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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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隅田八幡鏡偽物、継体虚構、日十王複製、上宮紀大嘘 ばらしたら国賊ですか?

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本論の前に、先に蘇我氏の滅ぼしたという上宮という言葉について解説する。

「上宮 かみつみや」とは厩戸の一家という意味である。
蘇我馬子の妻は物部守屋の妹・大姫である。この女性は大変欲が強かったと思われる。守屋惨殺の背景に彼女が優柔不断な夫馬子をそそのかしたという説がある。兄を殺して守屋の持つ、物部総領としての宝物管理権を奪おうとしたとも考えられている。「「上宮記」とは厩戸の「撰」に仮託された歴史書」と『釈日本紀』引用「上宮記」にある。そもそも実態がよくわからない解説である。偽書である。

上宮については『日本書紀』には詳しい記事は少なく、
『上宮聖徳法王帝説』では厩戸豊聰耳聖徳法王、聖王の児、山代大兄王(此王有賢尊之心棄身命而愛人民也、後人与父聖王相濫非也)とされ、母は、蘇我馬古叔尼大臣娘の刀自古郎女(とじこのいらつめ)、妻は舂米王、子どもは難波麻呂古王、麻呂古王、弓削王、佐々女王、三嶋女王、甲可王、尾治王が生まれたとされる。

飛鳥天皇御世 癸卯年10月14日に、蘇我豊浦毛人大臣兄入鹿臣□□林太郎が伊加留加宮にいた山代大兄とその昆第等、合15王子等ことごとく滅すなり(「飛鳥天皇御世 癸卯年十月十四日 蘇我豊浦毛人大臣児入鹿臣□□林太郎 坐於伊加留加宮 山代大兄及其昆第等 合十五王子等悉滅之也」)と記述されている。(□は欠字)


『聖徳太子伝補闕記[6]』(これも後世の偽書)には、

癸卯年十一月十一日丙戌亥時 宗我大臣并林臣入鹿 致奴王子兒名輕王 巨勢太古臣 大臣大伴馬甘連公 中臣鹽屋枚夫等六人 發惡逆至計太子子孫 男女廿三王無罪被害 (今見計名有廿五王)山代大兄王蘇、殖栗王、茨田王、乎末呂王、菅手古女王 舂米女王膳 近代王 桑田女王 礒部女王 三枝末呂古王膳 財王蘇 日置王蘇 片岳女王蘇 白髪部王橘 手嶋女王橘 難波王 末呂古王膳 弓削王 佐保女王 佐々王 三嶋女王 甲可王 尾張王 于時王等皆入山中 經六箇日 辛卯辰時 弓削王在斑鳩寺 大狛法師手殺此王
とある。 癸卯年11月11日(643年12月30日)丙戌亥時に太子子孫を宗我大臣并林臣入鹿が殺し、6日後の 辛卯辰時に大狛法師[7]が事件後6日後に斑鳩寺にいた山背大兄王の息子弓削王を殺したと記述されている。


こ3冊の書物は、しかしいずれも太子死後から相当あと、『日本書紀』からもあとの時代の記録で、いくらでも内容は想定できた時代のもの。上宮という一家があったかどうか、『日本書紀』が何も書かない限り、存在すら疑うほうがよかろう。








さて継体大王である。
継体の父の名前はちゃんと記載があり、オオホド王という近江の人であるという。
ところがオオホドと継体の男大迹・袁本杼命(ヲホド)は「大ほど」「小ほど」という意味しかないので、ただ親子だったよという名前になっている。

そして継体は母親が越前三尾氏の娘・振姫(ふりひめ)で、この人は垂仁天皇の七世孫となっている。きわめて疑わしい出自だと言える。垂仁とは崇神の子で、これは1世紀以上も前の人である。3世紀の王統など、当然、作り物である。

考古学では纏向の水路は崇神の作った水垣宮に合致すると近畿学者は言う。しかしそれにしても崇神という王も、いたのかどうか知れたものではない。3世紀なら卑弥呼の時代である。そこになぜ『日本書紀』は女帝ではなく、男帝をあてはめるのか?これからして謎である。なぜ女王卑弥呼を肝心なところでは無視するのだろう?さらに4世紀には宗女・臺與の片鱗すらない。なぜだ?


この時代の天皇を女帝にすれば魏志の事実、倭王の王統をそっくりそのまま奪えたはずなのに、なぜ利用しないのか?ここが大和説の大きな弱点であろう。纏向は最初、学者はこれこそが邪馬台国に相違ない!!と色めき立った。ところが水路が張り巡らされていた。それはどうも『日本書紀』の崇神のやったことではないか?に方向変換せざるを得なくなったという経緯がある。


水路を作ったのは崇神や垂仁だったかは実は問題ではない。そんな王統は最初から『日本書紀』の作り出した創作、作文の登場人物でしかないのだ。そして考古学的には纏向は吉備の祭祀土器(弧文円盤・弧帯文つきの土器)が出たのだから、邪馬台国問題はさておいて、間違いなく吉備系王家がそこにいたという証明なのだ。客観的な事実はそれだけなのである。

これに勝手に最初から邪馬台国をからませたのは大和説側文献史学者たちだけである。九州は認めていないし、よそも認めてはいない。全国が納得してはいないのである。ここを間違えてはならない。

これは考古学では「やってはならない」手法なのである。そう、まさに経済学の三橋貴明が言っていることなのだ。

記紀や記録と考古学発掘に、最初から意識的に邪馬台国をからませるのは学者としては実は掟破りである。ところがマスコミが大騒ぎした。邪馬台国か?!ついに決まった!!などと、勝手に大喜びし始めた。これが一番の諸悪の根源だった。視聴者はもう邪馬台国問題は決したと思い込む人が急増した。常にマスコミは話題を求める存在だ。ありもしないことでも、しかし一旦言い立て、書き立てれば、いわしの頭もマスコミも神である。


さて、母親は越前の九頭竜川そばにある三国の出身で、これが三尾氏の本拠だったと思われるが、若狭湾にも三尾や三国があり、いまだ諸説ふんぷん。この女性も、また継体の父オオホド王も、それから先がわからない。誰かに似ている?そう息長広姫とそっくりの不明な祖先。先祖がはぶかれた氏族なのである。

継体の存在は、つまり『日本書紀』の易姓革命と禅定天皇位の前例である。倭五王がいたはずのところに応神以下を突っ込み、卑弥呼がいたところに崇神の三輪王家を突っ込み、そしてあとから魏志倭人伝に気がついたのだろう、あわてて神功皇后紀に倭人伝曰くというメモのような走り書きを入れるので精一杯。しまったと思ったはずである。だから崇神~仲哀も作文でしかないということなのだ。ただし、そのコラージュにはちゃんと大和地方や摂津地方、あるいは九州、吉備などの既存の氏族伝承の王たちをつぎはぎして名前だけ変えたのであろう。


こんないい加減な継体記事を信じるものがかつていたこと自体、驚きである。それはつまり昔の人々が記紀をほとんど読まず、言われたままの勉強で、わかったふりをしてきたからだと思うほかありえない。あなたもわたしも、そういえば、受験に無関係な歴史の部分はほとんどおざなりで、ふんふんと素直に聞いていたはず。しかし、そのいい加減学習が、あとで日本にとんでもない大災難を引き起こす。世界大戦での初めての敗戦である。そしてはじめての被爆。無知ほど恐ろしいものはない。その証明だった。歴史はうそはつかない。ちゃんと真実を語ってくれているのだ。

明治政府!!
『日本書紀』大うその上乗せ。
それがこの国を存亡の危機に追いやった!!


そして今、今また、大嘘によって原発事故という恥の上塗り!!!!!

ばかじゃないのかぼくたちは?






同じ間違いが繰り返される・・・。





継体の五世孫などの捏造は、すでに中国の後漢・劉秀の出自でも使われている。彼は前漢の劉邦の子孫である景帝の六世孫である。これもあやしいものだ。


劉邦そのものも実にあやしい出自。それが始皇帝からつながると強引。


こういう系譜はすべて信じられない。だいたい武家の系図もほとんどが源平藤橘の子孫・・・これまた真っ赤な大嘘でできている。系図などないのと同じである。祖神があって祖人が出てきて中興の祖が出て、最後はひどい大王で、天命によって転覆する。そういう作りなのだと思っているべきである。信じる人は基礎学力の足りない人だろうと思うことだ。そしてそんんあやからほど大騒ぎする。迷信に走る。マスコミを信用する。戦争を起こす、カルト宗教で犯罪を犯す。国を傾ける。外国に笑われてめざめるがもう遅い。国家は信用を落とす・・・。まるで悪の連鎖である。あなたは違う。違いますね?当然です。学識もある。客観性もアル。まともな人間だ。そうでしょう?そうだよね?




さて、そしてこの継体こそが天智を始めとする世襲天皇氏系譜の祖人だということに『日本書紀』はしてあるのである。どう思いますか?おかkしな話じゃあないですか?


ここで考古学的な遺物だと誤解されている国宝隅田八幡宮人物画像鏡の銘文である。この鏡はコピーされた画像鏡で、考古資料ではなく伝世鏡である。和歌山県の隅田八幡宮司家に代々伝えられてきたのを、国が国宝制度が始まったときにばたばた取り上げて東京へ持ち帰り国宝に指定してしまったが、実のところこんな鏡はいくらでも作れるのである。銘文などいくらでも捏造もできる。そう思ったほうがいい。


さておき、ここにはオオド・ヲホド王の名前は「日十王」と記されていて、読み方は「おしひ」であるという説がある。おそらく「押し日」のおおきみとか読ませるつもりの銘文だ。この「オシヒ」は分解すると「ヲヒ」と「ウシ」に別けられそうである。「ヲヒ」とは、記紀すら書かなかったのになぜかあとの時代の「上宮紀」に書かれている継体さんのじいさま「乎非」に、「ウシ」とは同じくおやじさんの「汙斯」を合体させたしろものだと沖森卓也や遠山などは言うのである。出ました、また出た、同じ名前でつきとおす大嘘であろう。いわゆるこれが『日本書紀』などの文献の手口なのだ。

参考沖森卓也『日本語の誕生』2003 遠山美都男『天武天皇の企て』2014


ここで「上宮記」もまた、信用できない書物であることに気づくはずである。あとからつじつまあわせをしているのである。あ、しもうた、ここはこれ書くのを不比等はんが忘れてはるわ~~~みたいなやり口である。上宮記は信用できない。ということは上宮の存在すら信頼できない。ということはその父親だった聖徳太子だってまったく信用できなくなるのである。そもそも大山誠一が書くまでもなく、聖徳太子関連の文献や遺物はすべて後世の捏造物である。



わかりますか?これがだまされない客観性なのです。
『日本書紀』のうそはまだまだある。次回はいよいよ大団円。神武さんのご登場でありま~~~す~~~~。




もし偽書を信じて起こした戦争であなたの親戚か誰かが戦死し、英霊となっていたとしたら、この問題は政治問題になりますよ。いいですか?天下の大嘘で何万人もが死んだのですからね。これが大問題だと気づきましたか?

だからこれまで誰にも書けなかったのです。わかりますか?国家を告発するのと同じことだったのでこのあいだまで。ぼくはでは国賊ですか?遠山さんも大山誠一も倉本さんも関裕二も全部、国賊ですか?違いますよ。真実をあばいただけですよ。ヒーローでしょう?さあ、殺せ。




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