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現代フィリピンの棚田・コメ炊き土鍋・餅搗く杵 土器には蓋はありますか?


このところNHKBSプレミアムで、アーカイブスの過去の好番組がのきなみ再放送されている。中でも地球46億年の歴史を遡る番組は、何度観ても素晴らしい。

在日韓国人料理研究家のコウケンテツが海外を訪問する番組も面白い。

その中で、彼がフィリピンのルソン島の棚田を訪れる番組が記憶に新しい。


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なにしろ、現地人が使っていた土鍋が非常に印象に残った。


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カメラに収められなかったので絵にしてみた。

陶器の土鍋のようだったが、その形状はあきらかに縄文後期から日本で隆盛するS字型を基本とした弥生式土器だった。



日本の弥生式土器の典型的形状が縄文式土器とあきらかに違うのは、このS字型というシルエットなのである。縄文土器の多くはみな、底から口へ向けて広がってゆく寸胴のようなシルエット。しかし弥生土器のフォルムは、口が広く、底の円直径がほぼ同じなS字断面を持っている。


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これは朝鮮半島でも共通で、弥生土器は半島から来たとされているわけだが、では半島以前はどこからかというところまであまり話題にならない。つまり誰が東アジアまで持ち込むかという視点が、実は東洋の古代史・考古学ではあまり問題にされていないのだ。



もうひとつ大事なことは、その番組で出てきた「土器」には蓋があったことだ。
ジャワニカ米を炊く土鍋だが、フォルムは弥生土器だが、弥生土器には見られない蓋がある。炊くときは間にバナナの葉を置き、上に蓋をしていた。これは蒸す調理法で、日本でももち米を蒸すときは、甑と蓋の間にふきんを敷く。


日本の縄文土器や弥生土器に蓋はあったのだろうか?




【弥生式土器の蓋】
 
もちろん、弥生土器にも甕の蓋はありました。
まず、以下は山口大学埋蔵文化財資料室のPDFですが。
 写真図版49・50に「弥生土器甕蓋」とあります。
・稲作到来(山口大学埋蔵文化財資料室)
http://ds.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~yuam-w/Shiryoukan.home/shiryoukan/z...

このほか佐原眞氏の書籍(『日本人の誕生』小学館、1987・P259)でも具体例を述べています。
 弥生土器の甕蓋を図示しながら、具体的に炊飯をした状況が書かれています。
※岡山県・上東遺跡出土例などを列記。
ただまぁ、木製の蓋を使用した事例もあったでしょう。
もちろん土器としての残存の方が多いのですが。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1054206100




蓋は、弥生式土器にはあったようである。
だが縄文式土器のような複雑な形状の土器鍋にはどうも蓋はなかったように思う。


もちろん湯を沸かすだけでも、蓋があるのとないのとでは、時間に圧倒的な時間差が生じる。最初は蓋のかわりになる葉っぱやらをして、うえに大きな石を置いていたと思えるが、いずれは誰かが蓋も作るはずである。しかしどうも土器には蓋があったとは、あまり誰も考えない気がする。




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次に気になったのは、稲穂の刈り取りかたが、だいたい日本以外は、穂先をチョッパーナイフで切取るということで、これは随分前から気にしていた。古代では日本でも穂先だけを石製包丁で切り取っていた。神前にも穂先だけをささげる祭は今でもあちこちに残っている。それはつまり原始稲作法の風習が残存したからだろう。ところが今の日本では、ほぼ稲元から鎌で刈り取る方式をとっている。稲穂だけ刈り取るのに比べて、腰をかがめるため、圧倒的にしんどい作業になるのに、これはなぜだろう?

ひとつ言えることは、稲藁の重要性があろうか?



また番組でこのような作業と器具が出てきた。


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上は子供が刈り取った稲の稲穂だけを風に飛ばす作業で、こういう風景昭和初期まで日本にも普通に見られた風景だ。道具は箕(み)を使っていた。まさにこの子供が持っているザルが箕である。



下は稲を脱穀している風景だが、少女たちが持っているのは、確かに古い時代まで日本でも使っていた古い形式の杵である。古代の銅鐸の絵柄でもこの杵が描かれている。いわゆる餅を搗くための現代の杵とは違う。




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そういう道具や風習がフィリピンの棚田にまだ残っていることが、筆者には非常に示唆に富む内容だった。

それが果たして、最初からフィリピン島周辺にあったのか、それとも江南から南下してきた風習なのかが気になる。

また棚田風景の南方での一致、そしてその石垣の修復風景に江戸のアノウ積みを感じたのだった。












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