※これは決して興味本位な内容ではありません。日本の神話に反映された西洋の伝説を誰が持ち込んだかの分析です。西欧の伝承としては聖徳太子伝説にキリストの聖書伝承がどうやらいくらか紛れ込んでいる可能性が高い。すると神武やツヌガアラシトなどの説話にアレクサンダーの伝説が紛れ込んだ可能性は捨てられないことに気がつく。下はその対応一覧表である。
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あまりにも似ていることに気がつく。
アレクサンダー大王は4世紀の実在人物だったが、西欧人は彼を溺愛するゆえに、時代を経て、実にさまざまの荒唐無稽とも言える伝説を創作している。その範囲は中国から「ワクワク」=倭国?というありえない東征をしてゆく、ぶっとんだ主人公像まで生んだ。これらがすべて空想であることは間違いないにしても、では一体4世紀以後の人々はどうして東アジアの国々のことまで知っていたのか?
しかも中国からワクワクを訪問したあと、愛すべき伝説のアレックスは南米にまで足を運んでいるのである。
アレクサンダー大王は4世紀の実在人物だったが、西欧人は彼を溺愛するゆえに、時代を経て、実にさまざまの荒唐無稽とも言える伝説を創作している。その範囲は中国から「ワクワク」=倭国?というありえない東征をしてゆく、ぶっとんだ主人公像まで生んだ。これらがすべて空想であることは間違いないにしても、では一体4世紀以後の人々はどうして東アジアの国々のことまで知っていたのか?
しかも中国からワクワクを訪問したあと、愛すべき伝説のアレックスは南米にまで足を運んでいるのである。
例えば、それらの話のほとんどはシルクロードのステップ交流によって高原を東西に、交易品を運ぶ人々によって持ち込まれ、もって帰られて、加工編集され、4世紀というありえない時代の出来事として創作されていったのは間違いない。聖書もまた商人とともに世界を横断し、伝承は東アジアに持ち込まれていたと見て間違いないだろう。しかし南米ともなると海の交流が必要で、それらはかなりあとの時代の創作だったと感じる。大航海時代だっただろうか?
いずれにせよ、日本では応神天皇が、やはり4世紀あたりに移動している気配がある。神武東征が紀元前に起きているとは思えないが、応神の4世紀ならばありえぬ話ではなくなる。そしてその「東征」がアレクサンダーと同時代であろうことは、地球の気候の安定がその時代にあったことを勘案すれば、世界が同時に大きな移動をするきっかけとしての温暖化を見つめるにはヒントとして大きいだろう。
■乾豆波斯達阿(かんずはしだちあ)の漂着
面白いことに『日本書紀』斉明天皇三年(657)に吐火羅人一行が筑紫に漂流した記事が存在する。
イラン学の井本英一は、この乾豆波斯達阿の名前は「サマルカンド発ペルシアの王族ダーラー」と読み解いている。吐火羅とはどこであるかはいまだに決着がついていないが日本の南海のトカラ列島だろうか?再び薩南の隼人たちが関わったか?あるいはミャンマー、タイ説。あるいは西域のトハラだったか?
この話がすぐにアレクサンダーやキリスト伝説の来訪にはつながるわけではないが、海を越えての交流といえばやはり海人族の行動力の広さを思い出さずにはおれなくなる。
面白いことに『日本書紀』斉明天皇三年(657)に吐火羅人一行が筑紫に漂流した記事が存在する。
イラン学の井本英一は、この乾豆波斯達阿の名前は「サマルカンド発ペルシアの王族ダーラー」と読み解いている。吐火羅とはどこであるかはいまだに決着がついていないが日本の南海のトカラ列島だろうか?再び薩南の隼人たちが関わったか?あるいはミャンマー、タイ説。あるいは西域のトハラだったか?
この話がすぐにアレクサンダーやキリスト伝説の来訪にはつながるわけではないが、海を越えての交流といえばやはり海人族の行動力の広さを思い出さずにはおれなくなる。
■ツヌガアラシトの角とアレクサンダーの角
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マケドニアの大王であるアレクサンダーの系譜は、ササン朝ペルシャではペルシャ王統譜に入っている。
ダーラーとはダリウスで、ペルシャの王族だけに許された名前である。
その吐火羅人が来た時代はちょうど天智がまだ中大兄皇子だった時代で、天武・持統が『古事記』『日本書紀』を編纂する直前である。
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マケドニアの大王であるアレクサンダーの系譜は、ササン朝ペルシャではペルシャ王統譜に入っている。
ダーラーとはダリウスで、ペルシャの王族だけに許された名前である。
その吐火羅人が来た時代はちょうど天智がまだ中大兄皇子だった時代で、天武・持統が『古事記』『日本書紀』を編纂する直前である。
そしてそれらは神武東征譚にあまりによく似ている。
さらにアレクサンダーには羊の角をはやしていたという伝説があり、鳥船のような籠に乗って空を飛んだ伝承まである。
新羅の王子である敦賀のツヌガアラシトにも角があって、「つのがある人」という日本名を持ち、その「つぬが」が敦賀の地名を生む。この王子の新羅での呼び名が「ウシキアリシチカンチ」別名「ソナカ(蘇那渇(サンズイはない))シチだった。
一方アレクサンダーの本名はイスカンダ-ル(マンガ「宇宙戦艦ヤマト」はここからか?)。あだ名がズ-ル・カルナイン(二本の角を持つ王)である。中国はそれを漢字で「徂葛尼」と表記(『諸藩志』1215)。
一方アレクサンダーの本名はイスカンダ-ル(マンガ「宇宙戦艦ヤマト」はここからか?)。あだ名がズ-ル・カルナイン(二本の角を持つ王)である。中国はそれを漢字で「徂葛尼」と表記(『諸藩志』1215)。
「ソナカ」には朝鮮語で「牛が来る」という意味がある。「ウシキ=牛来」と同じ意味である。「カンチ」は「ハーン」で東北アジア共通の王の尊称。
■海幸山幸伝説もマレー版アレクサンダー譚にはある
■カラスに救われる大王と神武
■一旦敵地に向かいながらどちらも南へ迂回
■山の中でさまよい異人種に出会う
一覧表から抜粋した神武とアレクサンダーの類似点である。
■カラスに救われる大王と神武
■一旦敵地に向かいながらどちらも南へ迂回
■山の中でさまよい異人種に出会う
一覧表から抜粋した神武とアレクサンダーの類似点である。
このような類似は、記紀成立までに、まず誰かが聞いてくるか、誰かがやってくるかがあったか、聞き伝えで来たかしか考えられない。やはり海人族やシルクロード交易のおかげだろう。
ある意味、頭の固くなりがちな歴史家に想像力と笑顔をもたらす。
ある意味、頭の固くなりがちな歴史家に想像力と笑顔をもたらす。
ちょっとした気分転換にはふさわしいおはなし。
そして確かに誰かが来て、誰かが行ったのだろう。
それがはるかな中近東やユダヤやにいきなりつながるかどうかは人それぞれだろう。
自分はおそらく中国経由だろうと思う。海人の仕業である。
そして確かに誰かが来て、誰かが行ったのだろう。
それがはるかな中近東やユダヤやにいきなりつながるかどうかは人それぞれだろう。
自分はおそらく中国経由だろうと思う。海人の仕業である。
参考書 岡本健一「二つの東征伝説――神武天皇とアレクサンダー」『森浩一70の疑問 古代探求』1998所収 画像も
■神武東征説話とアレクサンダー東征伝承の対応