古今東西、人間の行動には共通の行動原理がある。
それは洋の東西も、太古も今も、一貫しており、それらを要約していけば片手の屈指に収めることがが可能である。これに従えば、要するに古代史も現代史も通して一望することが可能になる。もちろん詳細部分の補足は時代ごとに必要ではあるが。それらの集約された姿が古代にはシンプルな形で表されていて、人類史のエッセンスであると言える。
織田信長がなぜあれほどまでに一向宗を敵視し、そこまでやるかというほどの虐殺をやったかの背景には、よく知られている単なる抵抗勢力撲滅意外に、彼自身の出自が一向宗によって席巻されていった越前(かつての古志国)にあり、織田家が越前から三河へ移住する要因が、東国武氏なら全部がそうであっただろう被差別の徒という出自の抹消という実に人間的な部分にあったのではないかと感じるのである。これは秀吉も家康も共通した人間的な、「出自の詐称行動」である。
その古志地方越前加賀に、なぜ一向宗や白山信仰が根付いたかと言えば、道元が越前国司であった波多野氏との縁故で加賀に道場を建設したのが始まりであろう。
波多野氏は伽耶を起点にする海人族倭人であろう。伽耶→壱岐対馬→筑紫→相模→丹波→越前
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