なんの先入観もなしに土偶と縄文土器を愛でるページ
遮光器土偶の分布はこの前の記事にアップした。
西日本の兵庫県にまで出土する。
ということは縄文人は近畿まで来ていた証拠である。
それは当時の近畿が縄文的な落葉樹気候だったということなんだろう。
その後もしばらくは近畿は縄文と弥生が交差する場所だったのであり
記紀が言うように、そこに縄文人的あるいは土蜘蛛のような人種がいたということではなかろうか?
その彼らは尻尾が生えていたとか、井戸の中から出てきたとか、手足が長いとか表現されている。
存外、記紀の記述には正しいものがあるのだろう。
背中にたすきをかけている・・・
たすきがけは巫覡者のしろしで、弥生時代も古墳時代もそうだった。
埴輪でも巫女はたすきがけである。
この洗練
このピュアな美観・・・
胎児のような、母親のような、新たなるいぶきの誕生は、縄文人にとって感動的だっただろう。
このようなオブジェには、単純に男性にはない、女性だけが持つ宇宙的な機能・・・つまり男にはとうていできない「生命を生み出す」という神秘的なことへの脅威がある。
おとこたちにとって、おんなは永遠に理解を超えた聖母だったのであろう。
山梨県の地蔵が岳
ここもまた空にある聖地である。
この形状を平面に置き換えれば、突端の岬や三叉路の股になる。
YとVへのあこがれは永遠の人類のあこがれであり続けた。
永遠を象形化すること。
それこそがこれからもまた人類共通の芸術テーマである。
変わることなど、それこそ永遠にない。
西洋人も、アフリカ人も、島人も、そして朝鮮人も中国人も日本人も、実は人類は皆、同じはらからなのであろうのに・・・・なにゆえに互いに奪い合うのか?
それは人類がいまだに「猿から分かれてたった60万年」の未熟者だからに違いない。
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