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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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ハヌマーン/猿田彦/伊勢津彦/建御名方/孫悟空

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ハヌマーン(हनुमान् Hanumān)は、インド神話におけるヴァナラ(猿族)の1人。風神ヴァーユの化身であり、ヴァーユが猿王ケーシャーリーの妻(アプサラスとする説もある)アンジャナーとの間にもうけた子とされる。ハヌマット(हनुमत् Hanumat)、ハヌマン、アンジャネーヤ(アンジャナーの息子)とも。名前は「顎骨を持つ者」の意。変幻自在の体はその大きさや姿を自在に変えられ、空も飛ぶ事ができる。大柄で顔は赤く、長い尻尾を持ち雷鳴のような咆哮を放つとされる。像などでは四つの猿の顔と一つの人間の顔を持つ五面十臂の姿で表されることも。
 
 
 
顎が変形した顔で描かれる事が多いが、一説には果物と間違えて太陽を持ってこようとして天へ上ったが、インドラのヴァジュラで顎を砕かれ、そのまま転落死した。ヴァーユは激怒して風を吹かせるのを止め、多くの人間・動物が死んだが、最終的に他の神々がヴァーユに許しを乞うた為、ヴァーユはハヌマーンに不死と決して打ち破られない強さ、叡智を与えることを要求した。神々はそれを拒むことができず、それによりハヌマーンが以前以上の力を持って復活した為にヴァーユも機嫌を良くし、再び世界に風を吹かせた。Wikiハヌマーン
 
 
 
 
 
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 ハヌマン・ラングール モデルとなった猿
 
 
ヒンドゥー教の聖典ともなっている叙事詩『ラーマーヤナ』では、ハヌマーンは猿王スグリーヴァが兄ヴァーリンによって王都キシュキンダーを追われた際、スグリーヴァに付き従い、後にヴィシュヌ神の化身であるラーマ王子とラクシュマナに助けを請う。ラーマが約束通りにヴァーリンを倒してスグリーヴァの王位を回復した後、今度はラーマ王子の願いでその妃シータの捜索に参加する。そして羅刹王ラーヴァナの居城、海を越えたランカー島にシータを見出し、ラーマに知らせる。それ以外にも単身あるいは猿族を率いて幾度もラーマを助けたとされており、その中でも最も優れた戦士、弁舌家とされている。
 
今でも民間信仰の対象として人気が高く、インドの人里に広く見られるサルの一種、ハヌマンラングールはこのハヌマーン神の眷属とされてヒンドゥー教寺院において手厚く保護されている。中国に伝わり、『西遊記』の登場人物である斉天大聖孫悟空のモデルになったとの説もある(これについては中野美代子『孫悟空の誕生 ― サルの民話学と「西遊記」』(1980年 ISBN 4006020503)が参考になる)。
http://syoya44.exblog.jp/
 
 
 

猿田彦
 
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邇邇芸命が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。その神の鼻長は八咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿であった。そこで天照大神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸命らの先導をしようと迎えに来たのであった。
 
邇邇芸命らが無事に葦原中国に着くと、邇邇芸命は天宇受売神に、その名を明らかにしたのだから、猿田彦を送り届けて、その名前をつけて仕えるようにと言った(日本書紀では、猿田彦が天鈿女命(あめのうずめ)に自分を送り届けるように頼んだとなっている)。そこで天宇受売神は「猿女君」と呼ばれるようになったという。猿田彦は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰った。
 
猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。旧一志郡阿坂村(現松阪市))の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死ぬ。この際、海に沈んでいる時に「底どく御魂」、猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に「つぶたつ御魂」、泡が水面で弾ける時に「あわさく御魂」という三柱の神様が生まれた。
倭姫命世記(神道五部書の一)によれば、倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられた。
Wiki猿田彦
 
 
 
伊勢津彦
伊勢津彦(いせつひこ)は、『伊勢国風土記』逸文内に記述される国津神で風の神。元の名を出雲建子(イズモタケコの)命、またの名を櫛玉(クシタマの)命というが、逸文一説内の記述である(国号由来とは別の地名由来が語られている)ため、本項では国号由来となった「伊勢津彦」の神名で統一する(「系譜と別伝」も参照)。大和系統の柱ではなく、出雲系統に属する柱である。

伊勢津彦とは、『伊勢国風土記』逸文に見える神武朝の神であり、同書によると、伊賀の安志(あなし)の社に坐す神で、出雲神の子であり、またの名を出雲建子命、天櫛玉命といい、石で城を造って居住していた。神武東征の際に、神武が派遣した天日別命に国土を天孫に献上するかを問われ、はじめに否と答えたために討伐されそうになったので、居住していた伊勢を風濤に乗じて去った、と記されます。その後補の文には、「近くは信濃国にいる」と記されます。http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/isetuhiko1.htm
 
 
 
 
ハヌマーン
風の神
サルの軍団長
サルの化身
大柄で金色の肌とルビーのように赤い顔
長い尻尾を持ち雷鳴のような咆哮を放つ
果物を間違えて持ってくる
ヴィシュヌ神の化身ラーマを助ける
孫悟空のモデル
 
猿田彦
目はホオズキ(あかかがち)のように照り輝いている(八岐大蛇と同じ)
天の八街で天孫を道案内する
空を飛び、ひとり伊勢にゆく
妻はアマテラスの踊り子
 

伊勢津彦
風の神
国土を譲るかと問われる
出雲の出身(出雲の風となると出雲国造家の鍛冶を思い起こさせる)
出雲タケルのモデルか。
諏訪の風の神建御名方と同一神か?
この神のことが記紀出雲神話の元で、伊勢神宮創建のはなし は、つまり出雲国譲りとまったく同じ話になっているわけである。
要するに出雲国譲りなど実際にはなかったのではないか?
 
 
 
 
 
 
 
このように猿田彦のモデルはインドの叙事詩『ラーマ・ヤーナ』の猿神・風の神ハヌマーンだとわかる。風貌がそっくりであるが、ルビーのような赤い顔のところを記紀は「赤いほうずきのようだ」と、まるで八岐大蛇の目の表現と同じにしてある。暗に猿田彦の出雲の神であるのをちらつかせてある。

伊勢津彦は伊勢の猿田彦神社に国を伊勢神宮建設のために譲った風の神だと書いてある。つまり伊勢の地主神で猿田彦その人とも言える。この三人はいずれも神や天孫や天皇のために働く国津神だと見られる。その点で共通。中国では孫悟空は三蔵法師をこれまた助ける猿。たすけるを一文字で「佐」と書く。だから猿田彦は出雲佐多大神を匂わせてあり、出雲国造が「出雲神代詞」で大和を助けると宣言することとリンクする。ということは「さたのおおかみ」の「さた」とは大和からの「沙汰=命令」を届ける役目の国造となるので、佐多神社とは大和が出雲に置いた国造の執務室であるとなる。行政管理局、国の庁舎。

では伊勢もそうである。
新しく入ってくる天皇家の信仰を、在地先住氏族が邪魔しないように目を配るのが伊勢津彦の役目になる。だから知事。つまり伊勢国造となる。
 
いずれにしろ、記紀の編者たちは飛鳥時代末期に、インドの神話を読んでいたことになる。
このように日本の神話にはけっこう広範囲な海外の伝承が、形を変えて取り込まれていて、当時のグローバルな外交がしのばれるが、その一番の取り込み手は蘇我氏や称徳・皇極女帝だったと考えられる。蘇我氏の外交のおかげだったのだろう。
 
猿田彦や伊勢津彦に製鉄と出雲のイメージを持たせたのは、スサノヲ神話をインドから持ち込んで出雲に突っ込むためでもあるだろう。スサノヲの八岐大蛇退治などは出雲国風土記にはないのだが、どうしても製鉄を奪うのが自分たちとしたいがために天孫アマテラスの弟を一度出雲に入れさせ、それを本当の出雲の地主神オオナムヂが受け継ぐとしたかったわけだ。

ヤマタノオロチが製鉄と砂鉄を思わせる赤い目で、斐伊川を思わせる山を背負った大蛇であるのは、やはりインドのナーガ神を持ち込み、それを敵としたのは古志の氏族であることを言って、ついでに富山もこっちのものだったと言いたかったのだろう。だから伊勢津彦らには出雲の兄弟の弟であるタケミナカタのイメージがかぶさっており、どれもこれも先住者が渡来によって平定され、案内人となり、土地も譲って臣下になったんだということが書いてあることになる。もちろん書いてあるだけのことで、彼らは本当には負けておらず、臣下という名前の協力者になっただけのことである。臣下だと言っているのは大和側の主張である。

本人たちはまたいつでも順位は逆転できるから国を譲るのである。猿田彦は勝手に海で死んだのであって、これは出雲の兄である八重事代主と同じ最後である。死んだのではなく隠れたのであるから、その子孫は別のところに、少彦名のように移住したのだろう。そりゃそうだ、国をとられてわけのわからん太陽の巫女を祭られたんだから。本来、太陽神を祭ってあるところにアマテラスなどという祭祀者を祭られて、それじゃあ神じゃないじゃないのと思うのが、海人族にとっては当然。出雲はアマテラスを祭られなかったんだから、まだましか?いやいや、安心させておいて、実は神殿に彼女はちゃんと祭られてますって。しかもオオクニヌシは西を向く、アマテラス天神五座は前を向く。おいおい。

日本の神で風神は国神、雷神は天神となっているからご注意。
ハヌマーンもまた風の神で王家の別格に置かれているのを真似てあるのだ。

さて大国主は諸氏誰もが出雲の地主神であると信じておられようが、出雲の国神はオオナムヂであって、大国主は葦原中国の神で、つまり日本全体の国土神なのだと考えたことありますか?なぜってオオクニヌシは大和のみもろの山=大三輪山に大物主と一緒に祭られたわけでしょう?つまりヤマトの地主神でもあるわけだ。その大和の国造は先住海人族である倭国造である。つまり倭国造は出雲の人でもあろうとなる。記紀の出雲の出来事は、何も出雲だけの話なのではなく、全国のそういう先住氏族にも共通する話にしてあるのだ。おまえたちもそうなるぞ、とともに、おまえたちの先祖もそうされたんだぞである。おまえたちはとっくに忘れているだろうし、中には間違って氏族の間に流布している伝承があるだろうが、それは間違っているんだぞ、なのである。その証拠に『古事記』編纂の宣言の中で天武天皇は「こなままでは間違った伝承ばかりが広がる。今こそ正しい伝承を作らねば」と言っているのだから。

ほんとうをうそにしてしまう、この強引なやり口。

しかし逆に考えれば、天尊族つまり渡来人が、いかに倭国の中で孤独だったかも見えてくる。仲間が少ない。周囲の臣下は全部自分より先に大和に住んでいた人々。ひとたび彼らが結束したら、ひとたまりもなく海外追放もありうる。上げたり下げたり、懐柔したり、仲良くしなくちゃならなかったわけである。だからこの国は今も政治が「なあなあ」なのである。
 
 
 
 
 
水先案内、佐の氏族は、だいたいその後ひどい扱いを受けることになっている。
 
蘇我氏も、紀氏も、手研耳もそうなった。ま、利用されたものの宿命だろう。
 
ということは、そもそもほかの氏族はそうならぬよう心がけたことだろうし、そうならなかったものはよほど王家の内部で実力を持ったのだろう。藤原氏の様に。
 
だから息長のような系譜を充分もちあげておかねばならなかったのだろう。息長氏のようにいたかいなかったかがわからない系譜を持ち出し、それが天智以後の今の天皇の母方になっていくこと自体、ちょっとありえないのである。
 
 
 
 
 
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