これは古代ギリシアから古代ローマの時代に愛用されたトゥニカ: tunicaという衣装である。
現代の服飾用語では英語でチュニックと言っている。
女性が下にパンツやスパッツを履いて着ているワンピースをチュニックと読んでいるが、最初は男性の簡易衣服で、あのシーザーやヘラクレスも愛用していた普段着。
特徴的なのは腹部に巻く紐つまり縄のベルトである。
これのロングタイプにフード付マントを羽織れば修道士の着衣になる。
修道士のチュニックとマント
これを着ているのは西洋の神話では神や精霊である。
つまり日本で言えばこなきじじいとかなまはげの蓑のようなものである。
このトゥニカ=チュニックが出てくる前は、西欧人の衣装は単にヌノッキレを体にまとったトゥーガであった。
なんとなく見覚えもあるだろう。
この人物の羽織っているトゥーガの特徴は、たゆとうような波打つドレープ。
このように細やかなドレープができるのは、布地が絹素材せなければならない。
木綿などではこれほどの細やかな襞(ひだ)は生まれ得ない。
すると古代ギリシア人は絹を愛用してきたことになるが、一般的人間にはそうでもない。
像は高貴さをだすがためにきのようにドレープを刻み込んだのだ。これはだからある意味、神々の衣装なのだろう。
この様式が東洋にやってくるのは、かなり遅くなる。
それも実用的衣服としてでなく、宗教美術の仏の衣服としての観念的輸入であった。
まずは中近東から西アジアでこのようなガンダーラ様式としてやってくる。
日本には平安時代になってようやく到着し「翻波式(ほんばしき)襞」と言われた。
平安時代以前まで、このような西洋的なドレープは日本にはなく、もちろん衣装としてはまったく定着せずに、聖なる仏の衣装でしかなかったのである。
絹のドレープはその後西欧ではドレープカーテンを生み出し、さまざまな高尚な式典などで、会場の要所にこれが使われるようになる。いわゆる日本人が感じる、レセプションの三色旗の半円形のドレープなど代表である。
一方、日本式の祭典の布地は紅白の幕である。
そこには波打つ襞など存在しない。
この美観の相違は、かなり大きい精神性に影響を及ぼしている。
ゴージャスに思うデザインの東西の相違である。
十二単のゴージャスさには、ドレープは一切使われず、単なる色とりどりの布地を重ね着するばかりだった。
つまり曲線とひねりが、東洋の美的観念にはなく、それはあくまで神や仏の衣服でありつづけたのだった。
このギリシア女性の衣服は、上着がトゥニカで、下はのちにシュミーズと呼ばれるようになるドレープスカートである。
襞の多いスカートは、日本や朝鮮では、女官の袴であるが、しかしその折り目正しいチョゴリの折り返しはやはり平面的で、絹地の持つ、ふわり立体的な曲線の盛り上がりをうまく引き出せていない。
今で言えば「フェミニンな」ラインはあきらかに西欧人のまとっていたものだけである。
以上。
あとはいろいろなことに結び付けて各自ご高察ください。
参考サイト 古代ローマの生活:服飾 http://flora.karakusamon.com/IMG2/index.html
Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
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