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テュルク系民族語と日本語/日本人の中の白系血脈

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中華3 隋・唐を記事にするつもりだったが、短くまとめるのは大変だと判断し、それよりも、隋が滅亡する要因となった東突厥、また東突厥の援助を受けて成立した唐というまとめかたのほうがより面白くなりそうなので、ひとまず東西突厥という遊牧民国家のことを知っておこうと判断した。
 
隋と唐の相違は、長期政権を中華において作れたか作れなかったかにあり、その最大の基点にあるのが東突厥との確執であったと言ってよい。
 
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つまり東アジア北部において、突厥民族つまりセルジュク・トルコ帝国、オースマン・トルコ帝国系遊牧民諸国家のステップロードへの拡大は、中国に万里の長城を作らせるほどの難敵、最大のライバルだったと言ってかまうまい。それをひとまとめにしてテュルク語系諸国としていいだろう。テュルクとは広くトルコ系遊牧民諸語を使う民族で、テュルクはトルコの語源であるが、現在、日本ではアナトリア地方の国をトルコと発音し、テュルクは言語において共通性を持つカザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、モンゴル、トルコ、パキスタンなどのウイグル語族国家全体を指す広義のトルコ世界を指している。
 
 
テュルク系民族(テュルクけいみんぞく、 英語: Turkic peoplesまたはTurksトルコ語: Türkロシア語: Тюрки)は、中央アジアを中心にシベリアからアナトリア半島にいたる広大な地域に広がって居住する、テュルク諸語を母語とする人々のことを指す民族名称である。
 
 
 
突厥第一帝国の版図
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春秋戦国時代の東アジア
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突厥はまだ帝国を築くほどではなく北部の脅威ではあったが、それほどでもない。中華が戦乱の時代・・・つまり気候不順の時代になって遊牧騎馬民族の本領を発揮しユーラシアの東西を席巻し始める。東西に突厥国を持ちついには隋を滅ぼす。
 
隋時代の東アジア
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隋~唐への時代の東アジア
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大唐時代
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モンゴル帝国時代のテュルク系民族の広がり
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長文引用
騎馬民族がもたらした日本のことば  東 巌夫

4.突厥語、テュルク語、ウイグル語について

突厥語とは、北東アジアの古代の民族である「突厥族《の言語です。テュルク語とは、時代・地域に関係なく突厥語(族)から派生した言語を表すものです。
 オルホン・エニセイ碑文などに見られる古代テュルク文字(突厥文字)の例2)を図4に示しました。

図4.古代チュルク文字(突厥文字)の例
          図4.古代チュルク文字(突厥文字)の例

ウイグル語はテュルク語の一種で、中国の新疆ウイグル自治区で用いられています。
ウイグル語を話す人は、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、モンゴル、トルコ、パキスタンなどにも広く分布しています。現代のウイグル語は古代のテュルク語の要素を多く残しており、テュルク系言語の代表として現代ウイグル語を用いることができます。古代のウイグル人は突厥文字を用いていいましたが、突厥文字は書くには上便で、アラビア文字系のウイグル文字、更には転写文字で表すようになりました。

表2に現代ウイグル語の字母と転写文字の関係を示しました。また、古代テュルク文字(アルファベート:字母)と転写文字、表記文字の関係を表3に示しました。

          表2.現代ウイグル語の字母と転写文字
表2.現代ウイグル語の字母と転写文字

         表3.古代チュルク文字(オルホン・エニセー碑文の文字)
表3.古代チュルク文字(オルホン・エニセー碑文の文字)
                             字母の( )は、字母の変化を示す
引用資料
2) 世界の文字{中西印刷(株)};
http://www.weblio.jp/content/%E7%AA%81%E5%8E%A5%E6%96%87%E5%AD%97

5.日本語によく似た古代テュルク語とウイグル語の例

(1) 「ちゃら《、「ちゃらんぽらん《
  日本語の「ちゃら《は、小学館・国語大辞典によれば
  ① 口から出まかせに言うこと、いいかげんなことを言うこと
  ② にせもの   となっています。
  また「ちゃらんぽらん《とは、一口に言えば、「いいかげんに《という意味の副詞です。

古代テュルク語の「チャラン・ブラン《(Ċalaŋ-bulaŋ)は、1072~1074年に刊行されたマフムダ・カ シカルの「テュルク語大辞典《に収録されており、
  ① 軽々しく、いいかげんに。お粗末に、雑に
  ② あわただしく、そそっかしく
  ③ さっぱり気にしないで、全く気にしないで
  ④ 上注意に   と説明されています。

日本語の「ちゃらんぽらん《に最も近いものは①ですが、時として②~④の意味にも用いられています。
 Ċala (チャラ)、Ċala-bula (チャラ ブラ) の用例を以下に示します。

  Bala(バラ)   qilɣan (キルガン)  iš (イッシ ) Ċala (チャラ) 
   子供 (が)   やっ た      仕事(は)   中途半端>

  Ċala-bula (チャラ ブラ)   išili-(イッシィリ)
   いいかげんに        はたらく   

  gäp (ギャップ)  qilmay(キル マイ ) uxla(ウッフラ)
  はなし(を)   しないで      ねむりなさい

(2) 「うとうと《、「うつらうつら《
  「うとうと《とは、国語辞典によると、「眠気を催すさま《とあります。
「うつらうつら《は、国語辞典によれば、うつら・・・空・・・を重ねたもので、
①心がぼんやりしているさまを表す語、茫然、うっかり、などに似た意味
② ねむけ、病気などで意識がはっきりしないさまを表わす語。「うとうと《と似た意味、とあります。

古代テュルク語の「udi-《(ウディ)は、「眠る《を意味し、大体13世紀以前の言葉です。したがって、現代のテュルク語辞典には含まれていません。
テュルク語の「uxli-《(ウッフリ) は動詞で、
① 眠る、熟睡する、眠るために横になる
② (冬の椊物などのように)活動しない状態、冬眠の状態になる
③ 静かな、静まりかえった状態になる 
④ 全く、音信が、便りが途絶えた状態になる、 ことを示します。
「uxla-uxla《(ウッフラ・ウッフラ)は、「uxli-《の繰返し語です。

udi-(ウディ)、uxli-(ウッフリ)の用例を以下に示します。

Ay(アイ) elig (エリグ)  udïma (ウディマ)  odun(オドゥン)
もしもし  だんな     眠らないで    目を覚ましなさい

gäp (ギャップ)  qilmay(キル マイ ) uxla(ウッフラ)
はなし(を)   しないで      ねむりなさい

このように、普段何気なく使っている「日本のことば《に、「テュルク語《と発音、意味、使われ方など驚くほどの類似点が見出されます。
注:ここでは、テュルク語を読みやすくするため、左から右へ書いています。

(3) 通俗的な日本のことば
日本のことばとウイグル語の類似例は多岐に渡りますが、身近な通俗的なことばを表4に示しました。ウイグル文字の書き順は右から左となるので、ウイグル語の欄は右からの書き順としています。

          表4 通俗的な日本のことばとウイグル語
表4.通俗的な日本のことばとウイグル語

6.おわりに

 拙著「騎馬民族がもたらした日本のことば《は、Ⅰ.「生活の基本となったことば《、Ⅱ.「日常的な身近なことば《、Ⅲ.「古代テュルク語から日本語への流れの深層《の3部構成としました。Ⅰ.とⅡ.では日本語化している騎馬民族のことば(古代テュルク語・ウイグル語)について数多くの具体例を挙げて、音韻、音声、文法、用法、語彙、文章などの観点から「騎馬民族のことば《が日本にもたらされていることの検証を行いました。 Ⅰ章で解説したことばは、(1)明るくなるの「あかる《、(2)「黒《「暗い《「暮れる《、(3)「とる《、(4)「かたい《「かためる《、(5)「柔らかい《「和らぐ《「弱る《などです。 Ⅱ章では、(1)「帰る《「返す《、(2)「ひっくりかえる《、「ぐらっと《、(3)「膝をつく《「嘘をつく《、(4)「がやがや《「騒ぐ《「たわける《などを解説しています。
Ⅲ章では、古代テュルク語の解析、日本人と突厥族の源郷の共通性などを述べ、訓読みのルーツを古代テュルク語に求めました。

騎馬民族によってもたらされた古代テュルク語が数多く残っているのに、日本列島の共通語になれませんでした。その理由は、 古代テュルク語は、(1) 象形文字である、(2) 子音に硬・軟の区別がある、(3) 母音を省略する、という特性を有し、東海の小島、倭の国の特性と大きな隔たりがあったたからです。テュルク語として根付くのは困難でしたが、音声だけは受け継がれて行ったと考えられます。

日本の社会は古くから漢字文化圏に属していましたので、古代テュルク語がもたらされた後は、同じ意味の漢字を用いて表現する「訓読み《として継承されてきたのです。このように長い歴史を通して、文字としての漢字と、音声としての古代テュルク語を併用して、音・訓という素晴らしい方法が創造されました。「取る《・「捕る《を「とる《と読み、「柔《・「和《・「弱《を「やわ・・・《・「よわ・・・《と読み、「空《を「から《出張・「あき《家と読むのは、同じ発音・意味のことばがテュルク語に存在し、漢字文化とテュルク語の融合の結果と考えると紊得できます。
 


 
 
テュルク語・ウイグル語はモンゴル帝国の大多数をテュルク語族が占めていた時代にもモンゴル人のあいだに定着することはなかった。朝鮮にも日本にも定着していない。しかし単語の中にかすかにその痕跡があり、血脈の中に、わずかだがトルキスタンの香りのする顔つきの日本人や朝鮮人を残したと考えられる。それがいわゆる「わたしは白人の子孫だ」ということの正体なのかも知れない。
 
 
 
画像資料 
騎馬民族がもたらした日本のことば  東 巌夫
Wiki テュルク系民族
『古代日本外交史』廣瀬憲雄  より
 
 
 
 
 
 
 
次回、東天皇・西天皇について。
飛鳥王権における蘇我馬子と入鹿の迎賓ノウハウの違い。
 
 
 
聖徳太子は作られた偶像。
お楽しみに。
 
 
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