童話浦島太郎の元になった説話は『日本書記』雄略紀の「丹波国余社郡管川の人、端江浦嶋子」の逸話である。
「よざのこほり、つつかわのひと、みずのえのうらのしまこ」と読む。
まず余社郡とは京都府与謝郡である。となりに大江山の加悦郡(かやぐん)もあって、与謝は歌人与謝野鉄幹の母方の在所でもある。
ここに浦嶋神社がある。日下部氏が祭る。
すぐそばには天橋立で有名な海部氏の籠(この)神社。海部氏系図が国宝に指定されている。
管川と書いて「つつかわ」と読むのは、管が筒と同じもの、形状だからである。つまり「つつ」なので蛇である。
瑞江は水江で「みずのえ」であるが、みずのえは一文字で「壬」である。壬生(みぶ)の「壬」で「み」つまりこれも蛇である。壬生氏は反正天皇(たじひのみずはわけ)の乳部(=めのと)氏族である。
「み」は蛟・水霊で雷神であり、「龗=おかみ」とも言う。この文字は雨と龍の間に三つの「口」が置かれるが、鎌倉時代の『徒然草』に「蛇」と書いて「くちなわ」と読ませており※、「くち」は蛇の異称「くちなわ」で、多頭の蛇すなわりインドのナーガ=蛇神をあらわしており、「くらおかみ・たかおかみ」も雷神=いかづちである。この神は水神を祭る京都貴船神社の祭神ゆえに竜神。また三島信仰の神社などでも祭られ、さらに奈良のアジスキタカヒコネを祭る大和神社にもたかおかみが祭られるので、ウミヘビである。琉球でも出雲でもヤマト大三輪でも石上神社でも蛇は神で、雷神竜神であり、先住縄文系氏族の守護神だったといえる。
※枕草子にも蛇をくちなわとある。。藤原定家らと「新古今和歌集」を編纂した鎌倉時代の歌人・藤原家隆 (1158-1237年)が,「夕陽... ... 口縄とは蛇のことで、道の起伏が「蛇(くちなわ)」に似 ているところから、この名が付けられたと伝えられる。
タケミナカタも八重子事代主もアジスキタカヒコネもスサノヲもオオクニヌシも、蛇であるが史書は一括して出雲の神でくくってしまっている。右代表=先住民の蛇神信仰だと思っていい。信州の蛇の縄文土器の子孫たちである。寒冷化で日本海を南下して出雲あたりで宗像・安曇・住吉と遭遇して合体する。
いずれも蛇の子孫である。やがてヤマトにはいって葛城や物部や大三輪や尾張・海部となってゆくのだろう。アマテラスなどは彼らの太陽信仰の格式化された天皇神である。スサノヲとアマテラスが兄弟、オオクニヌシがスサノヲに婿入りする、ヤマタノオロチが古志のヌナ川から来る・・・すべてこれで解釈可能になる。北の縄文が南の倭人縄文と日本海で出会い、先に近畿に入っていたところを、あとから来た何者かが懐柔統合してヘテラルキー色の濃厚な日本国の基礎を作った。
水江は丹後半島の竹野郡の網野町にある淡水湖であるが、かつては汽水の潟湖のことである。網野神社には浦嶋子が祭られているので、広くは往古丹後半島も与謝郡だったのだろう。
日下部氏はヤマトで、河内湖つまり住ノ江・墨の江の突き当たる日下江(東大阪市日下)の海人族で、宮廷の門を守護した靫=飾り弓矢の氏族なので、弓矢の矢も蛇である。雄略時代までは鎮西の守護として派遣された。
さて、そうすると直弧文の氏族のひとりでもあるかと見える。
葛城氏とともに吉備のステータスだった弧帯文を切り刻んでコラージュした直弧文を持った氏族ということになる。これは的臣(いくはのおみ)、刃連臣(ゆきのおみ)らも同じであろう。
すべて南北縄文+弥生・日本海・海蛇でまとめることができる。
わかりやすい。
浦島太郎が竜宮から帰って玉手箱をひらくと歳をとる。
蛇は脱皮して成長する。
おなじことである。
つまり浦嶋は蛇である。
Kawakatu’s HP 渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳
http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U