Q どうして北関東の方言は右肩上がりなんでしょうか?
A 渡来朝鮮人が多い土地柄だったからではないですか?北関東主要産業は中小技術です。その基板を作り上げてきたのは渡来工人でしょう。
Q では、なぜ関西方言はああなんでしょうか?
A 中国江南からの渡来人の影響でしょう。京都を中心の為政者言語ですが、大阪や兵庫には朝鮮工人もあとから入ってミックスしてます。
Q では出雲などの日本海の言葉は?
A 東北蝦夷ですねえ。
Q では鹿児島・宮崎はいかがでしょう?
A これはちょっと難しくなります。南島からと江南からと、さらに朝鮮語アクセントなどがミックスマッチして複雑ですが、太平洋側東北人との共通性や北関東人とも共通性があるようです・・・。
Q では最後に、そういうアクセントや抑揚のあまり激しくならなかった南関東、瀬戸内沿岸の抑揚のあまりない、平坦なイントネーションはどうしてなんでしょうか?
A それがもともとの南北縄文日本人のイントネーションだったのでしょう。瀬戸内方面は南島と関西の影響を受けて淘汰された平坦さ、南関東方面は東北縄文語や朝鮮語の淘汰された平坦さでしょう。
Q それは決定でしょうか?
A ほかにもいろいろな要素はあると思いますが、今後古代の人口・民族分析によっていずれはわかることだと思います。しかし、おおまかにそういう掴みがわかりやすいことは確かじゃないでしょうか。基本、平坦アクセントを使っていた縄文人の中に、渡来、渡海してきた民族集団の影響によるバリエーションが生まれたんだと、私は個人的に思います。
Q では、その平坦イントネーションの基層を持ち込んだ縄文人とは南北でどういう民族だったんでしょう?
A 北はツングースでしょうね。いわゆるマツカツ・ミチハセと言われたアムール川周辺の新モンゴロイドです。南は海南島から江南の古モンゴロイド人々だったんじゃないでしょうか?そこにあとから渡来した人たちは多くが半島経由で、これも新モンゴロイドですから、結果的に日本人の遺伝子に一番多く残存したのがバイカル湖周辺の新モンゴロイドのDNAという結果とは、両者遺伝子の現代人の割合で合致することになります。
Q なるほど。すると日本語の文法と膠着言語の矛盾はどうなりますか?
A 日本語の発音はすべて膠着言語ですが、これは南太平洋一帯のオーストロネシア島人・海人に共通し、文法は世界の内陸部に多いアルタイ語系等です。これを見ても海と陸の言葉のミックスから日本語が生まれたのだと想像できます。最初は北と南、東と西へそれぞれさまざまな渡来とともに入った言語がばらばらに生きていたところが、やがて徐々に民族が触れ合い、混血することで使い勝手のいいものを選んで画一化していったと思います。
アルタイ語系文法圏「主語・目的語・述語」
オーストロネシア膠着語圏
膠着語に分類される言語は、トルコ語、ウイグル語、ウズベク語、カザフ語等のテュルク諸語、日本語、満州語、朝鮮語、モンゴル語、フィンランド語、ハンガリー語、タミル語、エラム語、シュメール語、エスペラント語などである。
エスキモー・アリュート語族、マヤ語族なども膠着語的だが、膠着の長さが極端(文全体が膠着する)なので、抱合語(正確には複統合的言語)とすることが多い。
つまりAさんも勘違いしているのは、膠着語も大陸トルコ=アナトリアからやってくる。文法と一緒に来ていることになる。そこのオーストロネシア語も入ったというのが正しい。トルキスタン~スキタイ~ウイグル~ここで複数に分岐して、別々に入った。北海道経由、日本海経由、南島経由、そして最後が弥生時代の朝鮮語ではないか?
Q では最後に、今の若い東京の人たちの、さらに平坦化してゆくイントネーションについて何かご意見は?
A 普通ならテレビなどの影響で、地域方言は次第に発信源である大都市の影響を受けます、瀬戸内・四国ならどうしても関西弁に、関東~東北なら東京標準語です。しかし今の東京は、それを突き抜けて、南関東イントネーションの方が北関東のイントネーションの影響を受けていくというねじれ現象を起こしているように感じます。たとえば「サポーター」などは一番分かりやすいでしょうが、サッカーの応援団のサポーターは平坦といってもやや右肩上がりですが、脛当てなどの運動用具のサポーターは従来からの山の手イントネーションでと、使い分けていますね。
昨今の東京の若い世代は、現実生活での広いコミュニケーションが苦手です。これは戦後高度成長期以降の核家族化の影響です。ですから地方語や標準語の意識・知識にわりと無知なところが大人になっても継続している人が多いですね。そこにさらにネットによる話すことそのものの減少があります。まずそもそも仲間と直接にしゃべらなくなっていってますね。従来の標準語は山の手言葉から始まりますが、以前は学校でかなり厳しく標準語教育を取りいれていましたが、最近はまったくそういう指導はしてないと思います。で、彼らは仕方なく、自分たちなりの標準語を模索していくことになる。東京は地方からの出身が非常に多いので、それらの「面白い」ところをどんどん取り込んでいき、言葉を楽しんでいるんだと思います。むしろこれはいいことだと思いますよ。いずれそれも淘汰されます。なぜなら言葉、方言は常に流動する「生き物」だからです。
特に昨今は公共放送のアナウンサーですら正しい日本語イントネーションができなくなってきました。この理由はまた別にあって、いわゆる民主主義、男女平等がもたらした厳しい社内教育の低下もあるのかも知れません。あまり厳しく指導する人がいなくなった?ためじゃないかと感じることがありますね。NHKよりもむしろ民放のアナウンサーの方が正しいアクセントの人が多いのが面白いですね。
われわれにとっては「高い」「暑い」などの、今の人のイントネーションの変化は違和感があります。「熱い・暑い」と「厚い」は以前、全国共通して「熱い・暑い」は「つ」にアクセント、「厚い」は「あ」にアクセントが置かれてきました。今は、まるで関西弁のようになってきたというか、「厚い心で」と聞こえてしまいますね。「熱い心で」という意味にわれわれ世代では絶対に受け取れないアクセントの入れ方をしてます。実に居住まいが悪い。しかし彼らはそれに違和感がない。つまり従来型の標準語アクセントを大家族の中で、十分に身につけていないことになります。
理由はやっぱり核家族、さらにその家族がばらばらに生きているのだということじゃないでしょうか?家の中におばあちゃんがいなくなるとさまざまの弊害が起きているわけです。生活の知恵も同じですね。昔の人なら常識の知識が、若い人にまったく受けつが手いません。特に地方でも大きな都市ですね、それが目立つのは。これは生活内でも古今伝授の崩壊ですよ。天候への危機感、病気への危機感の無知は目立ちます。年寄りがいなくなる悪いところはそういう民間の知恵、いいところは迷信が減ったことかな。
もうひとつ、「れ」貫き言葉も最近の風潮です。「生きられる」が「生きれる」になり、おかしいのは「生きていける」でいいところをわざわざ「れ」を入れて「生きていけれる」とか実に面白い。
Q 「住んでいれれる」とかね。はっしょてるのか、どっちかわかんなくなる。
A 実に独創的です、若者は。
Q ではそういうのはみな、家族崩壊による子供の標準語無知?
A ま、いいじゃないですか。仕方ない。社会的な動きですから。
Q そういう結論を最後に、よくここで「入れれますね」?
A あれれ?「入れられますね」でしょ?
Q あれれれれれ~~~~?こんがらがってきたりして~~~ではみなさん、いい週末をお迎えください。いや?送ってくださいかな?おくれれるかな?
AQ れれれれれれれれれれ~~~~お出かけですかあ???
A