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古志の文化・漆・翡翠・アスファルト・石油/融通無碍な縄文日本文化

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■漆は産地によって特徴がある
「日本では岩手県や茨城県,新潟県,栃木県などが主な産地です。このうち,岩手県が全生産量の約70%を占めています。

平成8年度の林野庁の統計によると岩手県(1850.0kg),茨城県(830.0kg),新潟県(281.0kg),栃木県(86.0kg)などで計3189.6kgとなっています。
   
中国の産地は,中央の山間地域に位置しする湖北省,湖南省,四川省,陜西省,貴州省などが主で,品質つまり,粘稠度,色,透明度,乾燥時間,硬さ,水分量など,その特長を生かして輸入されています。
日本と同様のウルシノキから採取されますが,地理的な違いや採取,集荷方法の違い,また輸送に時間がかかるなどの理由から,輸入される漆は日本産と比較して品質は落ちるといわれています。
   
ベトナム産漆はハノイの北のフートー省地区を中心に採取されています。
採取された漆は大きな桶に入れられ分離させてから,ラッコール成分の多い塗料に適した部分のみ輸入されます。輸入された漆は透明度は良いが乾燥が遅く,ゴム質が多いため乾燥皮膜は弱く,つやがあがりません。そのためろいろ仕上げには適しません。低温ではシャーベット状に固まってしまうといいます。
   
タイ,ビルマ産漆は艶は非常によく,濃褐色をしていまが,完全に乾燥するまで時間がかかります。しかし完全に乾燥すればろいろ仕上げもできます。ほとんど焼付け用として使われています。  
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/urushi/urushite/urushite.html
当ブログ既出記事http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/52427690.html
 
 
 
【福井】鳥浜貝塚から出土の漆の枝が約1万2600年前のものと判明 中国伝来が定説の漆文化、日本がルーツの可能性[2011/10/13]
 
 
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「福井県の鳥浜貝塚(三方町)の発掘がはじまる以前は、日本の漆文化は中国から来たというのが常識化していました。ところが鳥浜貝塚から、縄文時代前期の漆を塗った木器がたくさん出たのです。これは中国の漆よりはるかに古いものです。現在、日本で漆器(しっき)作りの盛んなところのひとつは石川県の輪島市(輪島塗)ですが、興味深いことに輪島塗もやはり、木器に漆を塗るのが特徴なのです。
 
 かつて私が編纂した『技術と民俗(上) 海と山の生活技術誌』(日本民俗文化大系13)、小学館、1986)で、「漆搔き」の項目をその分野に詳しい柳原眞さんに執筆を担当してもらったのですが、そのときに非常にびっくりしたことがあります。この項目では、主として岩手県二戸郡浄法寺(にのへぐんじょうほうじ)町の技術を扱ってもらったのですが、漆液を採集する技術者である漆搔きは「江戸時代以来、越前の人々であった」のです。山に入って漆を採る職人は、毎年、シーズンになると、福井県から東北の山に採取に行くというのです。漆の器を作る職人は各地にいますが、例えば岩手県の漆の樹液を採りに行くのは、地元岩手県の職人ではなく、福井の職人だったということです。
 ・・・・・・・・・・鳥浜貝塚からはたくさんのエゴマの粒も出たのですが、エゴマというのは奈良時代や平安時代の文書の記述も、また現代の漆工芸でも、漆器をつくるときの必需品なのです。漆は現在でもエゴマの粒からとる油と混ぜてつくります。これなどは日本海側で考えついた広い意味での木の文化の応用だと思います。」(森浩一『語っておきたい古代史』「古代日本海文化」「巨木文化」)
 
・・・・・・

漆部(ぬりべ)は木地師とともに動くので、本場は近江の永源寺だとばかり思っていたが、ども縄文時代から今に至るまで、日本海古志が中心地だったようだ。
 

漆加工品の出土地分布図
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付録・アスファルトで目を塗りつぶした土偶(秋田県大館市下遺跡出土 縄文後期・左端)
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『日本書記』「越の国が燃える水(石油)と燃える土(アスファルト)を献上」天智天皇紀
石油が出る県・・・新潟県・山形県・秋田県昭和町
アスファルト・・・秋田県槻木(つきのき)遺跡
アスファルトは艶出し剤、接着剤としても利用例があり奈良県橿原遺跡でも出土。
 
 
 
 
 
 
 
「日本海文化のもうひとつの特徴・・・縄文時代の遺跡から鰹節くらいの大きな硬玉ヒスイの玉が出るのです。・・・大正から昭和のはじめにかけての学者は、ビルマから持ってきたのだろうと書いています。・・・しかし縄文時代にビルマから硬玉ヒスイを持ってくるなんて、当時でも考えにくく、おかしいと思っていました。しかも縄文時代のが大きくて、弥生時代、古墳時代となるにつれて、だんだん小さくなっていくのもおかしなことです。
 ところが昭和十三年(1938)に東北大学・・・新潟県糸魚川市にそそぐ姫川の支流の小滝川で、原石を見つけたのです。・・・・昭和三十年代には糸魚川市の長者ヶ原遺跡(縄文中期)の発掘で、硬玉ヒスイも出る。原石もでる。半分磨いたのも出た。もう間違いないというのでビルマ説は消えたのです。
 その後の発掘で糸魚川市だけでなく、寺地遺跡のある青海町の青海川上流でも原石が採れる・・・。現在はどちらも天然記念物(ヒスイの密採取は重い罪になる)・・・。」(同書)

以上()内補足Kawakatu
 
 
古代に限れば、世界のヒスイの産地といえば日本の糸魚川とメキシコマヤ文化が二大ヒスイ文化圏である。ヒスイの産地は光の反射などで解明できる。
 
 


 
 
 
以上、日本海古志のオリジナル文化は縄文時代からありどれも世界最古である。
越前の技術は渡来技術だけではなく、先住縄文の技術ベースがあってこそ受け入れられ、同化したと見ていい。先住倭人と渡来倭人・韓人は、古代以来和合して助け合ってきた。それが日本人と言う融通無碍で寛大寛容な国民性であり、アジア唯一。世界でも稀有な、他者を排他しない文化圏が日本である。すべてを許し、忘れ前に向かう人々。これは誇りにしていい日本人最大の特徴。
 
 
 
そして、縄文文化こそが日本文化のオリジナルであり、日本人とはすなわち縄文人の血脈を持つものだと規定できる。これはDNAの問題だけではない。
 
 
 
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