摩多羅神に言及のある記録・文書
「(摩多羅神は)天竺・支那・扶桑ノ神ナリヤ、其義知リ難シ。支那ノ神ニ非ズ、又日本ノ神ニモ非レバ、知ラザル人疑ヲ起ス輩(やから)モアルベキコトナリ。」
天台学徒覚深「摩多羅神私考」天文二年(1738)
天台学徒覚深「摩多羅神私考」天文二年(1738)
「問。台家(天台宗)ニ摩多羅神ト云モノヲ祭ル由之ヲ聞リ。是イカナル神ゾヤ。
答。是末々ノ愚輩ノ作リ出セシ事ト見ヘタリ。ソノ神像ノアリサマ。頭ニ唐制ノ幞頭(はくとう=中国の朝服用冠帽)ヲ蒙(かぶ)リ、身ニ和様ノ狩衣(かりぎぬ)ヲ着テ、左ノ手ニ鼓ヲ取リ、右ノ手ニテコレヲ打スガタナリ※。左右ニ童子アリ。風折烏帽子ヲ着テ、右ノ手ニサヽ葉ヲ持チ、左ノ手ニミヤウガ(茗荷)ヲ取テ舞ヘルアリサマナリ。中尊ノ両脇ニモ、竹トミヤウガト在リ。頂上ニハ雲気アリ。ソノ内ニ北斗七星ヲ書ケリ。是ヲ摩多羅神ノ曼荼羅ト云由ナリ。是ミナ日本ノ風俗ナリ。一笑スルニ堪タリ(お笑いざたで、相手にするのもはばかられる神だ)。」
空華『空華談叢』天明二年(1782)
答。是末々ノ愚輩ノ作リ出セシ事ト見ヘタリ。ソノ神像ノアリサマ。頭ニ唐制ノ幞頭(はくとう=中国の朝服用冠帽)ヲ蒙(かぶ)リ、身ニ和様ノ狩衣(かりぎぬ)ヲ着テ、左ノ手ニ鼓ヲ取リ、右ノ手ニテコレヲ打スガタナリ※。左右ニ童子アリ。風折烏帽子ヲ着テ、右ノ手ニサヽ葉ヲ持チ、左ノ手ニミヤウガ(茗荷)ヲ取テ舞ヘルアリサマナリ。中尊ノ両脇ニモ、竹トミヤウガト在リ。頂上ニハ雲気アリ。ソノ内ニ北斗七星ヲ書ケリ。是ヲ摩多羅神ノ曼荼羅ト云由ナリ。是ミナ日本ノ風俗ナリ。一笑スルニ堪タリ(お笑いざたで、相手にするのもはばかられる神だ)。」
空華『空華談叢』天明二年(1782)
*この姿は芸能者の「鼓打ち」の格好である。
日光山輪王寺(栃木県)摩多羅神二童子(曼荼羅)図(江戸期) 山本ひろ子『異神』口絵より
〒321-1494 栃木県日光市山内2300
TEL:0288-54-0531 FAX:0288-54-0534
〒321-1494 栃木県日光市山内2300
TEL:0288-54-0531 FAX:0288-54-0534
(茗荷は中国道教ではこれで眼をこすれば魔物が見え、また忘れることが出来るとされている。眼病、癖邪の妙薬。大笑面は如意輪観音などが憤怒面であるのと反対だがどっちも魔をしりぞけ、調伏する表情。二童子は聖徳太子像同様に脇寺として聖人の手足となるもの。前鬼・後鬼と同じ。北斗七星は大極=北極星=太一 たいいつ=天子を助ける星でつまり影の宰相、縁の下の力持ちとしての被差別者の象徴)
「叡山及び其末寺、摩多羅神を崇(あが)めまつれり。此の神、密部諸経儀軌に云ふ阿弥陀の教令輪身にして常行三昧の時の守護神たり。故に台徒尊ひあへり。
中頃台教大にみだれて其一家の学に迷へり。此時禅子(学者)の手段にならひて別に公案を巧書し学侶に著語せしめ印可せり。此時また密法により玄旨帰命壇(げんしきみょうだん)の灌頂(かんちょう)といへる事を造り、摩多羅神を本尊とし、甚秘(=極秘)として相受せり。台徒これより玄旨の壇場を一家の極秘とせし故に、摩多羅神を殊に尊崇することゝなりし。」
天野信景『塩尻』
中頃台教大にみだれて其一家の学に迷へり。此時禅子(学者)の手段にならひて別に公案を巧書し学侶に著語せしめ印可せり。此時また密法により玄旨帰命壇(げんしきみょうだん)の灌頂(かんちょう)といへる事を造り、摩多羅神を本尊とし、甚秘(=極秘)として相受せり。台徒これより玄旨の壇場を一家の極秘とせし故に、摩多羅神を殊に尊崇することゝなりし。」
天野信景『塩尻』
大意
摩多羅神は元々は常行三昧行の守護神だったが、叡山の教学らが混迷を極めると、禅宗の法を真似てこれを本尊として玄旨帰命壇という道場をつくって後戸の本尊として灌頂を行って以来、ことに尊重されるようになっていった。
語義
●密部諸経儀軌(みつぶしょぎょうぎき)=密教の、いろいろな経典にある規則。
●教令輪身(きょうりょうりんしん)=輪とは、全体(輪、Cakra)を形成するための要素という意味で、また煩悩を摧破する輪宝のことである。三輪身=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BC%AA%E8%BA%AB
●常行三昧(じょうぎょうざんまい)=仏教用語。中国天台宗の智(ち・ぎ。天台開祖、智者大師)以来始められた修行。四種三昧の一つ。7日ないし 90日を期限として行われ,阿弥陀仏の像のまわりを歩きながら,その名を称えて阿弥陀仏を念じる三昧修行。 (ブリタニカ国際大百科事典)
●玄旨帰命壇=かつて天台宗に存在した一派である。のちに淫祠邪教扱いされ江戸時代には絶滅したといわれる。玄旨帰命檀は、玄旨檀と帰命檀を合わせたものである。玄旨檀とは、一心三観の深旨を口伝面授する玄旨灌頂であり、法華の法水を授者の頭頂部にそそぐ儀式である。帰命檀とは、衆生の命の根源は天台の理である一念三千にあるとして、それを実現する儀式である。『渓嵐拾葉集』第39「常行堂摩多羅神の事」に記されるように、摩多羅神は円仁が唐から帰国する際に感得して、常行堂に勧請したと伝えられる。しかし実際は、摩多羅神は平安時代から鎌倉時代にかけて成立した玄旨帰命壇の本尊として成立したものと考えられている。Wiki玄旨帰命壇
●後戸=寺院本尊が置かれる戒壇の真後ろのスペース。
●灌頂(かんじょう)=水を頭の頂に注ぐという意。元来は,インドの王の即位,立太子にあたり,大海の水を注ぐ儀式のこと。それが仏教に取入れられ,菩薩が最上の境地に入ろうとするとき,諸仏が智水を菩薩の頭に注ぎ,最上の位に達したことを認めること。 (ブリタニカ)
後戸の神 摩多羅神
後戸にはかつて修二会神事の芸能をする人びとが大道具・小道具を置くのに使われていた。戒壇の本尊は寺院によって違うが、彼らにはどれもが国家と正規の民衆のための仏であって、彼らのためだけの神をここにひっそりと祭るしかなかったのである。
「しかして摩多羅神ノ御堂に入りぬ。宝冠ノ阿弥陀仏ませり。此みほとけの後裡(こう・り=うしろ=後戸)の方に此神を秘斎奉り(ひめいつきまつれり)。・・・やをら神祭はじまれり。まづ篠掛衣(すずかけごろも)着たる優婆塞(うばそく=入門していない民間仏者)出て、「八雲たつ出雲八重垣つまごめにやへがきつくるその八重垣を」と太鼓百々(つづみとうとうと)うち鳴らして謡ひ、また「千代の神楽を奉る」とうたひ、宝螺貝(ほらがい・法螺貝)吹たて神供くさぐさそなへ奉りて、隆蔵寺の法印紅色(くれない)の鬱多羅僧(《〈梵〉uttarāsaṅgaの音写》三衣(さんえ)の一つの、七条の袈裟(けさ)。 )に、みなすいそう(?水晶か)の念珠(ずず)をつまぐり、浜床(はまとこ。貴人・高僧が座る台)の上に座(のぼり)あまたの衆徒居ならびて、優婆塞は入りぬ。
御誦教(ごじゅきょう。天台で読経のこと)の声尊く常行三昧といふ事をおこなひ、梵唄(ぼんばい)なンど(なんぞ)もうたひはつれば、阿弥陀経を誦つゝ立て神の御前をおしめぐり、また柳の牛王(牛玉=牛黄)といふものを長き竹のうれに挟(はさみ)て、さゝげもてめぐれり。」
菅江真澄「かすむこまがた」
御誦教(ごじゅきょう。天台で読経のこと)の声尊く常行三昧といふ事をおこなひ、梵唄(ぼんばい)なンど(なんぞ)もうたひはつれば、阿弥陀経を誦つゝ立て神の御前をおしめぐり、また柳の牛王(牛玉=牛黄)といふものを長き竹のうれに挟(はさみ)て、さゝげもてめぐれり。」
菅江真澄「かすむこまがた」
これは「延年舞い」の見たままを書いた記録か。
常行堂における延年儀式はかつては比叡山、多武峰、日光山、平泉毛越寺(もうつ・じ)など天台系寺院で修正会などで舞われていたが、天台宗が乱れて衰亡してからは毛越寺のみで行われるのみとなった。元禄二年に沙門霊空(しゃもん・りょうくう)が『闢邪編 びゃくじゃへん』を著して摩多羅神を祭る儀式を激烈に批判。以降、邪教として日光山輪王寺の働きかけですべての伝法が禁止された。それを予感していた主催者である犬神人を中心としていた芸能者集団はいち早く身を引き、法儀も撤退している。
要するに摩多羅神というものは民間・優婆塞・山伏らのいわゆる「被差別の徒」らが持ち上げてきた芸能の法事の神であることが明白である。しかしそういう理由から宗教の本道から締め出されたために、いよいよその実態・正体は闇の後戸へと葬られ、容易に研究しづらくなったのだった。これは京都の大酒神社の牛祭りが最近、演じ手がいなくなって休止状態であることとともに、残念なことである。
なにゆえに神社境内や寺院境内にたむろ(神社のそばに屯・田室地名はないか?)してきた中世の神人(じにん・てらおとこなど)たちから、世阿弥のごとき芸能の民が出て、それがまたなぜ秦河勝を申楽やら芸事の創始者としたかといえば、彼らの多くが恵まれない身分の渡来系技術者だったことが大きいだろう。そうなってしまったのが、特に中世である理由は、武家が政治の中心に登場し、儒教による頑迷な身分制度も始まって、それまで底辺ではあっても平民と同居・混在・同化できていた漂泊民や芸能民、あるいは職人たちが、完璧に差別化されてしまったことが大きいのだ。
明治政府が漂泊者集団を「サンカ」と名づけて差別し、それを犯罪予備軍としてくっきりと区別することが官憲にとって見分けやすいという便宜上の理由だったように、平安末期から室町あたりまでの儒教ブームが、やがて江戸の士農工商を生み出し、「えた・ひにん」としてやはり差別・区別することで民衆管理体制をがんじがらめに作った結果、彼らは「名前付け」され、つまり区別され、結果的に平民たちからまで「差別」される対象となったのだ。
毛越寺玄旨帰命壇摩多羅神
その影響は戦後民主主義政治の中で、福祉政策と同和対策として常に金が動く世界であり、原発やし尿処理・官製農作物栽培などが彼らに供与される「社会福祉国家日本」「隠れた社会主義国家日本」の闇の後戸、温床ともなってしまう。それはまさに中世~明治の政治が彼らを被差別として区別し、しかもその区別のためにこそ彼らがそれを意識し、過剰となり、そして犯罪者への道しか選択枝を与えなかったともいえるかも知れない。そうならぬためには、彼らが選べる道は芸能民や3K労働者やスポーツマンや歌手や露天商や重労働の石垣造営、城つくり、宮大工などなどしかなくなったわけであろうし、それはまさにアメリカの黒人・カラードたちの職種そのものなのであり・・・
摩多羅神は彼らの切ない祈りをかなえてくれる救いの神だったのだ。
その救いとは、つまりは摩多羅神が彼らの哀れな命を食い、死を与えてやるという、なんとも悲惨な「願い」だったとは!
彼らはこう願ったのだ。
「こんなつらい現世から、早くおらたちをあの世へ連れていってくださいまし!!」
それはまさに聖徳太子=秦河勝という偶像そのものでもあったと言える。
書きながらつらい。
しんどい。涙なしには書けない。
これがつらい仕事になる理由がおわかりならクリックを
Kawakatu’s HP 渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳
http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳
http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U