久しぶりの古墳探訪である。
地元大分市東部の小牧山古墳群。
住所 大分市大字松岡字池の上 京が丘南二丁目
京が丘南団地の東側の丘陵上に7基の大小古墳がある。
6号墳が手鏡形、7号墳がばち形の前方後円墳で、ほかは円墳などで、時代を経た、ある一族の墓と見られる。
眼下に大野川が迫り、おそらく海からの津(港)があったはずである。地名にも津とあった。
サッカーJ2の大分トリニータのホームグラウンドであるビッグアイドーム(大銀ドーム)のすぐそばである。
4世紀後半から順次造られた九州でも最古級古墳群である。
6号墳からは銅矛、7号墳からは内花文鏡などと、円筒埴輪に似たものが出ている
豊前から豊後の佐賀関にかけては、同一の、天武期までに海部となる一族の古墳が、海岸線に点在するが、ここも同族であろう。
亀塚古墳・築山古墳などと同じ、竪穴式組石石棺が墳頂にあり、その石は佐賀関産緑泥片岩である。
この緑色の石を使う氏族は、瀬戸内北四国・吉備~紀州北部紀ノ川沿線まで、中央構造線に沿って点在する。このライン上だけで産する石である。つまり海人族であることはあきらか。残念ながらここの石材は長い年月の間に四散し、ふもとの白髭泉水や近くの神社仏閣に分散して保管されている。写真は白髭のもの。
それも豊前から、別府湾~北海部までは吉備と同族であると考えられ、吉備王国系の氏族がすでにここ豊に、4世紀までに来ていたのだと思える。
豊国の海部は尾張よりも遅れるというのが定説で、5世紀後半以降とされるが、その前身はすでに4世紀後半にあったと見ている。その証拠が北海部群にひろがる4世紀の竪穴式と組み合わせ型石棺なのである。
なかなかきれいに整備された「森つき保安林」であった。
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