60年代の島根新聞に島根県知事の年賀が掲載された、その横に、出雲大社第83代国造千家尊祀(せんげ・たかとし)の年賀が並んでいたことを見て、司馬遼太郎。
司馬遼太郎『先祖ばなし』所収「出雲のふしぎ」
「十数世紀前の古代国家における出雲の王が、二十世紀の公選知事と肩を並べて県民に挨拶をしている」
2004年秋の園遊会で東京都教育委員・米長邦雄、天皇にお答えして、
「日本中の学校で国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事であります」
明仁天皇、それに答えていわく
「強制は望ましくない」
あらひとがみには二柱がある。
ひとつは天孫の子孫、ひとつは国津神・オオクニヌシの子孫である。後者を特に「現津神」という。前者を特に「現人神」という。
どちらも「あらひとがみ」だ。
国津神の大王であるオオクニヌシの子孫とは、出雲ホヒの神の末裔である出雲国造、千家氏のことである。
司馬遼太郎ですら、千家氏の記紀における、天孫によって国を譲り、結果的に、日本国のいまひとつの「国土のあらひとがみ」となった出雲国造家の歴史的意義を認識できていなかった。
岡本雅亨 『民族の創出 まつろわぬ人々、隠された多様性』2014より