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壬申の乱はなかった/太安万侶は暗殺された

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壬申の乱はなかった。
『日本書記』の創作である。
天武紀は前漢劉邦をモデルに不比等が書き直した。
なんのために?
女帝正統性と藤原氏正統性、そして蘇我氏惨殺正統性のために。
 


 
1 天武壬申紀の要所要所に劉邦のエピソード、その他の中国史書を真似た箇所がある。
 
2 天武紀は森博達の分析で中国人の正しい漢文で書かれており、『日本書記』β群である。
 
3 α群は天武時代に中国人書記官が書き、β群は持統~文武時代に日本人が書き足している。
 
4 おおまかに神代と神武紀~雄略の前までがα群(詳細は別記事森博達に既書)で、漢文に誤りがない。
 (ときどきαとβの逆転、西と東の逆転、木梨軽と軽皇子の逆転などなどが筆者には起こります。これは脳梗塞の後遺症ですのでご容赦願います。)
 
 
5 中国人が書いたはずのα群の中で、皇極紀・天智紀・天武紀には文法の誤りが何箇所かある
 
6 つまり乙巳の変、天智紀・壬申紀は明らかにあとから日本人の書き直しが行われた
 
 
7 理由は『日本書記』が天智=中大兄と高祖鎌足を正当化し、さらに藤原氏にとって都合のいい女帝時代を正当化することによって、国外でも国内でも大和政権の正統性を確固たるものにするためである。
 
8 当時、まだ九州や東国は完全に日本を中央集権国家とは認めていなかった。その証拠に壬申の乱には、大分君以外のカムヤイミミの子孫として当然参加しているはずの筑紫三家連、火君をはじめ、東国各地の国造たちの名前が出てこない。その代わりに宗像君の娘が生んだ高市皇子は登場する。
 
9 中国に対して天武が正統であるとすれば、当然、兄の天智も正統な前王となり
、乙巳の変は正当化される。『古事記』が天武の正統を言うのに対して、『日本書記』の正統は天智と持統の血脈のために書かれてあり、天武はそのための中国的革命君主という扱いでしかない。
 
10 『日本書記』は藤原不比等が、自分達の正当性と蘇我氏の不当性を国内に向けて宣言した捏造史書であり、全体がこれ虚偽で貫かれてある。そのすべてが天智~天武の正統性で満ち満ちており、ほかのエピソードはみな太安万侶が作り出した多氏のための『古事記』を、藤原氏と天智のために書き換えてある。神武東征は多氏の伝承であって皇孫のためのものではなかった。つまり継体以前はまるでうそ。継体~持統までは書き換えでできている。したがって天武以前の記録はすべてを疑う必要があり、天智も天武も壬申の乱もなかった可能性が高い。壬申の乱は劉邦前漢の革命を借りた軍記劇でしかない。つまり『日本書記』は時代小説である。
 
 
 
もちろん乙巳の変や聖徳太子も潤色された歴史劇である。読み物でしかない。
いくらかの正しい歴史をないまぜにして、読者をけむに巻くしたたかな不比等の手腕しか、そこには存在していない。天智は大王ではなかった。
 
太安万侶の墓にだけ墓誌があった。なぜか?
暗殺されたから。
普通に死んだとみせかけるためにあざとく墓誌が置かれ、後世にそれが安麻呂の墓であること、自然死だったことを言うために。
だから多氏は大和中心の古代史から消されたと言える。真実を知りすぎていたから。
 
では消された多氏の祖霊は今どこに?
それは当然、「見知り過ぎたもの」として多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)に多氏自身の手で封じ込められたのだろう。
 
 
 
 
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