■オシサカとシナガとオキナガ・長い風
「忍坂には天智天皇・天武天皇ら父の息長足広額天皇(舒明天皇)の墳墓とされる古墳がある。 すなわち息長氏の大和での拠点のひとつであった。 西側に神武天皇伝説の鳥見霊畤の候補の一つである鳥見山があり、その東が安倍であり、神功皇后の磐余宮の伝承もある地である。 忍坂は安倍地域の後背地としての墳墓の地域であったと言えるのかも知れない。隠り国にふさわしい長谷の地に見える。
この地から真西に河内まで出ると太子町であり、科長神社が鎮座している。 王陵の谷の磯長谷の奥である。科長神社は二上山上の風神を祀っていた神社を土祖神社に遷座して覆い被さったものである。 土祖神社の祭神は息長宿祢・葛城高額媛で、息長足姫(神功皇后)の両親とされる。やはり息長氏の拠点と言える。
科長と書くから「シナガ」と読むが、元々風の神は古事記では志那都比古神で、
「シナ」である。
息長は「オキナガ」と読まれるが、「オキナ」かも知れない。」
ちなみに日本語の老人をさす古い言葉の「おきな」とは長生きした人で、その意味は「息が長い」である。息とは寿命が長い場合や、あるいは現代では長期間存続したという意味にも「息が長い」と使うわけで、息=生きるは同根であろう。
ならば息長は長生きであり「おきな」の意味にもなる。
さらにはフイゴの風も息とか息吹と呼んだ。「ふい」は風、息で、「ご」は道具などの語尾につく「子」であろうか。すると地名呼子を思い出す。風が呼ぶ土地で今の佐賀県唐津湾である。ここは往古は東アジアからの最初の港だったと「魏志」は書く。「からつ」も海外からの港という意味の地名であろう。奈良の唐古なども外国人が多かったという地名であろうか。おそらくは唐津経由した中国江南からのボートビープル由来であるか?
「しなが」科長は「し・な」に区分けでき「し」は風、「な」は長いの上代古語である。
「息長」の「息」は「いき」「おき」「し」と同意で、風が長く吹く、あるいは息が長いという意味なので上代では「しな」である。
科長の地名は息長の土地だったという意味になろう。
ということは息長も「しな」「しなが」と読んでもさしつかえあるまい。
神武東征神話の根幹に息長=天智・天武・持統の祖の事績、あるいは伝承が多分に影響したであろうことは否めない。それは海人族だった「しなが」の人々の西から東への移住の歴史でもある。
「しな」は、遡ればおそらく江南からやってくる長江文明の人々をさす言葉、やも知れぬ。(まだ確定はできまいが・・・)
中国を「チャイナ」と呼んだのは欧州人であるが、そのもとは定説では南朝の開闢の元である秦「しん・チン」であるいうのが定説であろうが、ではChin{Qxin}の語尾になぜ[a]をつけてしまうのか?
WIKIの解説ではこうなっている。
「紀元2世紀前後にはインドで中国を指して「チーナ・スターナ"China staana"」と呼んでいた。一方ギリシアでは紀元前後から中国をシナ(Θηνα)とよぶが、これは秦に由来する。ポルトガルでは大航海時代から現代まで一貫してChinaとよぶが、発音は日本とは少し異なり、シーナである。ギリシャ、ラテン圏では国名、地域名は女性形になることが多く、秦の国名はシーナとなる。」
「インドから仏教が隋に伝来した当時、経典の中にある梵語「チーナ・スターナ"China staana"」を当時の訳経僧が「支那」と漢字で音写したことによって彼の地に伝来した。この時の当て字として、「支那」のほか、「震旦」「真丹」「振丹」「至那」「脂那」「支英」等がある。
そのため、「支那」はこの地域の当時の公用語からすれば外来語であり、当初は外国人からの呼称であったと言える。」
ここには一切「しな=長い風」に当たるような地名解釈はない。地名そのものの梵語における意味はなにか?チーナはシンタン国=震旦、のちに秦国で、スターナは~の国、土地という意味である。ここでもやはり肝心の「チン」にはなんの意味もない。
■「チン」にはどのような意味があったのだろうか?
「呼吸」
日本語の息をさす用語「呼吸」は中国語では「吸呼」と文字が逆転するが、発音は「フー・シー(チー)」である。シーはチーとの中間くらいの音になる。
「息」は「チュー・シー」で「気息」と書くが、やはり息は「シー」と発音する。
「長い」は「チャン」ないしは「ジャン」。
■なぜ「秦国」になったのか?
「秦人の発祥は甘粛省で秦亭と呼ばれる場所と伝えられ、現在の天水市清水県秦亭郷にあたる。秦朝の「秦」はここに通じ、始皇帝は統一して、郡、県、郷、亭を置いた 。」
秦亭村は非子の馬牧があったところである。
古代インドの呼吸観では「仏教を生み出したイ ン ドの風土における呼吸観ならびに実践の伝. 統が如何なるもの ... 物カゞ展開するのであるが, その息が風となる」とある。
考えうることは東洋においては、風=息=呼吸であり、中国語の語幹にはみな「チン」「シン」が使われ、かつて秦の地を震担と呼んだのも、もともとは「風の強い土地」だったからのようである。従って息長の意味も「風の強く吹く」その心は中国南朝・・・それ以前の長江文明海人由来であったとしたいところである。
息長氏の由来はこういう伝承があっての氏族名ではあるまいか?
「おきなが」「おきな」「しな」「きなが」と読めるが、大元はどうも「しな」だった可能性がある。長江中流域→河口部→有明海あるいは五島列島→玄界灘→出雲→古志→近江から拡散した海人族(江南系倭族)であろう。
次回、中国少数民族の太陽信仰について、田中勝也の本を久しぶりに取り上げてみたい。科学性はやや乏しいが、面白い着想の民俗学的論考もたまにはよかろう。
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