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水野祐王朝交替説から見えること


文献史学の偉大な先人・水野祐の王朝交替説は知らない人はいない斬新な説だった。
あらましは、『日本書紀』皇統の中に和風諡号で「イリ」「ネコ」「ワケ」の三種類が大別でき、それぞれ別の王朝で、順じ豪族たちが交替して大王となってきたのであるという説である。

もちろん別の王朝とは言っても、『日本書紀』イデオロギーでは日本の皇統は神武以来、天孫の子孫たちによる穏便な交替であり、易姓革命などはなかったという大前提からは逸脱しない範囲での別の王朝である。そこはかつての万世一系思想から、このラジカルな新説も一歩もはみ出してはいないものであろう。

しかし、気づくべきことは「三つの別の王朝があった」という水野の言外の真意である。当時の日本では言えなかった隠された真意がここにはあるのではないか?

「三つの「王朝」」とは、とりもなおさず易姓革命ではじまる別々の王朝であってもかまわないのではないか?


イリ王朝とは「婿入り」王家
ネコ王朝とは祭祀者氏族の王家
ワケ王朝とは倭五王以前の王家から分離独立した王家

というのが筆者独自の捉え方である。

最後のワケ王朝はだからわかりやすい。応神以降の河内王朝のことである。しかし応神直前の三輪王朝の王たちにもワケがつくので、これでは河内王朝は三輪王朝から独立してはいないことになってしまう。だからこの説にも、少し難しいところは多いだろう。

思い切って継体以後と以前を切り離して考えるほうがいい。継体以後を「かなり実在性が高い王朝」と見て、それ以前をなかったものとしてとらえておく。
するとワケという言葉に別の意味を探す必要が出てくる。それはワケが3世紀纏向から続いた吉備系王家であるという見方である。

つまり大きく言えば、この王朝交替説のイリもネコもほとんどなかったもの、創造された王権と見ることになる。なぜなら、婿入りなどは当時の王権では当たり前であり、のちの武家政権でさえ、そういう非常事態は存在する。またネコが根子で祭祀者であるとしても天皇とははなっからシャーマン王なのだから全員に共通する概念だと考えられるからである。するとワケ=分家というのがつまりは実際は革命王権だったのではないかと気づくのだ。

そしてもしそれが吉備王家周辺にあった「別」氏族の王権だったならば、考古学的に、纏向遺跡の吉備系祭祀土器と合致でき、さらには卑弥呼までつなぎ得る古墳時代からの王統が大和にあったという説を導くダイナミックな仮説(邪馬台国大和説)にすることも可能であろう。

一方で、ところが、そのワケ王家は武烈でおしまいになっており、継体という新興勢力の登場から今の天皇家まで、一本の息長系譜でもって『日本書紀』は貫かれることになっている。ここに虚偽が見える。

ということは、卑弥呼の流れは継体によって、一旦断ち切られたことになるのではないか?となる。もちろん系図はうまいぐあいに河内王家の姫と継体が結婚して団結できたことにしてあり、そこから中継ぎ安閑・宣化を経て欽明が生まれ飛鳥へと、うまくぎりぎりセーフのつながりを見せている。


しかし、それは信用できないのではないか?

継体の実在もきわめて疑わしい。いや、攝津にそういう大王が入ってきたのは間違いないだろうが、それが息長氏との婚姻で生まれること、さらに河内王家の最後の娘と婚姻することも信用できない。つまり継体は実力で大和を乗っ取ろうとした百済系の王族かも知れないのだ。

継体の死後、二人の王はすぐに死んでいる。二人ともに。彼らは継体と尾張氏の娘から生まれてきた。尾張氏は海人系豪族である。息長氏も海人系商業氏族である。
大和王権にとっては「外人」でしかない。そして欽明はちゃんと河内の血脈を引いた正嫡である。


当然、『日本書紀』イデオロギーでは欽明があとをつぐのが正しい。そこで継体王家は消されたことに気づく。ところが消されたはずの息長系譜が、敏達に嫁入りしてくる。広姫として。突然。母親がわからない。先祖は父親しかわからない。継体や神功皇后とどう関わるのかも、オオホド王ともつながりが書かれていない。どこの女性なのか?しかしその子供たちがやがて天智と天武を生む。そんな馬鹿な話は聞いたことがない。


それこそワケがわからん系譜ではないか。



往古は豪族の持ち回りだった大王制度は世襲ではなかった。それが継体三代が初めて世襲し、それを蘇我氏が受け継ぐ。そしてそこで古代の持ち回り制度が終焉するのである。すると持統が登場し女帝時代が花開き、最終的には天智の子孫が世襲を存続してゆく。敗戦前まで、日本の天皇家にも複数継嗣の予備氏族があった。それがGHQによって整理され平民になっている。有名な竹田家などがそうである。それはつまりもしかして正嫡ができなかったときのために存在してきた一家である。もし敗戦前の制度が戻ったとしたら、彼らもまた皇族の仲間に復活する。そういう出来事が古代になかっただろうか?あってもおかしくはなかろう。


たとえば葛城氏や物部氏の復活がなかったか。




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