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古代日本の国際結婚・美女貢献記事一覧

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●百済新斎都媛 しせつひめ
『日本書記』応神三十九年(428)
 百済直支王、妹の新斉都媛を遣わした。
 (ちなみに石渡信一郎は『アマテラスの正体』で倭の倭王済は新斉都媛との間に興(オオシムラジ)と仲姫(なかつひめ)と弟姫(おとひめ)を生み、珍の孫娘大中姫との間に目子媛(メノコヒメ)を生んだとして、蓋鹵王の弟昆支(余昆)と余紀(継体)を娘婿に迎え、昆支は仲姫と弟媛と結婚。また余紀=継体は目子媛と結婚したと「妄想」している。)

●百済池津媛 いけつひめ
『日本書記』雄略二年(458)秋七月
「百濟池津媛、違天皇將幸、婬於石川楯。【舊本云、石河股合首祖楯。】天皇大怒、詔大伴室屋大連、使來目部張夫婦四支於木、置假[广技]上、以火焼死。
【百濟新撰云、己巳年(429)蓋鹵王立。天皇遣阿禮奴跪、來索女郎。百濟装飾慕尼夫人女、曰適稽女郎。貢進於天皇。】」
=百済の池津媛は、雄略天皇天皇がまさに召そうとしたときに、石河楯と通じた。天皇は大いに怒り、大伴室屋大連に詔して来目部くめべを使い、夫婦の四肢を木に張りつけて桟敷の上に置かせ、火で焼き殺させた。

●適稽女郎
雄略五年(461)夏四月
『百済新撰』
己巳年補に蓋鹵王が即位した。天皇は阿礼奴跪を遣わして、女郎(えはし)を乞わせた。百済は慕尼夫人(むに・はしかし)の娘を飾らせて適稽女郎(ちゃくけい・えはし)と呼び、天皇に奉った。

●百済女人
『日本書記』雄略五年夏四月条。
百済の蓋鹵王は倭国天皇に女人を貢ったが礼を失して我が国の名誉がけがされたので、もう同じことはできない、今度は弟の軍君を送ることにしよう、ということになった。軍君は条件として蓋鹵王の婦人のひとりを所望した。蓋鹵王はすでに妊娠している婦人を軍君に嫁がせて、「子供が生まれたら船に乗せて送り返せ。」と命じた。六月、蓋鹵王が言った通り筑紫の各羅島で子供が生まれた。島で生まれたので「嶋君」と名付けた。

●蕃女
『日本書記』継体廿四年秋九月
吉備韓子那多利、斯布利(きびのからこなたり、しふり)条
「大日本人(おおやまとのひと)、蕃女(となりぐにのめ)を娶りて生めるを、韓子(からこ)とす」
朝鮮人との間の子を「韓子」と名づける風習があったようだ。

●韓婦
欽明二年 秋七月 
「紀臣奈率弥麻沙(きのおみのなそちのみまさ)は、紀臣、韓婦を娶りて生まれた子なり」

●美女媛
欽明廿三年八月
「天皇、大将軍大伴狭手彦を遣わし、兵数万を領(ひき)いて、高麗(高句麗)を伐つ。狭手彦すなはち百済の計を用いて高麗を打ち破りつ。中略 美女媛(をみなひめ)、あわせてその従女(まかだち)吾田子(あたこ)を以て蘇我稲目宿禰大臣に送る。是に大臣ついに二の女を納れて妻として軽曲殿におらしむ」

逆の例
●『日本書記』天智即位前紀
「織冠をもって百済王子(せしむ)豊璋に授けたまふ。多臣薦敷の妹をもって妻す。」
 
●その他
『類聚国史』798 羽栗吉麻呂と唐女
『日本三大実録』867 藤原貞敏と劉嬢、
『続日本記』778 藤原河清と中国女と娘の喜娘(きじょう)
『日本紀略』792 大春日朝臣清足と李自然(唐女)(『日本後紀』逸文)

世界の外交史、東アジアの外交史などにおいての国際結婚や「美女」の貢献記事は、当時の国際情勢をかんがみて、ほぼすべてが政略結婚であることは言うまでもない。特に百済国から倭国への美女貢献は、当時、百済が半島において危ういケースに倭国に助力を求める場合に起きている。この中で応神紀の記述は前例として置かれた記事ではないかと思えるので、信憑性はあまりない。雄略以降の記事はある程度信用できる。4~5世紀はそうした東アジア情勢が動いた激動期だったからである。

いずれにせよ倭国へ、百済を中心として海外からの王女や美女の来訪があって、それが日本人と結婚して子孫を残していることは、もっとあってもおかしくない。
中国では新羅からの何度もの美女贈呈がくるので、迷惑がってもう送るなと命じたと記事があるが、その後もなお新羅は美女を贈っている。

国際結婚は歴史的にけっこうある。
 
(いきなりなんだと言うなかれ)
 
◆ハプスブルグ家
ルドルフ一世のあと、アルフレヒト一世~フリードリヒ一世~マクシミリアン一世と継承された血脈は、ブルゴーニュ公国のマリアをの国際結婚を選択した。さらにその皇子フィリップもまたスペインのファナと結婚。これらによって領土を拡大していく。
これは政略結婚が歴史的に、帰順=婚姻であったことを語っている。
 
◆「和蕃公主」
中国でも異民族の王族から何度も妻を娶っている。これを和蕃公主(わばん・こうしゅ)と言う。
漢代の武帝の兄の孫娘・劉細君(烏孫王に嫁いだ)、あるいは王昭君、唐代の太宗の養女でチベット王に嫁いだ文成公主」などが例である。
 
 吾が家 我を嫁がす 天の一方
 遠く 異国に托す 烏孫王
 窮慮を 室と為して せんをしょうと為す
 肉を以って 食と為して 酪をしょうと為し
 居常 土を思ひ 心 内に傷め
 願わくば 黄鵠と為りて 故郷に帰らん
 
この詩のように、劉細君は数奇の人生の址、故郷孫と伴に漢に帰る。
 
あたかも幕末の皇女和の宮のごとき、蛮族に嫁ぎたくなかった心が見える。
この「願わくば黄鵠となりて故郷に」という表現は、ヤマトタケルの白鳥になって故地へ帰らんとした慙愧を表現する定型文と言える。
 

では各時代の大王や、そのあとの天皇家が外国人を娶った事例はあるかといえば、光仁天皇に嫁いだ高野新笠(たかのの・にいがさ 桓武母)の例が唯一(とは言っても彼女は在日二世であるから日本人であるが)であるようだ。

韓国人の中の馬鹿なやからがよく、高野新笠を「韓国系」だとか無知蒙昧な書き方をするが、彼女は百済系であって決して「韓国系」などではない。百済王家はかつて新羅が半島から追い出したのであるから、それを今ごろ「韓国系」とは歴史の知識がないにもほどがある。今の韓国人のほとんどは百済王とは一切関係ない野蛮な新羅や、知的な高句麗人の子孫である。それが韓国であるのに、百済王族の子孫を韓国系とは、片腹痛い。へそで茶が沸かせる。王族以外は済州島などへ幽閉しておいて、監獄島だった済州島からソメイヨシノの種が行った、とか、まあ、非科学的で不勉強でばかまるだしのうやからばかりである。袋入りナッツでも食って、おとといきやがれである。




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