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ここでは遊牧民の発酵食品であるチーズは扱わない。主として穀物と魚介類を使う食品・・・魚醤、なれ寿司、塩辛、くさや汁などを扱う。
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◆世界の魚醤
タイ・・・ナンプラー
ベトナム・・・ヌックマム (ニョクマム)
フィリピン・・・パティス (patis)
カンボジア・・・トゥック・トレイ
ラオス・・・ナンパー
ミャンマー・・・ンガンピャーイェー
インドネシア・・・ケチャップ・イカン
バングラデシュ・・・ナピ
マレーシア・・・ブードゥー
中国広東省・マカオ・・・魚露(ユーロウ)
福建省福州・・・魚奇露(キエロウ、1文字目は魚編に奇)
厦門・・・ケチャップ(鮭汁)
秋田・・・しょっつる(塩汁)
能登・・・いしる(魚汁)
香川・・・いかなご醤油
伊豆諸島・・・くさや液
イタリアの一部地域・・・コラトゥーラ・ディ・アリーチ、アンチョビ
古代ローマ・・・ガルム・リクァメン(フランス・イタリア・スペイン・ポルトガルなどから献納記事あり。カツオ食と同じくすべて地中海沿岸である)
タイ・・・ナンプラー
ベトナム・・・ヌックマム (ニョクマム)
フィリピン・・・パティス (patis)
カンボジア・・・トゥック・トレイ
ラオス・・・ナンパー
ミャンマー・・・ンガンピャーイェー
インドネシア・・・ケチャップ・イカン
バングラデシュ・・・ナピ
マレーシア・・・ブードゥー
中国広東省・マカオ・・・魚露(ユーロウ)
福建省福州・・・魚奇露(キエロウ、1文字目は魚編に奇)
厦門・・・ケチャップ(鮭汁)
秋田・・・しょっつる(塩汁)
能登・・・いしる(魚汁)
香川・・・いかなご醤油
伊豆諸島・・・くさや液
イタリアの一部地域・・・コラトゥーラ・ディ・アリーチ、アンチョビ
古代ローマ・・・ガルム・リクァメン(フランス・イタリア・スペイン・ポルトガルなどから献納記事あり。カツオ食と同じくすべて地中海沿岸である)
北欧にはシュールストレミングという聞きしに勝る缶詰があるが、イル汁はどうしているのだろう?何かにつけて食べたりしないのか?情報を。
◆臨シ人骨の人びととひしお
前に中国の山東半島の臨シ遺跡の民族は歴史上三度入れ替わっているという遺伝子DNAによる人骨分析を紹介した。その山東半島にはユーロウなどの魚醤が存在し、塩辛もある。このことから見えてくるのは、山東半島には最初2500年前には西アジア騎馬遊牧民が入っていたが、それが2000年前に江南の倭族に飲み込まれ、これが倭族である証拠として山東半島に魚醤や塩辛の伝統を残したと思われ、最後に排他的畑作牧畜民である漢民族が侵入して、それらすべての異民族を追い出したのであろうと考えられる。すると、考えようによっては日本の倭風習もスキタイの持っていた白人・トルキスタン遺伝子も、同時に2000年前に日本に避難してきた可能性がなかったか?とも思える。例えば以前も書いたが山口県土井ヶ浜の人骨にはトルキスタン的要素が見え、日本海側東北地方では白人形質の遺伝があるという伝承がよく言われていることと関与しはしないか?
◆世界の文献上の発酵食品
最古の魚醤の記録は『周礼』の紀元前3世紀
上記各国には同時に「肉醤(ししびしお)」がほぼ同居するが、これは「なれずし」の原型。
最古の魚醤の記録は『周礼』の紀元前3世紀
上記各国には同時に「肉醤(ししびしお)」がほぼ同居するが、これは「なれずし」の原型。
また塩辛もほぼ同時に存在する。
古代ローマの魚醤記録は紀元前1世紀。
共通する文化として米食、漁業がある。
東アジアはこれが大豆などの味噌文化から、浸みだした液体を使う醤油(穀醤)の発明によって交代していった。
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つまり魚醤と穀物の組み合わせによって発酵食品は発達するとみられる。
◆穀醤卓越地帯と魚醤卓越地帯
「古代中国での魚醤づくりは塩をした魚に麹を加えて発酵を促すと述べたが、同じ製造法で肉を材料として作った肉醤も食されていた。しかし、漢の時代頃から魚醤,肉醤の代わりに大豆や穀物に熱を加えたものを原料とする醤、つまり穀醤づくりの技術が生まれた。これが味噌、醤油の先祖にあたる。
「古代中国での魚醤づくりは塩をした魚に麹を加えて発酵を促すと述べたが、同じ製造法で肉を材料として作った肉醤も食されていた。しかし、漢の時代頃から魚醤,肉醤の代わりに大豆や穀物に熱を加えたものを原料とする醤、つまり穀醤づくりの技術が生まれた。これが味噌、醤油の先祖にあたる。
その後,穀醤は東アジア、すなわち中国,朝鮮半島,日本で発達した。日本は中国の食文化が入ることで,かつてあった魚醤文化が消え、味噌,醤油を主な調味料とする文化になった。しかし、東南アジアでは近代まで穀醤の技術が伝わらず、魚醤とスパイスが味付けの主流となった。東南アジアは魚醤を調味料の中心とするいわば“魚醤卓越地帯"、東アジアは穀醤を中心とする“穀醤卓越地帯"といえる。この2つの地帯は塩味とグルタミン酸を共有する“うまみの文化圏"を古くから確立していた。
塩辛は大豆や穀物を発酵させたモロミに、塩辛ペーストは味噌類に、魚醤油は醤油に対応し、ほぼ同じ用途に利用される。原料や製法の違いを超えて、食生活における調味の共通性が東アジアと東南アジアに存在する。その共通性は非牧畜、水田稲作地帯の食事パターンに根ざしているように思われる」
http://ishige.syokubunka.or.jp/archives/fishsauce/chapter10.html
http://ishige.syokubunka.or.jp/archives/fishsauce/chapter10.html
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ごらんのように東アジアではなれずしと魚醤はリンクする。魚醤や魚介類・穀物の醗酵食品の派生はインドシナと石井直道は見ているが、なぜかインドシナにはカツオ食が存在しない。カツオはインド洋の暖い海で産卵し北上する暖流を好む魚類だが、インドシナでは、まだ十分に肥大せずに幼魚のまま東シナ海から日本へ向かうようである。だからインドシナではカツオは漁業の対象にならないようだ。インド洋で産卵し、太平洋へ遡上し、北の海のプランクトンで大きく育って戻りガツオとなってまたインド洋に戻るのだろう。こういう高度回遊性は鯨も同じである。北上してベーリング海へ向かう。そこには世界最大のオキアミの生育地があるのだ。
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伊豆諸島のとびうおのくさや
うまいぜ。
伊豆諸島で調味料と言えばウッショとエンバイである。
ウッショは潮、つまり海水、塩。
エンバイは塩配(塩梅)でウッショをベースにして・・・
「魚をたたき塩を入れ、肉醤をつくり貯蔵し、その上澄みの汁をとって、醤油とし、下層に沈殿し、凝集したもの」
『伊豆諸島東京移管百年史(上)』東京都町村会編1981
どちらかというと味噌のような固形物である。こういう上澄み以外の沈殿物まで使う習慣は、世界では魚醤と同様の製法で作られ、液体を漉した後の物を固めたペースト状の調味料も用いられている、インドネシアのトラシ (trassi) や、マレーシア、ブルネイのブラチャン (belacan) 、フィリピンのバゴオン (bagoon)、カンボジアのプラホック (ប្រហុក、prohok)、ミャンマーのンガピ (ngapi) などがある。トラシやブラチャンはオキアミのペースト。マカオ周辺でもオキアミを用いた蝦醤(ハーチョン)などがある。
例えば地中海のカタクチイワシを使ったアンチョビなども使い方は調味料で、熱調理すると溶けてなくなるから味噌、エンバイだといえる。
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古代からあったのは中国・ベトナム・日本そしてローマだけである。
「◆日本では、近代的な食生活において、塩分濃度が高く風味が独特な魚醤は、醤油やうま味調味料の普及により一般家庭での使用は減っているが、いくつかの地方には魚醤を用いる文化が残っており、郷土料理などに利用されている。主なものでは、秋田でしょっつる(塩汁)、能登でいしる(魚汁)、香川でいかなご醤油が製造され、地元を中心に使用されている。この他1990年代後半ころから伝統的製法とは異なる製法が開発され、商品が製造販売されている(新製法の項目参照)。また、伊豆諸島でくさやを製造する際に用いられるくさや液も魚醤の一種であると考えられる。また90年代以降のタイ料理やベトナム料理の普及に伴い、後述の東南アジアの魚醤が比較的容易に入手可能になっている。
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◆東南アジアでは、タイのナンプラー (น้ำปลา、nam pla) 、ベトナムのヌックマム (nước mắm ニョクマムとも) が世界的に有名である。他にも、フィリピンのパティス (patis)、カンボジアのトゥック・トレイ (ទឹកត្រី、tuk trey)、ラオスのナンパー (nam paa)、ミャンマーのンガンピャーイェー (ngan-pya-ye) 、インドネシアのケチャップ・イカン (kecap ikan) などがある。中国の広東省やマカオの魚露(ユーロウ)も地元で広く使われている。これらの言葉はおおむね「魚の水」という意味である。福建省福州では𩸞露(キエロウ、1文字目は魚編に奇)といい、厦門のケチャップ(鮭汁)の「鮭」と同じく塩辛を意味する語と、「露」を組み合わせている。」
「◆歴史的には、古代ローマにおいてもガルム(ラテン語: garum)と呼ばれる魚醤が使われていた。現在でもアンチョビーペーストやサーディンペーストがある地帯は、かつてはアンチョビやサーディンの魚醤油が使われていた痕跡である。またイタリア南部アマルフィ周辺では、ガルムの流れを引くカタクチイワシの魚醤、コラトゥーラが今も作られている。
ケチャップは、トマトから作られるトマトケチャップが有名になっているが、ケチャップの語源は、福建省や台湾の「鮭汁」 (kechiap) という魚醤をさす言葉であるとする説が有力である(ケチャップを参照)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E9%86%A4
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E9%86%A4
伊豆諸島のエンバイはシュウデ、ショッカラ、シオカラなどとも呼ばれ、アジ・トビ・サバ・カツオなどの頭・腸・身を叩いて、一斗(18リットル)に対して塩水(ウッショ)を煮詰めてとった塩、三升から三升五分を加え、桶に入れて蓄える。この上澄み液を「イル」という。いわゆる「ひしお」である。
伊豆諸島の名物といえば、カメノテやマツカサ貝でとった出汁にこのイルを入れ込んで煮込んだ「オジヤ」だ。
アシタバ・里芋・芋の茎(イモジ)・粟・かぼちゃ・海藻のはじっこなどを具に入れてぐつぐつ煮た雑炊である。
八丈島以外では戦争までは稲作がなく、粟・ヒエ・イモが中心だった。
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なにがなにやら・・・このままでは「うえ~~~」っとなりそうだが、なぜかうまいのね。くせになるのが塩辛・くさや類。
◆クサヤ
三宅島の大久保浜が有名である。ここの魚醤はクサヤ生産の副産物としてクサヤ汁が使われてきた。
三宅島の大久保浜が有名である。ここの魚醤はクサヤ生産の副産物としてクサヤ汁が使われてきた。
干物にする魚のはらわた、一斗樽八分目に対して塩2㌔で塩辛にする。このときクサヤ菌が混じらないように注意。混じると臭くて喰えなくなる。一ヵ月後、天日に当てて発酵させる。
天日に干しながら棒でかきまぜる作業は、ベトナムのニョクマムがまったく同じ行程で作られる。
やはり海からやってきた文化なのだろう。20世紀以前から魚醤を作ってきたのはベトナム・中国・日本だけだと石毛直道は書いている(1986)
日本の現代の魚醤分布
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◆木簡に書かれた魚醤
奈良・平安時代の木簡では、平城京で「ふなのししびしお」というのが出ている。フナの塩辛であろうという。平安時代の神饌記録『延喜式』には「鮭背腸」(サケの血合いの塩辛)、「腸漬蝮」(アワビのワタに漬け込んだアワビ塩辛)がある。特に腸漬蝮は絶品であり、同じものは種子島に「福多求フクタメ」がある。
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54015207.html
「淡水魚の場合、雨季と乾季の繰り返しによる季節的な水位の変動が魚の生態に大きな影響を与える。東南アジアの河川には堤防がなく、雨季になると河の水が氾濫して低地に水が流れ込み、水田一面を水が覆う。集落は小高い所にあるが河川から田んぼから水に浸っている状態となる。すると、河川の本流から水田に魚や魚のえさのプランクトンが入ってくる。
これらの魚は稲の切り株に卵を産みつけることにより、肉食性の魚から守られて稚魚がかえる。乾季になると水が引くので、水路に網ややなを張ると稚魚が一遍にとれるのである。東南アジア大陸部の各地には、このような水田での魚とりが行われ、その漁獲物が農民の副産物になったり、魚醤の材料に加工される、水田耕作と漁業がセットになった生活の地帯がある。
東南アジアで魚醤が起源した場所は、おそらくメコン河流域の、東北タイとラオスあたりではないかと考えられる。その辺りは現在ではラオス系の民族が住んでいるが昔はクメール族の土地であった。また、この地方は内陸の塩が比較的簡単にとれるので、古代のクメール族が東南アジアにおける初めての魚醤をつくったのではないか。現在でもタイ、ラオス国境のメコン河あたりが東南アジアにおける魚醤のセンターで、種類も豊富である。
http://ishige.syokubunka.or.jp/archives/fishsauce/chapter6.html
http://ishige.syokubunka.or.jp/archives/fishsauce/chapter6.html
◆魚醤のうまみ成分表(石毛)
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海産物・穀物発酵食品のうまみ成分はカツオのイノシン酸とは違い主としてグルタミン酸を多く含むが、複合して生成されることでイノシン酸も含まれる。
発酵食品文化を大別すると遊牧民・牧畜民の発明した乳製品(チーズや馬乳酒など)と、漁労稲作文化が作り出した魚醤・塩辛文化に分けられ、これはそのまま草原の民族と海・島嶼・半島の民族のすみわけにリンクする。
ということは、カツオ食から見ても、魚醤から見ても、日本人はやはりオーストロネシア島嶼民族=倭種を基層とした縄文人ベースの民族であるということになるだろう。言語の膠着語要素から見てもそうなる。ところが遺伝子の中心だけが北方系新モンゴロイドだと語っていることとなり、文化と血脈に大きな矛盾があることに気づくのである。それはなぜかがこの特集記事の、実は最も大きな命題なのである。
魚醤・塩辛・くさや・なれずしなどの発酵食品・発酵調味料について詳しく調査している人では、石毛直道、あるいは小泉武夫が著名である。
知らない人もいるかも知れないが、うまいラーメンの下味にも、実は魚醤が使われている店がある。同じスープで作っているラーメンなのに、なぜかあそこはうまいと言われる店は、ナンプラーなどの魚醤をどんぶりに潜ませてあるのだ。
独特のあの臭みこそがうまさの秘密なのである。プロの裏ワザは、実はスープよりも隠し味に存在する。
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Kawakatu’s HP 渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
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