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呉様式画文帯神獣鏡が卑弥呼の鏡である

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まずは押しちょくれ↓
 
■画文帯神獣鏡は卑弥呼の鏡
画文帯神獣鏡 - 日本、中国でも多数出土する。中国で3世紀に製作されたと思われるが、日本では5世紀後半の古墳から出土することがある。日本からは約60面出土している。畿内地域を中心に出土することや2世紀の末頃北部九州の銅矛、畿内や東海地域の銅鐸が姿を消し、画文帯神獣鏡が現れるのが特徴である。兵庫県姫路市四郷町の宮山古墳[1]大和天神山古墳四面、三重県鳥羽市の伊勢湾に浮かぶ神島(かみしま)の八代神社収蔵の5世紀のものなどが出土しており、その同笵鏡は三重・愛知県下では、三重県多気郡明和町大字上村神崎山一号墳三面、愛知県岡崎市丸山町亀山二号墳一面、また、ほう製鏡(中国鏡を模して日本で製作された鏡)思われるものは名古屋市双子山古墳一面、奈良県橿原市新沢109号墳、河内郡川車塚(かわちこおりがわくるまづか)、江田船山古墳から出土している。三重県志摩市大王町波切の塚原古墳からも出土、その同笵鏡は稲荷山古墳の礫槨から出土。大阪府和泉市和泉黄金塚古墳から出土の鏡は、の景初三年(239)の銘をもつ。
WIKI神獣鏡より「画文帯神獣鏡」
 
 
 
 
 
およそ『三国志』魏志東夷伝倭人条(略して「魏志倭人伝」)にばかり注目してきた日本の考古学好事家は、以下の有名大王墓と呼ばれる古墳から出ている稀少な鏡にもっと留意していただかねばなるまい。
それらの王墓の多くから出ているのは三角縁神獣鏡であることは言うまでもないが、山ほど出てきたこの鏡にはそれほどの価値などないことは、大和説の若手からもすでに何度も指摘されている。権威である森浩一氏を筆頭に、である。
 
●●三角縁神獣鏡出土数の大量な古墳から出ている稀少呉鏡
 
■黒塚古墳・和泉黄金塚古墳
古墳時代前期前葉
三角縁33面 小型画文帯”同向式”神獣鏡1面(鏡面の外区が画文帯、内区が神獣鏡)
三角縁神獣鏡(同向式)と同じ工人の手によるか?
特にこの鏡は「朝鮮半島、楽浪郡一帯でのみ出土する様式である」(西川寿勝2010)
 
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この画文帯神獣鏡と同系のものに大阪府和泉黄金塚(こがねづか)古墳出土の「景初三年陳是作」鏡がある。従って画文帯同向式神獣鏡と三角縁同向式神獣鏡は同じ陳是作の可能性が高く、その製作は半島、楽浪郡の工人によって現地で作られたのであろう。(西川)
 
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ところがこれらの小型画文帯神獣鏡の図柄は、ほかの大量出土した三角縁とは違って神人や怪獣の表現が一線を画しており、同じものは長江流域の「典型種鏡」を模範としている。

従って一面だけ入れられたこの画文帯鏡は呉鏡あるいは南朝系鏡であることは否定しようがない。

大和説学者たちが言うように三角縁神獣鏡が魏鏡であるとするならば、その中にたった一面の呉鏡が混じっており、しかもそれが被葬者の棺内の最重要な場所である頭部真上や胸元に置かれていたということをどう説明するのであろうか?
 
 
 
■椿井大塚山古墳
32面の三角縁神獣鏡と1面の画文帯対置式神獣鏡を副葬
小林行雄の畿内分配説で超有名な山城の大古墳。
 
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長江流域の普遍的な画文帯神獣鏡である。
これと酷似するものに後漢末の建安二十一年銘鏡や同じく二十四年銘鏡が中国浙江省・湖北省で見つかっている。従ってこの画文帯神獣鏡も南朝系鏡である。
このたった一面の鏡はほかと区別して別の箱の中から出たとも言われており、多数の三角縁とは格別な扱いをされていた可能性が高い。小林はそのことを言っていない。それは当時、椿井大塚山が国鉄の架設工事で分断されたからで、石室の状況からは一枚だけの柩内鏡であったことは明白だった。その後の調査でも、この鏡には黒塚同様に下部に泥がこびりついていたがmほかの三角縁鏡にそれはなかった。つまり呉鏡である画像鏡だけが死者の柩内に立てられていた証拠である。
 
 
 
■兵庫県西求女塚(にしもとめづか)古墳
12面の鏡出土。三角縁7、画像鏡、画文帯環状乳神獣鏡(がぞんたい・かんじょうにゅう)、半肉彫獣帯鏡(はんにくぼり・じゅうたい・きょう)各1面。
各鏡の配置は地震による倒壊で不明。ただし一面のみが損壊を免れた棺のそばで小片で見つかる。これが椿井大塚山古墳と同じく「柩内鏡」と思われ、想定では線彫式(せんぼりしき)獣帯鏡とされた。後漢鏡と考えられる。
 
 
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■岡山県備前車塚古墳
三角縁11面、連孤文鏡(古式内行花文)、画文帯同向式神獣鏡各1面
盗掘事件により警察が回収し現物が見られない。早期埋め戻し、あるいは開放されたし。
 
 
 
■福岡県石塚山古墳
11面以上の同笵三角縁神獣鏡(発掘が江戸時代と古く、現在7面だけが残る)
※近年再発掘され、やはり柩内と思われる場所から線彫式獣帯鏡の小片が出土。
西求女塚と同系の呉鏡である。
 
 
青文字で表示した鏡はすべて長江流域・呉鏡様式の鏡である。
すべてが柩内部に一枚だけ、頭部に置かれたと想定してよい。
つまり被葬者氏族にとっての最も重要な鏡は呉鏡である。
 
 
 
 
・・・・・・・・・
 
その他
■福岡県一貴山(いっきさん)銚子塚古墳(※伊都国王墓に比定)
竪穴式石室に終末期三角縁神獣鏡8面。石室へりにはりつけ。
石室中央には金メッキ宝飾された方格規矩鏡と大型連孤文鏡。(金メッキ鏡出土は全国に三ヶ所だけ。大型鏡も豪華な副葬品)。三角縁と方格規矩鏡の組み合わせは大阪府摂津の紫金山古墳(直孤文入りゴホウラ貝輪とゴホウラを模した貝クシロ出土。九州系人物?)と同じである。
 
 
■佐賀県久里双水(くりそうずい)古墳(※末羅国王墓に比定)
一面の竜虎鏡
竜虎鏡には黄河系と長江系があるが、ここの鏡は平縁、肉厚、半肉彫りで神獣鏡と同じ呉鏡である。
 
 
参考
ホケノ山古墳でも画文帯同向式神獣鏡が一枚だけ。
 
 
 
こうして卑弥呼の鏡は特定できた。
画文帯同向式ないしは対置式神獣鏡が正式に魏か下賜した鏡である。
その鏡は帯方郡で呉の捕虜工人に作らせたものであり、その後、倭人好みの巨大化したレプリカとして三角縁神獣鏡が登場するが、それらは柩の外側にじっぱひとかれげに並べられるための、格下鏡だった。
 
 
画文帯神獣鏡は全国で約60数枚。
これに同じ呉様式の線彫式獣帯鏡などをアソートすれば100枚ほどになる。
 
 
そしてそれをもらっている氏族は、椿井ヤマシロ王、黒塚ヤマト王、石塚山伊都国王、西求塚播磨王、備前車塚吉備王などである。これに上野国、相模国などの王も加えてよいだろう。これが女王国。
 
また狗奴国氏族が女王国と同じ場所で混じっていたのがヤマト・ツクシである。狗奴国というのは国家ではなく、地域内で邪馬台国派=公孫~魏=晋親派、狗奴国派=呉親派といういわゆる政権内部の左右思想を言うのであろう。
 
しかしもともとは卑弥呼の前の強力な王の下では全部が呉に傾いている氏族が卑弥呼直前に分裂したのである。
 
 
現代と非常に類似した世界の緊張関係がすでに3世紀東アジアにあったということ。ひるがえって、では今、われわれはアメリカ・欧州か、中国・ロシアかの選択を迫られている。その優柔不断さに於いて、日本人は古代も今もなんら変わらない。あいかわらずの日和見せねばならぬ小国家。それが昨日の韓国と日本のおぼつかぬ握手に垣間見えていたとKawakatuははっきりと感じた。
 
 
 
 
 
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