神楽で霊慰める 高鍋・持田古墳群で厳粛に神事
宮崎日日新聞 11月5日(火)12時12分配信
大小85基が点在する国指定史跡・持田古墳群に眠る古代人の霊を慰めようと、高鍋町古墳を守る会(山本隆俊会長)は、山の神塚前で古墳祭をこのほど開いた。満開のコスモスを背景に、厳粛な神事が執り行われた。
※高鍋という地名の語源は、この周辺に「鷹の目」つまり鉱山関連者が多くいたからであろうと筆者は推定している。鷹の目一族は例の神武東征伝説の大元ではないか?
もちろん今のところはただの妄想であるが、持田古墳群の古さから見て、西都原よりも高い場所からここまで九州山地を降りてきたものがあったことを髣髴とさせ、それは逆に海岸部から見れば、海からやってきた氏族が、山脈内に巣食っていた山の部民を管理した、鉱山管理、鉱物搾取の匂いも漂わせる。
神武伝説が西九州甕棺氏族の日向南下による隼人や熊襲の同化を導き、人吉~西米良~西都原~高鍋を経て太平洋へ漕ぎ出した狗奴国連合体をも想定させるのである。
鹿児島・喜界島で琥珀出土 南西諸島で初、岐阜産か
朝日新聞デジタル 11月1日(金)3時52分配信
【伊藤宏樹】鹿児島県喜界町教育委員会は31日、奄美群島・喜界島南部の手久津久(てくづく)地区の川寺(かわでら)遺跡で、13~15世紀ごろの琥珀(こはく)が見つかったと発表した。本州や九州では古墳時代の遺跡から多く出土しているが、南西諸島の遺跡では初めて。
この琥珀は想像するに、東海氏族との南海産貝の交換品ではなかったか?東海氏族は海部氏や尾張氏がアメノホアカリを祖神としたように、海洋民族的な太陽信仰の神を奉じており、その部として隼人らが帰順していたことは想像に固くない。つまり尾張や物部を神武より先に大和へ向かった出雲系=朝鮮海岸部倭種と見れば、彼らの海を越えたつきあいがあったことは不思議なことではない。彼らが先に大和で、出雲族として前方後方墳を作っていった、弥生時代の玄界灘東部地域のかつては方形周溝墓を作った人々であったとしたなら、そこにはさほどの違和感がなくなる。
大和で、やがて前方後方墳よりも前方後円墳が主流と成ったわけは、そうするとあとからきた高鍋の神武=狗奴国が勝利したからであろう。これまでの常識とは正反対のことを筆者は考えている。
<考古学>大阪・茨木の「東奈良遺跡」 全国初の発見って?
毎日新聞 11月4日(月)12時49分配信
◇弥生人が描いた銅鐸の絵 つぼに写実的な線、出土片から気付く
なるほドリ 茨木市にある弥生時代の遺跡で全国初の発見があったそうだけれど、どんなものなの?
記者 阪急南茨木駅近くにある「東奈良遺跡」のことですね。弥生時代中期(約2000年前)の土器のつぼのかけらに、線状に彫られた銅鐸の絵が確認されたのです。銅鐸の上部にある「飾り耳」と呼ばれる突起などが縦3センチ、横4センチほどの大きさで描かれていました。
Q 銅鐸そのものじゃなくて、銅鐸の絵が発見なの?
A そうです。銅鐸とは釣り鐘型をした考古学上重要な青銅器ですが、使い道などはよく分かっていません。東奈良遺跡からは1973~74年、銅鐸を作る際の鋳型など、青銅器の鋳造に関する遺物が大量に見つかり、国の重要文化財に指定されたものもあります。その後の研究の結果、同遺跡が銅鐸の生産拠点の一つである可能性が高まり、ここから各地へ伝わったと考えられています。今回の絵は文様が写実的で、日ごろから銅鐸を間近に見てきた弥生人が描いたとみられます。
なるほドリ 茨木市にある弥生時代の遺跡で全国初の発見があったそうだけれど、どんなものなの?
記者 阪急南茨木駅近くにある「東奈良遺跡」のことですね。弥生時代中期(約2000年前)の土器のつぼのかけらに、線状に彫られた銅鐸の絵が確認されたのです。銅鐸の上部にある「飾り耳」と呼ばれる突起などが縦3センチ、横4センチほどの大きさで描かれていました。
Q 銅鐸そのものじゃなくて、銅鐸の絵が発見なの?
A そうです。銅鐸とは釣り鐘型をした考古学上重要な青銅器ですが、使い道などはよく分かっていません。東奈良遺跡からは1973~74年、銅鐸を作る際の鋳型など、青銅器の鋳造に関する遺物が大量に見つかり、国の重要文化財に指定されたものもあります。その後の研究の結果、同遺跡が銅鐸の生産拠点の一つである可能性が高まり、ここから各地へ伝わったと考えられています。今回の絵は文様が写実的で、日ごろから銅鐸を間近に見てきた弥生人が描いたとみられます。
以前はないと思われていた模様があることに気がつく・・・考古学ではよく起こる話である。
その不思議な経緯は疑えばきりがなくなるからまあ置くこととして、銅鐸の「ミミ」の部分だけが描かれるなどということは、かなり奇妙なことである。
実物の銅鐸の飾り耳が出たことはある。
ひきちぎったかのように渦巻きを描かれた両耳部分だけが出ている。
その形状は、考えてみれば耳にも似ているし、勾玉のような胎児や霊魂の形にも似ている。
耳の形状だったとしたら、耳=霊魂=勾玉=胎児は充分に神秘的な生命の根源として共通点がある。
摂津の耳原、百舌鳥耳原など、古墳のある地名に耳がよくつけられたのも、耳=霊魂のおさまりどころ=セメタリースペースとしての聖なる土地だったことになる。
またミミが魏志では投馬国長官の名であり、大和では長官名である「みまかく=みまき」「いきま=いくめ」「なかて=なかと」などの天皇の名前に類似するかという説さえ出てきている(村井康彦)のである。
この三つの発見や祭事、なかなか興味深く関連してくるから面白い。
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳 http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html.
Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
民族学伝承ひろいあげ辞典http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html/
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U
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