弥生時代は世界史であてはめれば青銅器が入ってきた時代。しかし日本史に青銅器時代という呼称はない。
その理由はまず日本の先史時代編年を土器に定めたからなのだが、ほかにも理由はある。日本の弥生時代の銅器のすべては実用性がない祭祀専用の道具だったからだ。
あのばかでかい銅剣も銅矛も、まったく戦いに使用されてはおらず、実際に使用していたものは石でできた武器だったことがわかっている。戦場からわずかに出る銅器は鏃だけで、あとは全部石製品である。
もろく、重たい武器でなぜ戦ったか?
先史時代が縄文もそうだが「使い捨て時代」だったからだろう。
食器や土器も、多くは使い捨て、祭器さえも使い捨てでまとまって出る。
銅器や鉄器は溶かせば再生できる。しかし石器は壊れたら接着剤でもなければ元には戻らない。実用道具はだいたい石器、土器、木製品である。それだけ金属は貴重だったのだ。だから伝世が多くなり、墓に埋納するためにわざわざ大きくしたり、小さくしたりしてある。
かつては石器が祭器にされていた。その証拠は素材に緑泥片岩をわざわざ使うものが多いことでわかる。ほかの実用的道具と色で区別していたのである。
青銅器が入ってくると、その緑泥片岩の色をしていた。だから祭器にはふさわしかった。つまり緑色が祖霊の色だと思っていたからである。それは縄文時代の東北人もそうだった。つまり弥生倭人の美観や観念も、実は縄文からの伝統的なものを踏襲したということになる。あるいはそれが東洋人の共通性か?そしてその渋い緑色こそが、のちの時代になっても「わび・さび」の色彩として存続したのである。現代日本人も感じるその渋い色へのあこがれは、葬式饅頭の緑色として如実に祖霊再生願望として残存していると言える。
緑色の石で作られた武器
翡翠の勾玉などその代表である。
これが祖霊の色と形であることは、ちゃんと胎児の形であり、新生児を日本で「みどりご」と呼ぶことから容易に思いつけることである。それは生命力の色と形。太古から続く照葉樹の照り返す葉とおなじ意味を持っている。つまり神社にささげる椿やユズリハである。
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