『契丹古伝』浜名寛祐=著
「日露戦争中の明治38年、鴨緑江軍の兵站経理部長として奉天郊外のラマ教寺院に駐屯中の浜名寛祐は、広部精という博識の軍人から奇妙な巻物を見せられた。もとはある古陵墓より出土した秘物であり、兵禍をおそれて移動したのちに、同寺院に厳重に保管するべく託されたものであるという。これを書写した浜名寛祐は十年の歳月をかけて研究し、日韓古語の研究からその解読に成功し、大正15年に『契丹古伝』(日韓正宗遡源)を発表した。本書はその復刻である。
『契丹古伝』は、10世紀に東丹国(契丹の分国)の耶律羽之によって撰録された漢文体の史書で、『耶馬駘記』『氏質都札』『西征頌疏』『神統志』『辰殷大記』『洲鮮記』など、幻の渤海史料によって構成されていた。そのため固有名詞の音借表記が契丹音によるべきか、渤海音によるべきか同定が困難であったが、古代日本語による解読を許容すると推定される部分もあり、古代においては東アジア全域に共通する言語圏が存在したことが想定される。
浜名によれば、『契丹古伝』はスサノオ尊と同定しうる神祖がコマカケとよばれる天の使いである鶏に乗って、聖地・白頭山に降臨したという神話を核心とし、シウカラ(東大神族)とよばれたその末裔たちが韓・満洲・日本の3大民族の祖として大陸に雄飛したことを伝える。
古代中国の尭・舜・殷はこのシウカラ系の国家であったが、「海漠象変」と表現される天変地異とともにシウカラ族は没落し、西族(漢民族)によって中原を追われる。
『契丹古伝』によれば、のちに東夷とよばれるようになる日・韓・満民族こそが中国大陸に超古代王朝を築いた先住民であり、契丹王朝もその末裔であった。また『契丹古伝』は、本州と九州がかつては陸続きであったが人工的に開削されて海峡となったことや、ゴビ砂漠にはニレワタとよばれる幻の湖があったことなど、超古代の地形の変遷についても特異な伝承を伝える。
さらに満洲にオロチ族とよばれる呪術をよくする異民族がいたことを伝えるが、これは『上津文』に登場するオルシ族ではないかと思われる。また鳥人・熊襲族が沖縄・南韓へ侵入したという記述や、匈奴・扶余・高句麗などの騎馬民族国家の成立、倭国と古韓国との交流、馬韓にあった邪馬台国の伝説など、環日本海文明の存在を伝えるきわめて貴重な伝承の宝庫として、今後の再評価が大いに待たれる異色の超古代文献である。
なお、スサノオが大陸を経綸した霊的消息については「霊界物語」にも伝えられ、王仁三郎の入蒙問題とも関連して注目されるところである。」
契丹人
古代史原論 田中勝也/著 『契丹古伝』と太陽女神
「数十年後、濱名が原本の写真撮影を試み再び黄寺を訪ねた時は、すでに原本はなかったという。現在もその行方は不明で、濱名写本も広部写本も行方が分からないらしい。『契丹古伝』自体は、10世紀初頭に成立した契丹国の耶律羽之が、941年に撰録したものとされる。契丹族は内蒙古シラムレン河畔にいたモンゴル系遊牧民であるが、916年、太祖耶律阿保機が皇帝となり、周辺の諸族を併呑し、渤海国を滅ぼし、北方大帝国を形成し、国号を「遼」と称した。
契丹は渤海国を支配し、耶律阿保機の長子耶律倍が王位につき、東丹国とした。『契丹古伝』撰録の経緯は、太祖が東閣に登り、太陽を拝すると、朱色の鶏が飛来し城郭の上を飛んだ。太祖はその行方を探索させたが、みつからなかった。ふたたび朱鶏が顕れ、その行方を追うと近くの山で霊石を得た。太祖はこれを喜び、「わが先祖は神祖奇契丹燕より出たもので、いわゆる炎帝である。五原の地を回復せずんばご先祖さまにあわせる顔がない」と言って、神廟を建てて自らこの霊石を奉斎した。
耶律羽之は『秘府録』『費弥国氏洲鑑』『神統誌』『辰殷大記』『耶摩駘記』『洲鮮記』などの諸書を参考にしている。これらの古伝の多くは旧渤海国系のものと推定され、契丹古伝中の固有名詞の音借表記は契丹音なのか渤海音なのか音価の同定が著しく困難であるが、日本古語による解読を許容すると推定される部分がかなりあり、濱名もそこに注目した。
太古に日孫(神祖)が鶏に乗って長白山に降臨し、中国五原に広がり分拠した。堯・舜・殷すべて東大神族系であったが、「海漠象変」といわれる天変地変のために西族が侵入、やがて周が起こり、殷は滅ぶ。武伯・智準の二大勢力は股の一族を奉じて国を保つが、戦国時代になり秦や燕に圧迫を受け、朝鮮半島に退却するが、その後、満州の地に「辰殷」として再興する。しかしこれも秦に圧迫された燕人・衛満に滅ぼされ、「辰韓」の地に奔る。いわゆる「辰王朝」である。
高句麗が滅んだのち、ツングース系の靺鞨の王祚栄が高句麗の遺民とともに朝鮮半島北部から満州・沿海州におよぶ渤海国を建てる。渤海国は振、震とも称したが、これを「辰」を継承したもの理解するならば、渤海を滅ぼした契丹は、渤海の伝承を骨格に契丹古伝を編纂し、中国史も一目置く「辰」につながる王権を主張したと言われる。
契丹の祖神・奇契丹燕は、「耆麟馭叡」という神格の別称とされ、耆麟馭叡阿解は、神祖の子であるが生まれつき頭上に刃角を有する異相であり、長白山を治めるよう命じられ、山神となり禁呪二十四法を制した。つまりは、「曹麟駆叡」は東大神族の至上の聖地を守る神であり、その末蕎である契丹族もまたその聖地によって東大神族を再興すべき民族であるという主張がある。
長白山は韓民族の祖とされる檀君降臨の聖地である。異相の神耆麟馭叡は牛頭天王を連想させ、この伝承はスサノオ・檀君説を背景に読めば、非常に興味深い。スサノオを名乗る出口王仁三郎の入蒙はこの書刊行の五年前、大正10年。『契丹古伝』中の固有名詞は倭語で解釈できるところが多いらしい。
この書は「新装増補版」で血統幻想に支えられた天皇氏の源流を辿る。正直言ってもうひとつわからない部分が多い。しかし、この著者の基本姿勢には全く反対する気がない。というのは、ほとんど偏見や予断がないと思うからである。最後の捕逸に著者の真摯な姿勢を見ることができる。なかなか評することが難しいので以下目次を掲げる。」
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古代史原論[『契丹古伝』と太陽女神]*目次
はじめに 1
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第一部 太陽女神と鶏祖の国
一章 太陽女神の誕生 10
二章 『契丹古伝』と辰の時代 43
三章 辰の天孫伝説 79
四章 新羅の鶏祖伝説 85
五章 古俗の守護者・契丹 100
六章 辰系女尊国家 107
七章 辰とは何か 115
八章 チベット系六祖伝説 120
九章 偏頭の奇習 130
十章 インドの日祖伝説 137
十一章 モソの鶏祖伝説 145
十二章 王号・辰??翅報 154
十三章 辰の民族構成 161
第二部 天皇氏の源流
十四章 失われた太陽神???カカシ 170
十五章 失われた太陽神???火の御子 200
十六章 失われた太陽神???サルタヒコ 216
十七章 アマテラスの原像??A辰の日神 236
十八章 アマテラスの原像??B 日置 254
十九章 伊勢神の成立 282
二十章 倭の母系伝承 294
二十一章 天皇氏とチベット 316
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おわりに 344
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参考文献一覧 347
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補 遺 358
推理小説で表現するなら本格ではなく、変格ものである。
本格的な歴史推理の本道からやや離れたファンタジーであるが、中には少数民族の貴重な伝承などがあり、カルトではあるが部分的にヒントが転がっているのはほかのカルト史書と同じである。原文というSTAP細胞がないので、学者が扱えない、夢物語と思いつつ、寝転がって頭を切り替えるにはよい書物だろう。
ミャオは自らをミャオとは言わず、モィという、などは世界の少数民族にありがちなことである。アイヌも自分をアイヌとは言わないわけだ。
巫女王や太陽信仰が海洋民族のオリジナルであったことはつとに知られるようになったが、民俗学者や文化人類学者はかつてそれを照葉樹林鯛文化などと言って、江南から西日本の共通文化であるとしてきた。
つまり日本人のルーツがそこにあるというわけである。
日本人のルーツというのは、しかし江南だけではないことは、遺伝子額や考古学が証明している。ただ、日本文化の基層にある縄文文化は、確かに最適サーマル時代に何度も日本にやってきており、それが江南ダイレクトと半島経由と、そしてインドシナ~南太平洋の島嶼経由の三つのルートで、何度も入っていることは否めない。
日本語の起源についても、日本がオースロネシア島国の北辺のひとつであり、また大陸の二石アジアからやってくるシルクロードの東辺であることからも、両者のミックス・クロスオーバーがこの列島で起きていることは明白である。
カスピ海・地中海から東へ向かえば、行き着くところが日本列島である。
そもそも日本人の起源をひとつだと考えることは間違っている。そういう最果ての行き着くところであった限り、末端の列島で、それらが融合することは自然の摂理なのである。
海の道、シルクロード、海のシルクロードのラインを地図上に描けば、線分は日本という島国に集まるのであるから、そこで文化の集積が起こるのは当たり前である。
縄文は一万数千年もの時間があり環境もいろいろと変化してきたし、弥生もまた一種類の渡来では終わらない。
契丹やらウイグルやらスキタイやらモンゴルやらの移動する人々もいくらかやってくるのは当然なのである。そして列島の南北からそれらが出会う場所は、交差する場所、至便な場所、中心に位置する場所である。これも必然である。
東や北からやってきた北方文化が、西や南からやってきた南方文化と出会い、ぶつかり、淘汰されてヤマトの文化も花開くと考えるのが地理学的なふつうの見方ではないか?
しかるにヤマトの歴史学はいつまでたってもヤマトを中心にして考えられてきた。そこの日本の歴史認識の世界とのずれが生じたことは間違いない。ヤマト中心史学が世界から見れば右であることは当たり前である。そしてそれを筑紫に置き換えたところで、ヤマト民族至上主義には大差がないわけである。
何度ごめんねと言っても許さない国があるのなら、はやいとこ行って、千回ごめんねと云えばよかろうものを、ぐずぐずと、いつまでたっても侵略はなかったなどと繰言を言うのもいいかげんにせい、なのではないか?相手にも言っておくが沖縄がほしけりゃ戦うしかないのかとも云える。話し合って買えばいいじゃないか。そもそも当人たちが日本ではないと考えているような島ならだがね。
契丹というのは「キタイ」と読み、そのままスキタイ民族国家だということであろう。
今の中国北方にはウイグルや契丹や西夏などのいわゆる「草原の国家」があり、みな何万年も前からステップロードを馬やラクダで右往左往してきた。騎馬遊牧民であり、今の漢民族や新羅系朝鮮人にも血脈は受け継がれているのである。日本のような海洋民族・倭族を中心とする中では差別される北方縄文人・蝦夷の先祖なのであろう。先祖なのに差別される民族は世界中にあるが、なにより差別の根源にどかんと存在するのは、彼らがその地域で敗北したか、異形の・異民族で・邪宗のやからであったからである。つまりヤマト以西にはそうした差別する伝統があったということになろう。それが今の学問にまだ影響していることになろう。
まことに三つ子の魂百までである。百どころか十万年の差別である。
差別されれば当然、過大な自意識を被差別者は作り出すこととなる。古伝というものはそうした自意識過剰な表現で書かれるのでうそも八百存在するが、きらり真実もゼロではないはずである。そういうふところの深さは、実は官僚主義権威主義学界がもっとも嫌うところでもあるのだ。ってことはお忘れなく。
変格は変格なりの楽しみ方がある。そのためにはまずは本格を極めておく必要があるでしょ?
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