最近の考古学ニュースから
縄文晩期のほぞ付き角材発見 石川・真脇遺跡
静岡新聞(2015/1/23 03:00)
「石川県能登町教育委員会は22日、同町の真脇遺跡でほぞ状の突起がある縄文時代晩期(約3千年前)の角材が見つかったと発表した。木材同士をつなぐ高い水準の建築技術を持っていたことをうかがわせるという。
ほぞが付いた木製品は縄文時代後期の複数の遺跡で見つかっているが、いずれも角材でなく丸太。木材加工技術の進歩を知る史料となりそうだ。
町教委によると、角材は横たわった下半分がまだ土中に埋まっているが、全長約91センチ、幅約16センチ。片方の先端に長さ約10センチ、幅約6センチのほぞを備えていた。別の木材のほぞ穴に挿し、木材を組み合わせていたとみられる。」
http://www.at-s.com/news/detail/1174161413.html
静岡新聞(2015/1/23 03:00)
「石川県能登町教育委員会は22日、同町の真脇遺跡でほぞ状の突起がある縄文時代晩期(約3千年前)の角材が見つかったと発表した。木材同士をつなぐ高い水準の建築技術を持っていたことをうかがわせるという。
ほぞが付いた木製品は縄文時代後期の複数の遺跡で見つかっているが、いずれも角材でなく丸太。木材加工技術の進歩を知る史料となりそうだ。
町教委によると、角材は横たわった下半分がまだ土中に埋まっているが、全長約91センチ、幅約16センチ。片方の先端に長さ約10センチ、幅約6センチのほぞを備えていた。別の木材のほぞ穴に挿し、木材を組み合わせていたとみられる。」
http://www.at-s.com/news/detail/1174161413.html
縄文人の技術が進んだものだったと、あらためて知るにはいい遺物のひとつだ。
釘を使わない建築様式は今の日本の大工にも伝わっているが、縄文時代からあったものであり、飛鳥の最初の寺院である元興寺(飛鳥寺)も、縄文的建築技術と百済や西アジアの建築技術の集合体であることを知っていただきたい。
ほぞも、エンタシスも、塔芯五重塔建築も、すべては飛騨を経由して招聘された匠と、ペルシアからやってきた西アジア技術の融合によって日本の古代に登場した。
1400年前の黄金文字
時事通信 1月23日(金)14時24分配信
「福岡市は、2011年に同市西区の元岡古墳群から出土した鉄製太刀のさびを取り除き、銘文19文字の露出に成功した。1400年以上前に刻まれたものとされ、文字には高純度の金が使われていた(同市提供)」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150123-00000036-jijp-soci.view-000
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150123-00000036-jijp-soci.view-000
この記事に関連する当ブログ記事http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=ie8scint&p=%E5%85%83%E5%B2%A1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E3%80%80%E6%B0%91%E6%97%8F%E5%AD%A6%E4%BC%9D%E6%89%BF%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%84%E3%81%82%E3%81%92%E8%BE%9E%E5%85%B8
元岡古墳群G6号金象嵌太刀公開/太刀授受したのは筑紫国造鞍橋君 被葬者はその孫か? その1http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55338303.html
その2 大発見鞍橋君は筑紫熱田神社宮司 多氏・物部氏・海部氏と筑紫国造の相関関係
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55338324.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55338324.html
象嵌銘文入り鉄剣出土地一覧(過去記事はヤフーブログでは、容量を小さくするために記事全体が縮小表示されます。拡大して閲覧してください)
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55466356.html
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脇が甘い。
1500年前のタイムカプセルが開かれた えびの市の島内地下式横穴墓 [宮崎県]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150121-00010006-nishinp-l45
「玄室には男女とみられる人骨2体が安置されていた。橋本准教授は武器や武具の多さから、男性は武人的性格とみる。墓が造営された5世紀ごろは、朝鮮半島の動乱期で、大和政権も出兵するなど緊張が続いた。「男性は近畿の大和政権に直接出向いて甲冑を受け取り、朝鮮半島で軍事か交易かの功績を挙げて銀装円頭大刀を手に入れたのではないか」と推測する。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150121-00010006-nishinp-l45
「玄室には男女とみられる人骨2体が安置されていた。橋本准教授は武器や武具の多さから、男性は武人的性格とみる。墓が造営された5世紀ごろは、朝鮮半島の動乱期で、大和政権も出兵するなど緊張が続いた。「男性は近畿の大和政権に直接出向いて甲冑を受け取り、朝鮮半島で軍事か交易かの功績を挙げて銀装円頭大刀を手に入れたのではないか」と推測する。」
地下式横穴は隼人の墳墓様式。
このように、目立った考古学の発掘は最近非常に減っている。
もちろん発掘そのものは各地でたくさんされてはいるが、さほど重要な発見は以前に比べて少なくなってきた。現在、都市になっているところにこそ、重要なものは埋まっているのだろう。
もちろん発掘そのものは各地でたくさんされてはいるが、さほど重要な発見は以前に比べて少なくなってきた。現在、都市になっているところにこそ、重要なものは埋まっているのだろう。
思い出したのは応仁の乱のとき、京都の住民は戦火を逃れるために京都市中に穴を掘り、地下に隠れたということだ。そのとき、京都の市街地はすべて全焼している。つまり今、われわれが見ている京都は、すべて秀吉時代に復興された「新しい京都」なのである。例えば、今の奈良市内や桜井市内のどこかから、地下に潜りこめたなら、どれほどのお宝遺跡が隠れているかと思うと。ぼくなどは奈良県地図から住宅地や寺社をはぎとってしまいたくなる(^^
Kawakatu’s HP 渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
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Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U
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