「九夷」とは?
◆『論語』
「子欲居九夷。或曰陋如之何。子曰。君子居之。何陋之有。 」
読み
子、九夷に居らんと欲す。或ひと曰く、陋(ろう)なり。之を如何(いかん)と。子曰く、君子之に居す。何の陋か之あらんと。
大意
孔子が(道義の廃れた国を厭うて)九夷(国)に住みたいと言った。ある人が、九夷は陋だがどうでしょうかと言うと、孔子は、君子が居る国なのだから、君子に対して従順な民を陋として問題視することはできないと応えた。 - 論語子罕第九
◆『論語』
「子欲居九夷。或曰陋如之何。子曰。君子居之。何陋之有。 」
読み
子、九夷に居らんと欲す。或ひと曰く、陋(ろう)なり。之を如何(いかん)と。子曰く、君子之に居す。何の陋か之あらんと。
大意
孔子が(道義の廃れた国を厭うて)九夷(国)に住みたいと言った。ある人が、九夷は陋だがどうでしょうかと言うと、孔子は、君子が居る国なのだから、君子に対して従順な民を陋として問題視することはできないと応えた。 - 論語子罕第九
「子曰。道不行。乘桴浮于海。從我者其由與。子路聞之喜。」
読み
子曰く、道行なわれず、桴(いかだ)に乗りて海に浮ばん。我に従う者は其れ由(ゆう)かと。子路之を聞きて喜ぶ。
大意
孔子が、道義が行われない。いかだに乗って、海外に行ってしまいたいが、〈その時に〉私について来る者は由(=子路)ぐらいのものだな、と言った。子路がこれを聞いて(孔子が多くの弟子の中から特に自分の名を挙げてくれたことを)喜んだ
読み
子曰く、道行なわれず、桴(いかだ)に乗りて海に浮ばん。我に従う者は其れ由(ゆう)かと。子路之を聞きて喜ぶ。
大意
孔子が、道義が行われない。いかだに乗って、海外に行ってしまいたいが、〈その時に〉私について来る者は由(=子路)ぐらいのものだな、と言った。子路がこれを聞いて(孔子が多くの弟子の中から特に自分の名を挙げてくれたことを)喜んだ
◆『漢書』地理志
「然東夷天性柔順、異於三方之外、故孔子悼道不行、設浮於海、欲居九夷、有以也夫。樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」
読み
然して東夷の天性柔順、三方の外に異なる。故に孔子、道の行われざるを悼み、説(も)し海に浮かばば、九夷に居らんと欲す。以(ゆえ)有るかな。楽浪海中に「倭人」あり、 分かれて百余国をなし、 歳時をもって来たりて献見すと云う。
大意
東夷の者の性質は天性柔順で中国の近くの三方向の蛮族とは異なる。ゆえにあの孔子でさえ、わが国の道理のだめなことを憂い、もし海に出られるならば九夷(東方の理想の島國)に行きたいと欲したのだ。そういった故事もあるので思い出すのは、いにしえより楽浪の海(渤海)には倭人がいる、分かれて百余国を作っている、時を選んで朝貢してきた、と言い伝えられていることである。(孔子の言った九夷とは倭人の国のことではなかろうか?)
つまり日本のこと
それも九州島のことであろう。
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「倭人」とは
◆『山海経』(せんがいきょう)
海内北経
「蓋(がい)国は、強大な燕の南、倭の北にある。倭は燕に属している。朝鮮 は列陽の東の海、北山の南にある。列陽は燕に属している。」
つまりのちの北魏や燕の南はすぐ倭である。ここには三韓諸国も新羅も百済も伽耶も存在していない。そう書いてあることになる。
つまり朝鮮半島全体はそもそも倭人(=南方系海人族縄文人)のいた場所だったが、あとから北方系遊牧民が大量に入り込んで倭人を南へ追いやったという意味になる。違うか?だったら朝鮮半島は紀元前6~4世紀以前から倭人の土地であろう。
つまり朝鮮半島全体はそもそも倭人(=南方系海人族縄文人)のいた場所だったが、あとから北方系遊牧民が大量に入り込んで倭人を南へ追いやったという意味になる。違うか?だったら朝鮮半島は紀元前6~4世紀以前から倭人の土地であろう。
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蓬莱とは
中国最古の地理書「山海経」の「海内北経」に、「蓬莱山は海中にあり、大人の市は海中にあり」と記されている。「市」とは蜃気楼のことで、実際、山東省の蓬莱県は、蜃気楼の名所で古来より有名である。
蓬萊は、方丈・瀛州(えいしゅう)とともに東方の三神山の1つであり、渤海湾に面した山東半島のはるか東方の海(渤海とも言われる)にあり、不老不死の仙人が住むと伝えられている。徐福伝説を記した司馬遷『史記』巻百十八『淮南衝山列伝』で記されている。
なお、他の二山の、「方丈」とは神仙が住む東方絶海の中央にあるとされる島で、「方壷(ほうこ)」とも呼ばれる。
瀛州はのちに日本を指す名前となった[4]。「東瀛(とうえい)」ともいう。魏晋南北朝時代の487年、「瀛州」は、行政区分として制定される。
または台湾を指すとされる。台湾は、蓬萊仙島と中国語では呼ばれる。
中国最古の地理書「山海経」の「海内北経」に、「蓬莱山は海中にあり、大人の市は海中にあり」と記されている。「市」とは蜃気楼のことで、実際、山東省の蓬莱県は、蜃気楼の名所で古来より有名である。
蓬萊は、方丈・瀛州(えいしゅう)とともに東方の三神山の1つであり、渤海湾に面した山東半島のはるか東方の海(渤海とも言われる)にあり、不老不死の仙人が住むと伝えられている。徐福伝説を記した司馬遷『史記』巻百十八『淮南衝山列伝』で記されている。
なお、他の二山の、「方丈」とは神仙が住む東方絶海の中央にあるとされる島で、「方壷(ほうこ)」とも呼ばれる。
瀛州はのちに日本を指す名前となった[4]。「東瀛(とうえい)」ともいう。魏晋南北朝時代の487年、「瀛州」は、行政区分として制定される。
または台湾を指すとされる。台湾は、蓬萊仙島と中国語では呼ばれる。
つまり日本列島のことである。
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帝国海軍軍艦扶桑
扶桑とは
◆ 『山海経』海経第4巻 第9 海外東經
下有湯谷 湯谷上有扶桑 十日所浴 在齒北 居水中 有大木 九日居下枝 一日居上枝
大意
下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり、10の太陽が水浴びをする。黒歯国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽が上の枝にある。
下有湯谷 湯谷上有扶桑 十日所浴 在齒北 居水中 有大木 九日居下枝 一日居上枝
大意
下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり、10の太陽が水浴びをする。黒歯国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽が上の枝にある。
大荒之中 有山名曰孽搖頵羝 上有扶木 柱三百里 其葉如芥 有谷曰溫源谷 湯谷上有扶木 一日方至 一日方出 皆載於烏
大意
大荒(辺境)の中に孽搖頵羝(げつよういんてい)という山があり、山の上に扶木がある。高さは300里(130m)、その葉はカラシナに似る。温源谷(= 湯谷 ?)という谷があり、湯谷の上に扶木がある。1つの太陽が来ると1つの太陽が出て行き、太陽はみな烏を載せている。 『山海経』海経巻9 第14 大荒東經[3]
つまり日本のこと。
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黒歯國とは
去女王四千餘里又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可
去女王四千餘里又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可
大意
女王・卑弥呼国から4000余里に裸国と黒歯国がある。東南に船で一年で着く)
『三国志』魏書東夷伝倭人条
女王・卑弥呼国から4000余里に裸国と黒歯国がある。東南に船で一年で着く)
『三国志』魏書東夷伝倭人条
其南有侏儒國 人長三四尺 又南齒國 裸國 去倭四千餘里 船行可一年至
大意
南に身長3~4尺(70~90cm、1尺≒23cm)の民の国があって、その南に黒歯国がある。倭から4000余里。船で1年で着く
『梁書』卷五十四 列傳第四十八 諸夷傳東夷条 倭
南に身長3~4尺(70~90cm、1尺≒23cm)の民の国があって、その南に黒歯国がある。倭から4000余里。船で1年で着く
『梁書』卷五十四 列傳第四十八 諸夷傳東夷条 倭
◆淮南子『淮南子』
朝發榑桑 日入落棠
大意
太陽はクワから昇り、コリンゴに沈む
太陽はクワから昇り、コリンゴに沈む
◆『史記』巻114司馬相如列傳 第57
海外經云 湯谷在齒北 上有扶桑木 水中十日所浴 張揖云 日所出也 許慎云 熱如湯
「海外経」によると、黒歯の北に湯谷があり、その上に扶桑木があり、水中で10の太陽が水浴びをする。張揖によると、そこが日の出の場所である。許慎によると、(そこの海水は)湯のように熱い
「海外経」によると、黒歯の北に湯谷があり、その上に扶桑木があり、水中で10の太陽が水浴びをする。張揖によると、そこが日の出の場所である。許慎によると、(そこの海水は)湯のように熱い
◆ 『梁書』巻54 列伝第48 諸夷 海南 東夷 西北諸戎 扶桑國
扶桑國、在昔聞也。普通中、有道人稱自彼而至、其言元本尤悉、故扞録焉。(中略)扶桑國者、齊永元元年、其國有沙門慧深來至荊州、説云「扶桑在大漢國東二萬餘里、地在中国之東、其土多扶桑木、故以爲名。扶桑葉似桐、而初生如笋、國人食之、實如梨而赤、績其皮爲布以爲衣、亦以爲綿。作板屋。無城郭。有文字、以扶桑皮爲紙。無兵甲、不攻戦。其國法、有南北獄。若犯徑者入南獄、重罪者入北獄。有赦則赦南獄、不赦北獄。在北獄者、男女相配、生男八歳爲奴、生女九歳爲婢。犯罪之身、至死不出。貴人有罪、國乃大曾、坐罪人於坑、對之宴飮、分訣若死別焉。以灰繞之、其一重則一身屏退、二重則及子孫、三重則及七世。名國王爲乙祁、貴人第一者爲大對盧、第二者爲小對盧、第三者爲納咄沙。國王行有鼓角導從。其衣色随年改易、甲乙年青、丙丁年赤、戊己年黄、庚辛年白、壬癸年黒。有牛角甚長、以角載物、至勝二十斛。車有馬車、牛車。鹿車。國人養鹿、如中國畜牛。以乳爲酪。有桑梨、徑年不壊。多蒲桃。其地無鐡有銅、不貴金銀。市無租估。其婚姻、壻往女家門外作屋、農夕灑掃、徑年而女不悦、即驅之、相悦乃成婚。婚禮大低與中國同。親喪、七日不食、祖父母喪、五日不食、兄弟伯叔姑姉妹、三日不食。設靈爲神像、朝夕拜奠、不制縗絰。嗣王立、三年不視國事。其俗舊無佛法、宋大明二年、罽賓國嘗有比丘五人游行至其國、流通佛法、徑像、教令出家、風俗遂改。」慧深又云「扶桑東千餘里有女國(以下略)
扶桑國、在昔聞也。普通中、有道人稱自彼而至、其言元本尤悉、故扞録焉。(中略)扶桑國者、齊永元元年、其國有沙門慧深來至荊州、説云「扶桑在大漢國東二萬餘里、地在中国之東、其土多扶桑木、故以爲名。扶桑葉似桐、而初生如笋、國人食之、實如梨而赤、績其皮爲布以爲衣、亦以爲綿。作板屋。無城郭。有文字、以扶桑皮爲紙。無兵甲、不攻戦。其國法、有南北獄。若犯徑者入南獄、重罪者入北獄。有赦則赦南獄、不赦北獄。在北獄者、男女相配、生男八歳爲奴、生女九歳爲婢。犯罪之身、至死不出。貴人有罪、國乃大曾、坐罪人於坑、對之宴飮、分訣若死別焉。以灰繞之、其一重則一身屏退、二重則及子孫、三重則及七世。名國王爲乙祁、貴人第一者爲大對盧、第二者爲小對盧、第三者爲納咄沙。國王行有鼓角導從。其衣色随年改易、甲乙年青、丙丁年赤、戊己年黄、庚辛年白、壬癸年黒。有牛角甚長、以角載物、至勝二十斛。車有馬車、牛車。鹿車。國人養鹿、如中國畜牛。以乳爲酪。有桑梨、徑年不壊。多蒲桃。其地無鐡有銅、不貴金銀。市無租估。其婚姻、壻往女家門外作屋、農夕灑掃、徑年而女不悦、即驅之、相悦乃成婚。婚禮大低與中國同。親喪、七日不食、祖父母喪、五日不食、兄弟伯叔姑姉妹、三日不食。設靈爲神像、朝夕拜奠、不制縗絰。嗣王立、三年不視國事。其俗舊無佛法、宋大明二年、罽賓國嘗有比丘五人游行至其國、流通佛法、徑像、教令出家、風俗遂改。」慧深又云「扶桑東千餘里有女國(以下略)
(扶桑国の話は以前はなかったが、普通年間 (520年–527年)、扶桑国から来たと言う者の話を記す。(中略)
永元元年(499年)、扶桑国の僧慧深が荊州に来て言った。
「扶桑国は大漢国の東二万余里(8700km余)、中国の東方にある。「扶桑の木」が多いことからその名がある。扶桑の葉は桐に似て、生え始めはタケノコのようで、扶桑国人は食用にする。実は梨のようで赤く、その皮を績いで布にして衣類や綿にしたり屋根を葺いたりする。文字はあり、扶桑の皮でできた紙に書く。城郭はなく、兵士や武装はなく、戦争をしかけない。
南北2つの監獄があり、軽罪の者は南獄、重罪の者は北獄に入る。南獄には恩赦があるが北獄にはない。北獄では男女を番わせ、生まれた男児は8歳・女児は9歳で奴婢とし、罪人自身は一生出られない。貴人が有罪となれば、穴の中に座らせ、酒宴を開いて処刑し、その上に灰を撒く。初犯なら当人が責を受けるだけだが、再犯なら子と孫、三犯なら7世に及ぶ。
国王の名は乙祁。貴人(「祁貴人」が王の名の可能性あり)の第1位は大対盧、第2位は小対盧、第3位は納咄沙と呼ぶ。国王が行くときには鼓笛を従える。その衣の色は年により変わり、甲乙年は青、丙丁年は赤、戊己年は黄、庚辛年は白、壬癸年は黒である。
牛の角は非常に長く、20斛(540kg、1斛≒57kg)以上を運ぶ。馬車、牛車にくわえ、鹿車がある。中国人が牛を飼うように、扶桑国人は鹿を飼い、乳から乳製品を作る。桑、梨、フトモモがある。鉄はないが銅(青銅か)はあり、金銀はふんだんにある。市場では税金がかからない。
結婚するときは、婿が女の家へ行き、門外に建物を作り朝夕掃除する。女が喜ばなかったら取り壊し、喜べば成婚となる。結婚式は中国とほぼ同じである。
親の喪には7日間絶食する。祖父母は5日間、兄弟姉妹おじおばは3日間である。死者の霊を神像とし、朝夕拝む。(先王が死んで?)王の跡継ぎが立ったときには、3年間国事に関わらなかった。
かつては仏教はなかったが、大明2年(458年)、罽賓国(ガンダーラ・カシミール近辺)から5人の僧が来て仏典と仏像をもたらし出家を勧めたので、風俗は変化した」
また慧深はこうも言った。「扶桑の東1000余里(430km)に女国があり、(以下略、一部意訳))
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チャン人は今でも蓬莱・扶桑・九夷に憧れ続けている。
チャンちゃらおかしい話ではあるが、彼らの脳みそはまだ古代のままだということになろうか?
チャンちゃらおかしい話ではあるが、彼らの脳みそはまだ古代のままだということになろうか?
憧れるということはつまり、そこが自分たちの手の届かぬ理想郷、神仙郷ということなのであり、そりゃつまりその島々は倭人のものであって、自分たちの土地ではないということを如実に示すことになるのである。
かなり右に偏って遊んでみた。
なあに、ただのガス抜きですよ。中華が得意なね。
ガス抜きしなければおちおち政治もできない社会っていうのが、そもそも未開社会・古代社会なんじゃないか?
PM2.5をしらーっとばら撒くのと、北鮮のポン骨ミサイルとどう違うのかってこと。
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