いつも思ってきたことのひとつがこれだ。
日本はアジア世界なのか、西欧世界なのか?
民族的にはアジア民族。
言語的にはウラル・アルタイ民族。
政治的には西欧文化を享受。
さて、歴史の中にある西欧文明による支配という概念がある。
筆者は歴史と言うものから考えていくと、日本と言う国のどっちつかずが少し、怖い時代になりはじめたとひしひしと感じる。
たとえば世界がひとつになるという視点で考えればどうなるか?
今すぐに中国との連携は、ほとんどの日本人ならとんでもない話だろう。筆者も心情的にはまったく同感と言うしかない。
しかし1000年先に世界がひとつになるために、ゆっくりとではあるが、アジアはひとつになってゆく必要があることも否めない。
一旦、西欧とアジアの二極分化の数百年をはさんで、ようやく世界の一元化はなしえるのではないかという思いは、いつも心の中に置いている。
もし、日本が中国との連携を勧め始めると、ほかのアジア世界はどうするだろう?と想像してみてほしい。アジアの独立。西欧の支配的世界から、今世界で対等に立ち迎えられるのはアジアしかないのではないか?するとアメリカのお山の大将的動きや、ヨーロッパの支配的、威圧的、宗教にまで干渉しようとしてきた長い歴史を持ってきた西アジアは、それを賛美するかも知れない。すると・・・
世界観は大きなビッグバンを迎えることになるはずである。
なにもかもキリスト教の正義を押し付けてくる欧米のやりかたに、そろそろアジアは飽き飽きし始めていることは間違いない。
史観の180度の変換がこれから日本に求められている。
これまでの主観的好き嫌いから、ぼちぼち世界のアジアとしてのアイデンティティをアジア人自身が作り出してゆくときなのかも知れない。
世界が、地球がひとつの平和世界になってゆくために、近道を考えるときなのかも知れない。怨念を越える勇気が求められている。そんな気がする。
もちろん、そのころに筆者はすでにこの世にはいないことだろう。
それだけに、今が分岐点であるとひしひしと思う。ロシアも含めてアジア世界が既製の西欧史観を塗り替える時代が、始まったのかも知れない。
どっちが得かようく考えなければなるまい。
中国は今は西欧的倫理観から見れば×だが、日本がアドバイスできるようになれば一気にまっとうな国家になるかも知れない。そうすると韓国も北朝鮮もインドも東南アジアもロシアも、文句のつけようがなくなる、そんな気がしているんだがねえ。