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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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二人の現津神から武内宿禰まで ぼくにはもっと遠大な主張が

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この一週間ここに書いてきた一連の記事、二人の現津神から武内宿禰までで、筆者が言おうとしていることがご理解できましょうか?
 
 
筆者Kawakatuがこれから言おうとしていること先に書いておきます。
 
 
 
武内宿禰と仁徳天皇も、天皇と国造も、海幸彦と山幸彦も、すべて、記録が言おうとしている日本人にとって最も大事なことを記紀が言うがためのエピソードに過ぎません。
 
 
 
 
 
それはあの聖徳太子17条憲法にも成文化されている事柄です。
 
 
 
 
 
それは、新参の渡来者も、先住の南北縄文民族たちも、天津神も国津神も、ひとつになって、この小さな列島の国を大きくするために手を結んだのだということなのです。
 
 
 
こんな国は世界中にありません。
 
 
 
大陸のどのような国家も、新参が先住を排除し、殺戮し、仲間にしようとしませんでした。しかし、この国だけは違います。
 
 
 
 
さまざまの反発する意見もありましょうが、絶えず両者が婚姻相手を出し合い、勝者は敗者も仲間と認め、海外のような明確な区別と差別をしていない。同化して、むしろ勝者が敗者を持ち上げています。
 
 
 
 
それは、先住者の知恵や知識を、新参者が認めた結果でしょう。
 
 
 
 
 
このような見事な国はほかにないのだと記紀はわが国を褒め称えているのでしょう。
 
 
 
 
『古事記』『日本書記』から、最終的にそれが見えてこなくてはなりません。
それが日本古代史研究の行き着くべき結論であります。
 
 
 
 
 
 
 
どの古代までの記録にも、勝者が敗者を完膚なきまでに叩き潰すような話は見えません。隼人の制圧は古代史ではありません、9世紀の話です。それでもちゃんと宇佐八幡宮から辛島氏が鎮魂の鹿児島神宮正八幡神社を造営に向かっているし、地元宇佐では隼人を黒尾神・住吉神として鎮撫、人形芝居で慰めています。
 
 
 
 
 
 
結局、古代史の研究が言えることは、そういうことです。
 
 
 
 
 
怨念をいつまでもつながない、怨と恨を、いつまでも覚えておかない、そして前を向けと、記紀は語りかけてきます。藤原不比等も蘇我入鹿も聖徳太子も天智天皇も継体大王も応神天皇も神功皇后も武内宿禰も明治天皇も出雲国造も筑紫君磐井も、ニギハヤヒも長髄彦も・・・・・・・・・・
 
 
 
阿修羅たちのすべてが歴史を通して語りかけてくることは、日本人だったらどんな民族であろうとひとつになれ、そして手をつなぎ、この小さな小さな島国を守らないでどうするんだ・・・ということではないでしょうか?
 
 
 
 
負けたから民族的に劣等だろうか?
勝ったから優秀だろうか?
そんなことを言い合っていて、こんな小さな狭小な国家が保てるだろうか?
 
聖徳太子はそう言っているのです。
 不比等もそう言っている。
蘇我入鹿だってそういっている。
 
 
 
 
 
 
空を見たまえ。
国境をとりはらいたまえ。
 
小さな日本人だけにそれができる。
 
 
 
歴史からすべてを言うなど驕りである。人の上下をきめるなど不遜である。
ぼくたちにできることは、ただ、歴史がいう虚構の中から、誰も気づかなかった真実と真意を見出し、明日へ生かしてゆくことだけだ。言うべきは批判でも差別でもない。日本人は太古から手をつないできた。複数民族が彼らの影を見せることなく包み込んできた自在な世界だったのだ。
 
 
 
 
融通無碍 無信仰  すべては整合。すべてが世界唯一。
すべてが稀有、奇跡の国家なのである。
 
 
 
ほめたたえてしかるべし!!!
 
 
 
 
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