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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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[転載]59歳からのスローライフ・『目覚めよと呼ぶ声あり』 J.S.バッハ・介護だけは避けよ

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Johann Sebastian Bach
Suiten für Violoncello solo
バッハ無伴奏チェロ組曲第1番清水靖晃テナーサックス版.wmv 
http://youtu.be/mbNG5UBMG50
 
 
 
今のスローな生活を
ぼくはちょうど今から10年前
49歳のときに始めた。
それがぼくの「ハローライフ」の、早すぎる入り口だった。
 
それはとてもじゃないが「ハローライフ」などと言っていられるような
生半可なものではなかった。
 
それまでのぼくは京都と大阪で、そしてここ故郷大分に戻っても、
それは独楽鼠のように動き回るだけの
みじめなサラリーマンだった。
 
父母の病から、ふとしたことで故郷に戻り
父は、母の認知症介護で失われた自分の老後の時間を
そのままぼくに押し付け、肩代わりさせて入院した。
すべての茶飯事と看病を置いて、入院という体のいい隠れ家へ逃げたのである。
その証拠に完治しても、父は今度は施設に逃げ込み、
ついに、母の葬儀にさえ出なかった。
 
仕方なくぼくはこの家にいついてしまい、
父母の後片付けの一切合財を、今度は兄たちに押し付けられ、
圧倒的な残された家財道具の山の中に放り込まれ、
気がつけば一人だった。
結果的に親族はみな、父に取り入って家を独占した怠け者
そう決め付け、去っていった。
 
就職しなかったからである。
いや、認知症の母がいては、就職等できるはずもなかったのだが、
彼らはそれは無視し、自分たちが本来看るべきことをしなかった罪悪感を
すべてぼくの怠慢に転嫁することで
自分を正当化することにあけくれたのだった。
兄嫁のせいせいした顔をぼくは絶対に忘れない。
呪い続けることだろう。
 
これだけは言っておくが、
父母だろうが親族だろうが、他人であろうが
介護なんか、
絶対やってはならない。
ただ、自分の時間を失い、
心は崩壊の寸前まで追いやられ
心象の内部までかき回されたあげくに
結局、家族は逃げてゆく。
残るのは孤独だけである。
 
 
 
49から5年間は父母の看病と自分の店で何も暇がなく、
それでも故郷の大自然の中をいくらかは探訪した。
その後一人になってからは歴史探訪にあけくれ、
財産はほとんど使い果たした。
 
 
 
ぼくは今まさに
ひとりぼっちでスローライフをたゆとうている。
ふつうの人なら、
「楽しむ」なんて「たゆとう」なんて果たして男が一人で可能だろうか?
と時おり考えてみる。しかしぼくにはようやく手に入れた
誰にも干渉されない
自由の天国である。
だから、住んでいる町の
どんな瑣末な組織にも入らず
どんな行事にも参加しない。
気心を他人と共有するひまはない。
ぼくは取り戻した自分だけの自由な時間を
存分に独り占めしたいのだ。
 
きっとあなただって、そうなる。
 
若い頃、ぼくはよく遊んだ。
酒場にもよく行った。
食べ歩いた。
ギターを弾き
ライブハウスに浸りこむこともあった。
料理、絵画、詩歌、お茶、華、和歌、小唄、都都逸
どれも中途半端にこなしてみた。
いわゆる趣味の人である。
 
生活感の希薄な、放蕩とまではいかないが、適度に浅く身につけた。
近畿の仕事暮らしで、それはさまざまな出来事、人種も見てきた。
しゃいだった性格は、すっかり関西商売人に近くなり、
感性は摩滅したかに見えた。
市井の生活者に成り果てようとしていたときに、
父母が倒れた。
 
ぼくにはそれはいい気分転換だったことも確かだ。
 
 
 
 
 
 
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しかし、いかんせん田舎である。
生きるスピード感に圧倒的落差があった。
ひとりになって、なお、そのことに気づかされた。
 
故郷の時間はあまりに遅く動く。
平々凡々すぎる近隣の、スローモーションのような動き・・・
関西人の「いらち」に慣れているぼくには、どうにもがまんできないほど。
 
だが時間の経過は、どこにいようと同じ。
着々と、粛々と
時間だけは過ぎ去り、
ぼくは59歳になっている。
 
 
 
 
 
Johann Sebastian Bach
Wachet auf, ruft uns die Stimme (BWV 645) 
 カンタータ『目覚めよと呼ぶ声あり』」BMV140から第4曲「シオンは物見らの歌うのを聞けり」
http://youtu.be/NvLiHEuqejU
 
 
 
 
 
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ぼくは三叉路に立っている。
再び、一見忙しく充実しているように見える現役生活者に戻るか、
あるいはこのまま、みだらに過ぎる時間の焦燥に耐えながら、たゆとうているか。
喧噪か孤独か・・・。
 
 
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この必要以上に元気のいい年寄り達の世界で、
ぼくは孤独である。
だからもう一度喧噪の中に戻るためにこれからまた面接に出かける。
 
 
 
 
 
 
 
けれどそこもまた、地方では、
馴致されてしまった常識社会でしかないのはわかっている。
職場が、地方では、
都会のように、天国のような燦然と輝いている世界ではないことは
すでに承知している。
ましてぼくはもうさほど若くもなくなった。
 
 
生きてきた若い頃の躍動感や光はすでに衰退し、
ほろびまでのわずかな時間を
けんめいにうっちゃる人生である。
 
 
 
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したたるような緑の中の、真っ赤な野いちごほどにも
今のぼくには生命力がなくなった。
 
 
 
 
 
 
      一花を また咲かせたし 道の枯れ草
 
 
 
 
 
 
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 最後にもう一度言う。
晩年でも青年でも壮年でも
絶対に介護だけは避けよ。
人間では、
 
 
いられなくなるのだから。
 
 
 
 
 
 
 
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転載元: Kawakatuワールドなんでも拾い上げ雑記帳


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