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蘇我氏と八佾(やつら)の儛(まい) 禅定 草壁皇子は天智の私生児


『日本書紀』
皇極元年是歳「蘇我大臣蝦夷、己が祖廟(おやのまつりや)を葛城の高宮に立てて、八佾の儛(やつらのまい)をす。遂に歌を作りて曰はく、

 大和の 忍の広瀬を 渡らむと 足結手作り(あよひたづくり) 腰作らふも

又、尽に国挙る(ふつくにこぞる)民、併て百八十部曲を発して(あわせてももあまりすそのかきのたみをおこして)、貯め双墓(あらかじめならびのはか)を今来に造る。一つをば大陵(おほみささぎ)と曰ふ。大臣の墓とす。一つをば小陵(こみささぎ)を曰ふ・入鹿臣の墓とす。望はくは死りて(ねがわくばみまかりて)後に、人を労らしむること忽(ひとをいたはらしむることまな)。」



八佾の舞とは以前解説したが8×8=64人が列を組んで踊る、古代中国では身分が天子のものにしか許容されていない舞踏様式で、蘇我氏がただの諸侯であるなら当然、八佾は不遜。諸侯なら六佾(むつら・36人)程度がふさわしいものだった。つまり『日本書紀』は蘇我氏が天皇を乗っ取るつもりだと表現したのである。もちろんそれは王蒙の白い雉同様の、滅亡の前置き記事である。

しかし、なぜ舞台が葛城だったのか。蘇我氏が祖廟を葛城の高宮に造ったのはなにゆえだろうか?蘇我氏は本当に葛城氏の分派=言い換えれば武内宿禰の子孫だったのだろうか?

考古学の発掘では、葛城襲津彦の墓らしい場所からは、直弧文で飾られた楯をかたどった埴輪が出ている。だが蘇我氏の墓はというと、馬子の墓はからっぽだったのだし、蝦夷の「大陵」や入鹿の「小陵」もまだ今のところ「らしい」候補までで、発掘は進まないので、内容がわかっていない。この直弧文が3世紀以前、吉備の弧帯文にその源流があり、3世紀の纏向から似ている弧文が出ているので、葛城氏が吉備由来氏族であろうことはまず間違いがない。このことは邪馬台国大和説の強い助っ人になっている。卑弥呼と同時代の氏族は大和なら葛城氏・吉備王氏・吉備別氏・和邇氏・大倭氏・物部氏・尾張氏・丹後王氏などなどであろう。三尾や息長や宗像もそうかも知れぬ。九州なら宗像氏・筑紫国造家・大分君・火君・火中君などが考え付く。
阿多隼人氏もそうだろう。豊前にはすでに秦氏もいたかも知れない。 

しかし蘇我氏と吉備や纏向に今のところ関連はなさそうである。ただ出雲大社神殿の真西に素鵞(そが)社本殿が置かれていて、読みが「そが」なので、もしや蘇我氏と関係が?という説はあるにはある。もし蘇我氏が出雲由来氏族なら、当然、日本海に入った外来氏族である可能性はあり、蘇我氏がスサノヲを祖とした氏族であるならばそれを後押しするが、反対に、今度は武内宿禰が祖であるという葛城系譜には反する可能性も出てくるのである。もっともスサノヲは天孫、武内宿禰はいかに300年生きたといわれていても祖神ではなく祖人に過ぎない。氏族には祖神と祖人は常に別に存在する。

出雲からは吉備系祭祀土器が出るので、西谷古墳周辺が彼らの出身地であってもいい。スサノヲや安来に来てようやく心が「すがすがしくなった」と言う。その「すが」が「そが」かも知れない。スサノヲはあらゆる渡来系氏族にとって祖神にされる共通対象である。それがやがて比叡山では新羅明神と変化してゆく。新羅という国名を記紀の時代は、半島全域ととらえておくほうがよかろう。呉・韓・唐などと同じようなアバウトな扱いである。

そもそも蘇我氏という文字は、正しくはあとづけで、自称では「宗我」ではなかったかという説は強い。蘇我だと「我れ蘇る」という文字だが、宗我なら「我れこそ本家」になる。だから親戚だった蘇我倉氏と別けるためにはこちらのほうが「本宗家」でふさわしいとも言える。

奈良市には蘇我原という氏姓が今もあって、テレビにも登場したのを最近見たことがある。そもそも息長などと比べて「曽我」「曽賀」さんは全国にけっこうおられる。
蘇我氏は本家はついえたと書かれたが、倉石川家の人名は『日本書紀』にもまだいくらも出てくる。両者の血縁が本当だったかはこれまた不明で、なんとも言いがたいが。

いずれにせよ八佾舞をまわせたことも、墓を自分で名前をつけることも、天皇にとっては不遜なことだった。しかも皇極二年には、「枝葉を折りて木綿を懸掛けて、大臣の橋を渡るときをうかがいて」「神語」を巫覡に語らせたとあり、まったくの神にでもなったようなことだと書かれてもいる。国中からシャーマンを呼んで「神語」つまり神への寿ぎの祝詞を語り掛けさせたわけだから、これはもう天子の振る舞いである。『日本書紀』はどうしても蘇我氏を乗っ取り政権であるとしたいのである。

皇極二年十月「ひそかに紫の冠を子、入鹿に掛けて大臣の位になぞらえた」

この冠はしかし、蘇我氏内部での嫡子への印であろう。冠位を与えたわけではないのだが、まことしやかに天皇から冠位を受けるはずのことを勝手に蝦夷がやっと書き立てる。すでに冤罪も極まれりである。

さらに同月、蝦夷たちは蘇我系皇子である古人大兄を天皇に立てようとしたと書かれる。

しかし古人大兄は案の定、その後は夭折し、これはあきらかに蘇我氏を悪者としてゆく必要があった者のしわざとしか思えないのである。

蘇我本宗家氏の血脈はこうしてついえた。

絵に描いたように、蘇我氏の血脈はつぎつぎに消されてゆき、ついに聖人であるはずの厩戸の上宮までもが・・・。それをすべて蘇我氏のせいにしてしまう。こうして乙巳の変のための正当性は着々と文章の中で固められていった。


『日本書紀』乙巳の変は、当然、事件があったあとに書かれた記事である。100年前の事件である。覚えている人はもう当時の寿命(平均18歳。貴族成人でも20~30歳程度)では大半、死んでいるのである。おわかりか?寿命まで考えておかねば古代は見えナイ。


乙巳の変の大和注進主義古代史における意味は、継体一族も同じだが、世襲王家の暗殺であり、それ以前の天皇「禅定」制度にUターンさせることにあるのだ。それが藤原氏の傀儡女帝を動かす宰相としての最良の手段なのである。『日本書紀』を通読すれば、葛城氏、物部氏、吉備王家、和邇氏、尾張氏などなどの実力者たちが次々に消されていくことに気づかねばならない。なぜか?なぜ古い豪族たちの代表選手たちがどんどん消えてゆくのか?誰が考えても気づくはずだ。最後に笑ったのは誰なのか?藤原氏だろう?と。


禅定という前提は武烈から継体の継承の中に登場している。河内王朝最後の王だった武烈は、はっきりと越前近江の王オオドに天皇位を「禅定」す、と明記してあるのである。これが古代最後の持ち回り制王家の最終例なのである。以後、天皇は蘇我氏の世襲制に大変換しているのだ。つまり蘇我氏政権はこれははっきりと易姓革命実行者だったと言えるのではないのか?



蘇我氏は上宮王家も崇峻も殺したり滅ぼしたりはしていないのである。なぜなら新参氏族で、少数だった蘇我氏が、数少ない、しかも稲目・馬子から営々と築き上げてきた天皇との外戚関係で生まれた貴重な子孫たちを「あにころさんや」!


その「アニ」という使い方の間違いが、乙巳の変の臨場感あふれる天誅シーンで使われていることは前にも書いた。「あに天孫を以て鞍作に代へむや」である。

これは間逆でなければばらない。「なぜ天孫=天皇家を鞍作=入鹿にとって変わらせなくてはならんか」となってしまっている。天皇になろうとしたのは入鹿の方である。だからこれは天孫と鞍作がまったく逆になってしまっている。乙巳の変記事は森達博分析でα群、つまり中国人が正しい漢文で書いた記事である。なのに、なぜこんなケアレスミス?
当然、ここだけあとから誰かが書き換えたのである。※1


書き換えは文武朝時代に起きた。遠山美都男はそう推定する。『日本書紀』β群を追加したのが文武時代である。これは森の分析でまず正しい。日本人が造った。だから漢文がα群とβ群ではあきらかに違う。α群は正しく、β軍は奇天烈な部分が多い。文章にはくせが出る。それが双方を明確に別けられる決め手になっている。文武の後見人は藤原不比等である。だから不比等が書き換えの張本人である。


持統の孫である文武を誰が天皇にしたか?不比等しかいない。そのことは『日本書紀』の神話の中にちゃんと前置きしてある。

アマテラスは天孫として長男の天忍穂耳命を地上界へ降ろさせようとしたが、ちょうどそのとき忍穂耳には長男が生まれたので、これを代わりに降ろしてくださいと忍穂耳はアマテラスにお頼みした。こうしてニニギノ命は天孫として、まとこおふすまの船に入れられて地上に降りてこられたのだ。その場所は筑紫の日向の高千穂の峰である」


文武=ニニギ


母持統=アマテラス


長男忍穂耳=草壁=実は天命天智の子供


目から鱗は落ちたでしょうか?



もちろん妄想でしかないが。

証明不能。




※1
これについて筆者は、もうひとつの見方も持っている。
意図的改ざんならばそのままでもよいのだ。
つまり、すでに蘇我氏は大王になって認知されているという見方である。
それに対して「なぜ本当の大王家がとってかわらねばならない事態になってしまっているのか?」と取れば、文章はそのままでよかったことになる。だから最初はちゃんとなっていたところを、不比等は正反対にあえて変えた。するとすでに蘇我氏は乗っ取っていると言う事になり、王家として認められてしまったものを、もう一度元に戻すのだということがいよいよ強調される。








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