邪馬台国に振舞わされていると、3世紀は何も見えなくなる。
邪馬台国の女王が魏に朝貢した・・・ここからまずは嘘だったと思うべきである。
するとすべてが見えてくる。当時の東亜地域の政治状況が、である。
まず、これまでも言っていることだが、魏志倭人伝の道程が筑紫以後がめちゃくちゃである。正しく描かれているのは、松浦・伊都・奴國までで、あとはうやむやにしている。耳にした地名を適当に、南へ南へ向かうように誘導し、結局、かつての敵対国のあった長江河口部の真東に首都邪馬台国があると描く。
これだけでも嘘となぜ気がつかないのか、不思議でならない。
魏は成立したばかりで、呉・蜀を破ったばかりの新興国家。当然、東夷西蕃諸国に名前を売る、権威を見せ付けねばならない新参者だ。多少の見得は張らねばならぬ。それまで筑紫の小国家とたまにしかつきあいのなかった彼ら華北の人々が、邪馬台国などという、どこともとれるような「大和」の地方小国家との関係を持ったはずはなく、持ちたいと思っただけのことである。当時の大和地方ではでっかい墓作りにまい進し、それで田舎地方国家が国家としてのかっこうをつけるばかり。墓ばかり作っているヘテラルキー太古国家からやっと大陸的ヒエラルキー国家へと脱皮し、豪族たちが共闘できたばかり。だからこっちとしても魏・西晋の「朝貢依頼」は待ってました!である。
先ごろアメリカがキューバと国交回復したのと同じことを魏や西晋も紙上で望んだのである。
「書けば官軍」とこれを呼ぼう。
なにしろ周囲はまつろわぬ異民族、敗北した格好だけの呉越の敗残兵であふれた中国である。
倭人伝などまともに信じているのはおばかである。