その総人口はおよそ1万6千人でチュクチ語を話す。Wikiチュクチ
「チュクチはその多くが、チュクチ自治管区の八つの地区に居住し、ごく一部が隣接するコリャーク自治管区アリュートル地区およびサハ共和国の下コリマ地区に居住している。チュクチ族は現在、地理的位置および生活様式によって、おおよそ二つのグループに分かれる。一方は、広大なツンドラ地帯でトナカイを追って遊牧する「トナカイ遊牧民」であり、もう一方は北極海の一部であるチュクチ海やベーリング海の海岸地帯に居住し、漁労活動や海獣狩猟を営む「海岸定住民」である。「チュクチ」という民族の名称は、このうち前者の自称である「トナカイ遊牧民 cawc
w」に由来する。したがって、後者の「海岸定住民」は、その居住地域を反映した別の自称 a
qal![]()
n「海の人」をもっている。この二分類は言語的には、東部方言と西部方言という分類にほぼ対応する。




チュクチ語の特徴
チュクチ語は、北東アジアにありながら、日本語、朝鮮語、アルタイ諸語といった我々に身近な言語とは大きく異なる特徴を持っている。まず音韻面では、独特な母音調和という現象がある。母音調和とは、母音が二つの系列に分かれ、一語の中には同系列の母音(中立母音はいずれとも)しか共起できない制約のことであり、トルコ語やモンゴル語といったアルタイ諸語でよく知られた現象である。これらの言語では、語幹の母音がどの系列に属するかにより、接辞(主に接尾辞)の母音の系列もこれに準じて決まる、いわば一方向的なものである(例えば、モンゴル語のax-aar-aa「自分の兄によって」、
x-![]()
r-![]()
「自分の母によって」)。一方、チュクチ語の母音調和はこれとは異なり、母音が強弱の二系列に分かれ、強母音を含む形態素が語幹か接辞のいずれかにかかわらず、弱母音を対応する強母音に同化させる両方向的なものである(例えば、plak-qas「ブーツの片方」, plek-
t「複数のブーツ」)。 形態面では、チュクチ語は一語に多くの形態素が組み込まれうる複統合的な言語である。例えば、日本語で「私は鍋を水でゆすいだ」という文は、チュクチ語では t
-kuk-iml
-nilu-γ
ek という一語で表せてしまう。すなわち、この語は、「私」を意味する接周辞 t
-~-γ
ekの中に、「鍋」、「水」、「ゆすぐ」をそれぞれ意味する語幹 kuk、iml
、nilu が合成されて組み込まれている。また、「私はトナカイ肉を食べている」という文も、n
-qorat
ol-o-jγ
m という一語で表されてしまう。すなわち、この語は現在時制を表す接頭辞 n
-、名詞語幹 qorat
ol「トナカイ肉」、「食べる」を表す接尾辞 -o、「私」を意味する接尾辞-jγ
m からなるが、通常、自立語幹で表される動詞的な概念が -o のように接尾辞で表されうるのである。このように、複数の名詞や副詞を動詞に合成させて新たな一語を作る、いわゆる抱合(incorporation)や、具体的な動詞概念をもつ接尾辞の存在がチュクチ語の高い統合性を保証しているといえる。」http://www.aa.tufs.ac.jp/~tugusk/a02/bunka/kurebito.html


















チュクチ族のシャーマンの踊り
三内丸山遺跡縄文中期終末(約4300年前)のシャーマン像
「この土器片は1993年、遺跡中央の盛り土から発掘されていたが、専門家の話によると、その土器に描かれた姿は、北方アジアはシベリアのチュクチ族のシャーマンの踊りに似ているという。チュクチ族もまた高句麗や百済のシャーマニズムを起源にもつ人物が描かれているらしい。
当時の生活道具が多く捨てられていた「盛り土」の中から見つかったらしく、この盛り土からの出土品は約600万点もあり、2年ほど前から整理作業を進めてきたと云う。」http://blog.goo.ne.jp/tommz_1938/e/c283980ee0563eea6a58fd6bd53835c7
当時の生活道具が多く捨てられていた「盛り土」の中から見つかったらしく、この盛り土からの出土品は約600万点もあり、2年ほど前から整理作業を進めてきたと云う。」http://blog.goo.ne.jp/tommz_1938/e/c283980ee0563eea6a58fd6bd53835c7
特徴
右手に弓状のもの、左手に矢らしきものを持ち
先端の尖ったそりあがった靴をはき
頭部には羽飾り状のものを乗せ
がにまた状に両足を屈曲させて広げ
飛び上がって踊っている
同様の線刻は岩手県一戸(いちのへ)町の御所野遺跡(ごしょの・中期)、同県北上市の八天遺跡(はってん・後期)でも出土しており、いずれもチュクチ族あるいはその周辺の人々がやってきていたことを思わせる。
参考 岡村道雄『縄文人からの伝言』2014
縄文時代にはいろんな連中が東北・北海道にやってきたってこと。
以上
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