族は掘り返したあと、穴=玄室の奥にある死者の頭部まで体を差し入れ、そのとき穴の上部、下部に手をつく。その痕跡がちゃんと残っており、下部=屍床についた手が死者のろっこつを押し割っていた。しかも不思議なことに、そのろっこつが一本だけ抜き取られていたのである。
こうした骨の一部を抜いて持ち帰る風習は、やがてエスカレートし、ろっこつばかりかほかの部位まで抜いてなくなっていく。おそらく持ち帰って妻が家内に守護として置いたか、あるいは敷地内に埋めたのかと思われる。現代的に考えれば、故人を忘れられずにやった?のかも知れない。
ひょうたん内部になにも入っていなかった可能性もある。なぜならひょうたんがおそらく再生のひさご型であるから、朝鮮に多かった卵生説話にあるひさごにはいって再生する、うつぼ船のもがりなどがからんできそうである。
ときとして九州などでは献花再葬もあった。花を死者の胸に置く。これはエジプトでもツタンカーメン王墓に置かれた花が有名。
古来、墓が残された人などほんの一握り。
敗者などは墓を打ち壊されもした。
要するに死んだら、あとは野となれ山となれが最高の現代的な死生観であろう。
金は残すな。子供を甘やかす。
すべて使って死になさいってことだ。
さしずめ、最後の酒盛りで、それが花の季節で、よく晴れた庭先でなら最高。
ぼくの遺骨は、仁徳天皇陵のてっぺんにでも、桜の園の根元にでもまいておくれ、夜中に。
枯れ木に花を咲かせましょうぞ。
真冬に桜を咲かせましょうぞ。
最後に
西行はなぜ桜に死を観たのか?
それは桜の木の下に終(つい)の安住を見たからだろう。
妻を捨て、子を捨てた佐藤さんの、それが最後の破戒僧としての望みだった。
ぜいたくってもんですよ。
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