別所については過去、二件の記事を掲上している。
ここでもう一度別所地名を当たってみるのは、会員制に白山信仰と被差別についてをさきほど書いたからである。別所とはたとえば京都の大原や北白川や花背や八瀬などもそうで、奈良末期~平安に、蝦夷俘囚が入れられ陸封された被差別地帯であったことは、菊池山哉、柴田弘武、前田速夫らがすでに分析している。
Wiki別所によれば概略はこうである。
「別所(べっしょ)とは、菊池山哉によれば大和王権が蝦夷(えみし)を征服した際の戦争捕虜(俘囚)を古郷に3~4戸ずつ配置した集住地域を言う。歴史家菊池山哉の旧説であり、いまだ歴史学上の完全な定説となってはいない。本村の新田や枝郷とする解釈もある。しかし近年、柴田弘武によって本格的な再検討がなされつつある。柴田は更に約300ヶ所の別所を析出し、菊池の調査分と合わせて計約500ヶ所の別所を検討した結果、「菊池の説は動かし難いと思う」(『鉄と俘囚の古代史』)と述べている。」
菊池分析の論拠
※『日本の特殊部落』(東京史談会・1961年)による。ただし、現代の歴史学では否定されている事象を含むので要注意。
- 全国に200余ヶ所もの同名の地があるので、そこには何か「同じ性格」があるだろう。蝦夷の奥羽6カ国と、隼人の薩摩国と、「他国と異なり」と言われた飛騨国には無い。
- 山間僻地や丘陵に囲まれた地にある。(山間僻地で円仁(慈覚大師)による建立の伝承のあるところ、古い東光寺のあるところ、白山権現を鎮守としているところは別所の可能性がある。)
- 武蔵の足立郡・入間郡では『和名抄』所載の古郷に一ヶ所ずつ存在する。
- 西日本では国境・群界にある。
- 草分は2~3軒、多くとも4~5軒であり、名主もなく、明治維新の際に名字をつけた。
- 石棒を祀るところがあり、縄文時代とのつながりを思わせる。
- 1郡に1ヶ村位の割であり、勅願寺と伝えられるものや古い社寺があり、平安時代の古像も存在する。
- 近畿以東の鎮守は白山権現である。
- 「院内村」も別所と同じく「俘囚」の移配地である。
Wiki別所より
以下はかつてこのブログで調査した全国別所所在地一覧である。これらがすべて菊池の説に当てはまり、部落であったかどうかは、それぞれ当たってみる必要がある。当然、何事にも例外がある。また明治以降、別所地名が消え、地名が変わった土地も当然あるだろう。これらはあくまでも記事を書いた2010年でのものである。
さらに別所が菊池らの言うとおりの地名由来を持つかどうかにも諸説がある。
筆者も含めて、文科系学徒は、往々にして一事を万事と捉えてしまう傾向があるので(遺伝子学尾本恵一の言説に近いことが書いてある)、なにとぞ軽率にこれがすべてと決めつけることなきよう、願いたい。

参考文献
前田速夫『白山信仰の謎と被差別部落』河出書房新社 2013
菊池山哉『日本の特殊部落』(東京史談会・1961年)。 菊池山哉「別所とヱトリの問題」(1962年6月「日本上古史研究」66号)。 柴田弘武『鉄と俘囚の古代史』(彩流社・1989年)。 柴田弘武「蝦夷"征伐"の真相」(1996年8月「月刊状況と主体」248号)。 塩見鮮一郎「部落の歴史あれこれ(25)別所と蝦夷」(2000年6月「ヒューマンライツ」147号)。
尾本恵一の正確な言説では
文科系の人たちは、科学の析がそうではないとなったら、じゃあそれはダメだと、すぐに決めたがる・・・。とある。つまりおっちょこちょいが文系には多いということらしい。確かに。