しばらくぶりです。
充分に休養させていただきました。
磐井の乱後も続いた九州北東部と新羅の関係とヤマト政権誕生について、考古学から新たな視点がNHKEテレで番組化されている。http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2014/05/0507.html
若手考古学者・松木武彦や韓国考古学者らの意見を参考にしながら、Kawakatu独自の視点、これまでの九州王朝衰亡に関する新たなヒントを得たので、本日はこれも記事(複数記事になるだろう)にしていきたい。
ひとまず前回このブログで示してあった船原古墳過去記事(2013/11/27(水) )を転載しておく。
古賀市船原古墳群出土金銅製歩揺付飾金具の豪華さと宗像氏と高句麗騎馬遊牧民(この時は高句麗と書いたが、次回記事からは新羅・百済中心に考える)
「福岡県古賀市教育委員会などは24日、古墳時代後期(6世紀後半~7世紀初め)の同市の船原(ふなばる)古墳遺物埋納坑で出土した馬具「金銅製歩揺付飾金具(ほようつきかざりかなぐ)」が国内に類例のない形状であることが分かったと発表した。」
西日本新聞2013年11月25日(最終更新 2013年11月25日 00時09分)
出土状況
つぶれていた
3Dスキャナーによる復元
●船原(ふなばる)古墳群(福岡県古賀市)
古賀市の遺跡http://www.city.koga.fukuoka.jp/guide/history/003.php
古賀市立歴史資料館
電話:092-944-6214 Eメール:bunkazai@city.koga.fukuoka.jp.
古賀市立歴史資料館
電話:092-944-6214 Eメール:bunkazai@city.koga.fukuoka.jp.
●馬具装着図
胸部か尻部かにとりつけた?
●歩揺とは?
歩揺は花びら形の金属で、傘の骨のように枝分かれした金具からつり下げる。今回は、六角形の金属板の中央に高さ約5センチの大型の歩揺付き金具を配置し、周囲に高さ約3センチの歩揺付き金具6点を立てるデザイン。いずれも銅の表面に金を施した豪華なものだった。
金銅製歩揺付飾金具はくらの後ろ側に取り付けられ、馬が歩くと、花びら形の飾り(歩揺)が光を反射しながら揺れる装飾品。市教委によると、再現したのは六角形(対角間の長さ約11センチ)の金属板の中央と、周囲6カ所に歩揺付飾金具を1セットで配置したデザイン。中央は高さ約5センチで歩揺は8個、周囲は同約3センチで各4個の歩揺を計24個つり下げている。出土した部品の多さから、複数が埋納されていたとみている。
http://www.nishinippon.co.jp/nlp/showbiz_news/article/54293
http://www.nishinippon.co.jp/nlp/showbiz_news/article/54293
中国・鮮卑族の冠。木の枝を模し、歩くと枝葉が揺れることから歩揺冠(ほようかん)と呼ぶ。
五胡十六国・南北朝時代、鮮卑族が王権を形成し、それが引き継がれて中国貴族の冠となった。
http://curren.sakura.ne.jp/curren/curren/on_game/DOL/100104_2DOL.html
歩揺付飾金具は、国内では沖ノ島(同県宗像市)や藤ノ木古墳などで単体は出土しているが、複数の金具がセットになったものはなかった。田中良之・九州大大学院教授(考古学)によると、これと似た構造は朝鮮半島の新羅で見つかっており、「船原古墳の埋葬者は新羅と独自のルートを持っていた豪族の可能性がある」と分析する。
http://www.nishinippon.co.jp/nlp/showbiz_news/article/54293
北朝鮮の発掘情報がないので、高句麗とのもっと深い交流資料がわかっていない。発掘次第では新羅より高句麗の可能性がある(Kawakatu)
【冠】より
… 漢文化の浸透する以前の匈奴,鮮卑などは頭部を覆ったり周囲を飾る金製の冠を用い,王権の象徴とした。4世紀以降の鮮卑,高句麗,百済,加羅,新羅では,以前の匈奴や鮮卑の制をうけつぎ,歩揺とよばれる金片をちりばめた金製の冠を用い,そのほかに羽根をつけたり樺を付した冠があった。とくに古新羅の墳墓からは,多くの金製の優品が発見されている。…
http://kotobank.jp/word/%E6%AD%A9%E6%8F%BA
… 漢文化の浸透する以前の匈奴,鮮卑などは頭部を覆ったり周囲を飾る金製の冠を用い,王権の象徴とした。4世紀以降の鮮卑,高句麗,百済,加羅,新羅では,以前の匈奴や鮮卑の制をうけつぎ,歩揺とよばれる金片をちりばめた金製の冠を用い,そのほかに羽根をつけたり樺を付した冠があった。とくに古新羅の墳墓からは,多くの金製の優品が発見されている。…
http://kotobank.jp/word/%E6%AD%A9%E6%8F%BA
●参考遺物
【和:きんかんしょく(ほようかん)】
【中:Jin guan shi】
晋・南北朝|金銀・玉器>金冠飾(歩揺冠)
西晋時代
1957年遼寧省北票県房身村晋墓出土
金製品
幅17.5cm 高さ14.5cm 重さ37.4g
遼寧省博物館蔵
南北朝時代に、北方遊牧民の鮮卑慕容部の人々が歩揺冠とよばれる冠を好んでいた。慕容という部族名も彼らがこの冠を好んで着用することから、まず「歩揺Jとよばれ、後に発音が訛って「慕容Jとなったという。以後、歩揺冠は北方民族に採り入れられ、貴族の冠となった。この金冠飾は、歩揺冠の立ち飾りである。これは葉と枝の茂る金の樹木のような形をして長方形の金板の上に立つ。金板の真中に凸稜があり、両側に透彫による雲文が配置され、周囲に突刺文がいっぱいめぐっている。金の樹木は七つの枝に分かれ、枝ごとに桃形の葉を吊す環が嵌められている。冠をかぶった人間が歩きだすと、樹木の枝は歩調と風に従って揺れはじめる。故に「歩揺Jと呼ばれていたのである。出所:『中国の金銀ガラス展』
http://abc0120.net/words/abc2007073105.html
http://abc0120.net/book/abc0011.html
1957年遼寧省北票県房身村晋墓出土
金製品
幅17.5cm 高さ14.5cm 重さ37.4g
遼寧省博物館蔵
南北朝時代に、北方遊牧民の鮮卑慕容部の人々が歩揺冠とよばれる冠を好んでいた。慕容という部族名も彼らがこの冠を好んで着用することから、まず「歩揺Jとよばれ、後に発音が訛って「慕容Jとなったという。以後、歩揺冠は北方民族に採り入れられ、貴族の冠となった。この金冠飾は、歩揺冠の立ち飾りである。これは葉と枝の茂る金の樹木のような形をして長方形の金板の上に立つ。金板の真中に凸稜があり、両側に透彫による雲文が配置され、周囲に突刺文がいっぱいめぐっている。金の樹木は七つの枝に分かれ、枝ごとに桃形の葉を吊す環が嵌められている。冠をかぶった人間が歩きだすと、樹木の枝は歩調と風に従って揺れはじめる。故に「歩揺Jと呼ばれていたのである。出所:『中国の金銀ガラス展』
http://abc0120.net/words/abc2007073105.html
http://abc0120.net/book/abc0011.html
●参考人物
莫護跋(呉音:まくごば/もごばち、漢音:ばくこばつ/ぼこはつ、拼音:Mòhùbá 生没年不詳)は、魏代の鮮卑族の大人(たいじん:部族長)。慕容部の始祖。子は慕容木延。慕容廆の曽祖父にあたる。
魏の初め、莫護跋は諸部を率いて遼西に入居する。
景初2年(238年)、司馬懿の公孫淵討伐に功があって率義王を拝命され、棘城の北に建国する。
時に燕,代の地方では歩揺冠(歩くと揺れる冠)をかぶる者が多く、莫護跋はこれを見て気に入り、髪をまとめて歩揺冠をかぶったので、諸部は彼のことを歩揺と呼ぶようになり、その後音が訛って、慕容となった。
彼の死後は、息子の慕容木延が後を継いだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8E%AB%E8%AD%B7%E8%B7%8B
景初2年(238年)、司馬懿の公孫淵討伐に功があって率義王を拝命され、棘城の北に建国する。
時に燕,代の地方では歩揺冠(歩くと揺れる冠)をかぶる者が多く、莫護跋はこれを見て気に入り、髪をまとめて歩揺冠をかぶったので、諸部は彼のことを歩揺と呼ぶようになり、その後音が訛って、慕容となった。
彼の死後は、息子の慕容木延が後を継いだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8E%AB%E8%AD%B7%E8%B7%8B
●筆者感想
古墳に付属する遺物埋納孔を持っていること自体が大豪族だったことを偲ばせる。
歩揺は北方系騎馬遊牧民の特徴的装飾である。
船原古墳は古賀市という立地、七世紀の古墳、沖ノ島に多く出る歩揺冠などから七世紀胸方君徳善を出す宗像一族の墓と推測する。
歩揺は北方系騎馬遊牧民の特徴的装飾である。
船原古墳は古賀市という立地、七世紀の古墳、沖ノ島に多く出る歩揺冠などから七世紀胸方君徳善を出す宗像一族の墓と推測する。
宗像氏は、胸や肩にいれずみがあり、これを魔よけとした海中に没して漁労採集した海の氏族の子孫であろう。
つまり倭人伝が言うところの「倭人」とはまさに彼らである。
宗像君徳善は七世紀天皇家に妃をさしだし、突然のように日本史に登場。
その大古墳宮地嶽古墳(歴代二位の長さの石室を持つ)からは窓に使うほどの大きさの西洋ガラス板など、特殊で絢爛豪華で、正倉院をしのぐような海洋交易の品々が。
沖ノ島遺跡からは国宝級遺物が大量に見つかっている。また宮地嶽古墳からは高句麗様式の王冠が出ており、宗像氏が近畿よりもかなり古くから北方アジア諸国とつきあっていたことは明白である。
筆者の宮地嶽神社・宮地嶽古墳訪問記事
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/52944846.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/51670164.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/51659945.html
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福岡県宮地嶽神社古墳伝世品
高句麗様式の王冠はここからしか出ていない。近畿地方の王冠は百済様式で新しい。
高句麗様式の王冠はここからしか出ていない。近畿地方の王冠は百済様式で新しい。
●福岡県古賀市谷山北船原古墳群アクセス
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