「かつて太陽と月がひとりの戦士に弓矢で射られた。日月は恐れをなして姿をくらまし、世界は闇に閉ざされた。人々は日月を連れ戻そうと相談。
「誰の声がこの世界に響き渡り、太陽を呼び戻せるだろう?誰の声が大きくて、月を呼び返せることだろう?」
するとある者がこう言った。
「雄鶏(おんどり)の声がよく響き渡るので太陽は戻ることだろう。さすれば月も一緒に戻ってくるだろう」
そこで人々は雄鶏を鳴かせてみた。四、五回雄鶏が鳴くと、太陽は三十尺の高さまで現れた。さらに何十回も鳴かせると、太陽と月は空の端から高く上がった。太陽は「あれはわたしのいとこの雄鶏である」と言った。そして雄鶏にむかって、
「私はおまえに感謝する。何か御礼をしたいが何も持ってはいない。ここに私の銀の櫛があるからこれをあげよう」
と言った。
雄鶏はその櫛を受け取って巣に戻ったが、それをさす髪の毛がなかったので櫛の歯を上に向けて頭のてっぺんに飾った。こうして雄鶏は夜明けを毎日告げられる鳥になった」
銀の装飾品は今もミャオの女性の衣服をかざる重要な魔よけ、豊かさの象徴である。
日月を射る神話は中国少数民族共通のもので「射日神話」という。
雄鶏は太陽の使い(いとこ)である。
なぜならば雄鶏の鶏冠(とさか)が太陽のコロナの形状をしているからである。
その形は銀櫛の形でもある。
「ナ・ボ・ノ・コという女がいた。手に針を持ち、糸を通して、空を縫い合わせようとしていた。縫っている間、空は動いた。彼女は天帝ンツイの天宮から縫いながらやってきた。九日のあいだ、彼女は九つの空の道を開いた。そして妹の太陽を外に出した。妹の太陽は穴を通り抜けて外に出てきた。妹の太陽はルアン・ボの部屋を明るく照らした。妹の太陽はまた穴を通り抜けて、今度はルアン・ジェの部屋を明るくした」
太陽は女で、ミャオの女の妹である。
ナ・ボ・ノ・コという女は巫女であり機織女である。
巫女が太陽の姉であり、それを空から出し入れできるとは、伊勢の巫女神アマテラスが太陽を司り、それを斎王である巫女がその食事を司るという形式によく似ている。そして太陽を戦士が落すというのも、男神である大物主やスサノヲが、太陽神アマテラスやその巫女や機織女に災厄をなすことに似る。
落されたのは太陽だけであるはずなのに、村人たちの話ではなぜか月もろともに消えたことになっている。太陽と月、つまり日月(ひつき)はセットだということになる。そして月神とはほかならぬ、太陽を射落とした男の戦士なのであり、つまりは月=スサノヲ・大物主だということになろうか。
儒教成立前後の時代、中国では男が陽、女は陰とされてきたが、ミャオたちの間では巫女=支配者=王であり=陽であると思われる。
ミャオなどの少数民族は、かつては長江の王である。しかるに魏志などの史書が、倭人を述べるに夏華(かか)と同じか?などとしきりに書く。またエイ州に風俗が同じかとも書く。つまり倭人は彼ら長江の風俗に似ていたのである。
遺伝子的にも、実は彼らの血脈はわれわれ日本の中にいまだに隠されている。