古墳は350年間作られ
その間に作られた古墳は、円墳、方墳、前方後円墳、双方墳など全部あわせて10万基ほど(現在確認されているだけで)。
一年に285~6基作られた計算になる。
つまり一年に300人ほどの豪族の盟主的なえらい人が死んだということである。
倭人の国家は往古史書には「分かれて100余国」とあるわけだが、そのあと全国の王に匹敵する豪族がどれくらいに増えたか、まとまったかはわからないが、単純に、一年に全国豪族一族ではそれぞれ3人くらいが死んだことになるか?
1豪族に何人くらい同族がいたかは地域でばらつきはあるだろう。
まあ100人以上はいるとして、100×100余国ならば全倭国で10000人。その中で300人が一年に死ぬ、それが古墳時代の世界。すると逆算すればだいたい当時の豪族の数はつかめる。江戸時代の貴族と武家の割合は全人口のわずか1,5パーなので、古代には豪族の100倍弱の平民がいるだろう。すると当時の人口がだいたいわかる勘定になる。少なく見積もっても100万人以上が古墳時代の列島にいたかと?
今の大きな地方都市ほどの人口である。そのあとは一気に増える。
崇峻天皇2年 | 589年 | 3,931,152 | 910,420 | 3,017,033 | 聖徳太子伝記(『大日本国古来人口考』引用) |
聖徳太子 | 574–622年 | 5,030,950 | 1,914,020 | 3,116,930 | 太子伝抄(『温故要略』引用) |
4,988,842 | 1,994,008 | 2,994,834 | 太子伝(『它山石初編』引用) | ||
5,031,050 | 1,914,120 | 3,116,930 | 太子伝抄(『它山石初編』引用) | ||
聖徳太子摂政時 | 593–622年 | 4,969,890 | 折焚柴の記、類聚名物考 | ||
推古天皇御世 | 593–628年 | 4,969,000 | 町人嚢底払 | ||
4,990,000 | 両域人数考、十玄遺稿(『它山石初編』引用) | ||||
4,969,899 | 皇風大意 | ||||
養老5年 | 721年 | 4,584,893 | 1,904,082 | 2,590,811 | 行基大菩薩行状記 |
聖武天皇御世 | 724-748年 | 5,000,000 | 行基式目(『遊京漫録』引用) | ||
4,276,800 | 1,954,800 | 2,322,000 | 日本国之図 | ||
4,899,648 | 1,994,828 | 2,904,820 | 扶桑国之図 | ||
11,099,648 | 9,094,828 | 2,004,820 | 南贍部州大日本国正統図(『運歩色葉集』引用) | ||
4,588,842 | 1,994,008 | 2,594,834 | 南贍部州大日本国正統図(『運歩色葉集』引用) | ||
4,899,620 | 1,994,800 | 2,904,820 | 行基菩薩図(『世俗用字集』引用) | ||
8,631,074 | 折焚柴の記、類聚名物考 | ||||
4,508,951 | 類聚名物考 | ||||
8,000,000 | 十玄遺稿(『它山石初編』引用)、両域人数考 | ||||
8,631,000 | 町人嚢底払 | ||||
8,631,770 | 皇風大意 | ||||
弘安2年 | 1279年 | 4,989,658 | 1,994,828 | 2,994,830 | 高祖遺文録 |
4,994,828 | 高祖遺文録 | ||||
弘安3年 | 1280年 | 4,989,658 | 1,994,828 | 2,994,830 | 高祖遺文録 |
弘安4年 | 1281年 | 4,589,659 | 高祖遺文録 | ||
4,994,828 | 高祖遺文録 | ||||
4,589,658 | 高祖遺文録 | ||||
弘安年間 | 1278-1287年 | 4,994,828 | 1,994,828 | 2,994,830 | 類聚名物考 |
鎌倉時代? | 4,861,659 | 1,924,828 | 2,936,831 | 日本略記 | |
大永8年 | 1528年 | 4,918,652 | 権少僧都俊貞雑記集(『栗里先生雑著』引用) | ||
永禄5年 | 1562年 | 4,994,800 | 1,994,828 | 2,994,830 | 香取文書 |
そのほかに人や部の群集墳・横穴墓・地下式墓が星の数ほどある。
すると毎年、90万人弱の部民は、そのほとんどが風葬、鳥葬、あるいは集団で穴に放り込まれていた。
それは大地の、つまり当時の観念で言えば神のいけにえなのだった。大地の養分である。えさとも言っていた。
しかし、この世界で最も大地のために役立ってきたのは彼らのむくろである。
これは着想、発想を転換するための、あえて書き置く頭の体操記事である。
目からうろこははいでおくに、越したことはない・
計算は酔ってますから間違ってるかもね。
ともうしますか、いつまでそんなサッカー見てるのよ?
本当に大地に、地球に役立つことは、いきとしいけるものにとって、実は死なのかも知れない。そう思うと、ぼくなどの凡百は、生きていることに勇気が出る。
それが循環のとわ。
だからあんたも生きていなさいよ。