民俗考古学・新古代学・古代人間行動学
「鳥取県米子市にある稲吉角田(いなよしすみた)遺跡(弥生中期)において、絵画が描かれた土器が出土した。その概要を『原始絵画の研究』(設楽2006)より以下に要約・引用する。
稲吉角田(inuinosumida?)遺跡は、妻木晩田(むきばんだ)遺跡の西方に位置する丘陵の裾近くの扇状地に所在する遺跡である。1980年の調査において多数の弥生土器が出土し、その中に絵画資料が含まれていた。この土器は、口径約50cm、推定高120 cm以上の大型壷であり、口縁部から頸部にかけて6種類の絵画が描かれている。土器の大きさや他の遺跡の類例からみて、土器自体はおそらくは壷棺として利用されたものと思われるが、正確な出土状況は不明である。土器の時期は伯耆Ⅳ‐3期(弥生時代中期後葉)であり、絵画は土器の焼成以前に描かれている。
図1Aのaからfは、この土器に描かれた絵画で、見やすくするために一部補正が施された復元図である。
図1Bは、(佐々木1981)に掲載の図1Aに対応する出土原図である。」

a鹿 c樹木?+銅鐸? d高床式建物 e やぐら状建物 b太陽 f 船と人物
真ん中のd図に注目されたい。
ほとんど建造物としてはテントほどの役割しかないように見える。ただの天蓋であろうか?なにゆえに中央部に壁やらの障壁物がないガランドウなのだろうか?
C図はいった何を表しているのか?
e図はまるで出雲の杵築大社の原始の姿のようである。
f図はどうやら中国の「羽人 うじん」に似ている。
九本柱の建造物として有名なもの
この見取り図の南北のラインから、この柱構造物は右へ20度ずらして立ててある。つまり東へ20度、斜めに建っているのだ。
このずれを、あなたなら、よく言われている冬至と夏至で解明しようとするかも知れない。
この佐賀県吉野ヶ里の墳丘墓の向きと同じように解釈するだろう。
その復元されたもの。
なんともどてっぱらがすーすーした、風通しのよい建物に仕上がっている。
なぜこうしたのだろうか?
さて神社の屋根には千木と鰹木があるのだが、あれは何のために置かれているのかよくわかっていない。
次に田和山遺跡の九本柱・五本柱建造物を見てみよう。
おや?どこかで似たようなものを?
そう、青森県三内丸山、日本海の桜町遺跡などの縄文の柱構造物である。
果たして、この高地性擬似戦闘場集落で、人はこの柱に何を祈ったのか?
実はここもやはり南北に10~20度の「北西から南東に向く」建造物である。
それは太陽祭祀のレイラインだけで果たして読み解けるだろうか?
ほかにも島根県杉沢遺Ⅱ跡は20度、鳥取県羽合町の古墳時代の遺跡・長瀬高浜遺跡が20度、それぞれ「戌亥の方角を向くように」南北ラインからずらして建てられていた。
そのうち、古墳時代の長瀬高浜をのぞくすべての弥生遺跡に、
二間×二間の田の字型九本柱構造物があって、すべて戌亥・辰巳の方角を向いている。
これが夏至と冬至、春分・秋分のそれぞれの角度差である。
日の出入り方位
北 緯 | 夏 至 | 立 夏 立 秋 | 春 分 秋 分 | 立 春 立 冬 | 冬 至 |
20° 25 30 32 34 36 38 40 45 50 | +25.4° 26.5 27.9 28.6 29.3 30.2 31.1 32.1 35.3 +39.5 | +17.7° 18.5 19.5 19.9 20.5 21.0 21.6 22.3 24.4 +27.1 | +0.3° 0.4 0.5 0.5 0.6 0.6 0.7 0.7 0.9 +1.0 | -17.1° 17.7 18.4 18.8 19.2 19.7 20.2 20.8 22.5 -24.8 | -24.7° 25.6 26.8 27.4 28.0 28.8 29.6 30.5 33.2 -37.0 |
表.各地の日の出入り方位(「理科年表」1990版より)
日の入り、日の出の角度は、北緯つまり測る場所によってずいぶん差がある。
しかし、これまで見た来た遺跡の、どこでも南北に対して20度のずれである。
島根、鳥取、能登、三内、北緯に左右されてはいない。さて?
北西と南東・・・・はて?
『出雲国風土記』大原郡神原郷の条に
「大神の御財(みたから)積み置き給ひし処は、戌亥の隅」・・・
とある。
日本海側と言えば四隅突出型墳丘墓がある。
あの糸巻き型の突出部はそれぞれ四至を現すと言われるけれど、どこも青銅器=銅鐸などが埋められていた。
あの有名な加茂岩倉遺跡と神庭荒神谷遺跡は、神原郷のまさに北西の端にあって、そこから銅鐸・銅剣・銅矛などが大量に出土した。これこそが風土記にある「戌亥の方角に隠された出雲大神=大穴持オオナムチの御財」だったのではあるまいか?
二つの遺跡はともに戌亥を背にした丘陵の東南斜面に埋められていたのだ!
ではなぜ戌亥なのか?
神庭荒神谷は加茂岩倉から丘陵を越えて3.4キロ北西に位置する。
あの有名な「景初四年鏡」が出た神原神社古墳という古墳時代前期の古墳も、実は北西~東南の方位軸上に作られている。
この記事を書きながら、外の風の音を聞いている。
強風が吹いてきた。
関東で山瀬、関西で穴師、季節風、冬将軍、モンスーン、木枯らし・・・などなどそれこそ名前の多い風の到来である。その風は先にも書いたように、秋は二百十日を過ぎて神嘗祭の頃から吹き始める、出雲では「忌み荒れ風」である。
この風の名前が日本海側に特に異称が多いこと、よもやお忘れではあるまい。
1 アナジ・アナシ (纏向・和泉・伊勢・伊賀・若狭・能登など)
2 お忌み荒れ(出雲大社神在月の風)
3 西ながれ(石川県)
4 二ソ(福井)
5 アイの風(日本海・万葉「安由能加是」あえのかぜ)
6 ワタシ風
7 マツボリ風(阿蘇・溜め込んで=「マツぼる」一気に噴出される風)
8 ホマチ風(福島県郡山周辺・「帆待ち風」だろう)
9 タマ風(北日本全般)
10ダイシコ吹き(大師講吹き・中国地方東部)
11御神楽流れ(岐阜県揖斐郡)
12アユの風(東海地方)
13雁渡し
Kawakatuはこの風に逢わせてここ数日、風の記事を書いてきたが、読者の反応はいまいちであった。
この風こそが戌亥の隅から吹いてくる神風・鬼風なのだ。
つまり、千木や鰹木同様に、これらの建造物が柱しかない、空虚な構造物である理由とは、風を防ぐのではなく、風をやり過ごす意味を持っているのではないか?
千木は風を切るためにある。
同じ構造が江南の少数民族の家屋にもついている。
柱は屋根がない。壁もない。
ただ風を通り抜けさせるだけの構造物なのである。
なぜ?
それこそが風災害の「行き過ぎてくれる」ための呪、願いだからである。
そのためにわざわざあのような巨大な柱を?
それが縄文~古墳にかけての、日本海の蝦夷文化にある「魂風 たまかぜ」の祭祀だったのではないか?
この季節風が吹くと西高東低が確固たるものになり、北には大雪、中部・関東にはまた竜巻や突風、空っ風、そして西日本には中国からの黄砂を大量に降らせる冬が始まる。それが追儺である。二月のお水取りが春を告げるまで、全国に追儺行事が始まる。そして呪師が祭祀で走り始める師走がやってくる。
右へ旋回、左へ左盤・・・・能楽も呪師も猿楽も、厄払いも、舞踏家も、すべてが回り始める。力士は土を踏みしめる。ああ、年末がやってくる。大つごもりがやってくる。来訪する災害神よ、どうか今年こそは人を食わずに去ってくれ!!!
なのではないか?戌亥の隅を向くのは?いかが?
参考 萩原秀三郎
『鬼の復権』「戌亥の隅から」より
いなよし よい稲穂のために戌亥の
すみた 隅で祭祀した
Kawakatu’s HP 渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
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公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
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