焼畑の呼称と地名 「日本の各地には、それぞれの名で呼ばれる山の耕作地があって、それらすべてを総称して名付けた呼称が「焼畑」である。従って全国には、焼畑または焼畑耕作地を表したさまざまな呼称とそれにもとづいてつけられた地名が多く残っている。
青森や秋田・岩手の地方ではアラキ、東日本ではノバ、アラク、カノ、カノウ、サス、ソウリ、ナギハタ、ムツジ・・・ 西日本ではキリハタ、ニシメ・・ 九州に多く見られるのはコバ、アラマキ、カンノ、キーノ・・などじつに様々である。同様に、焼畑に関する地名も各地に見ることが出来る。
以下はその一部で、青森、秋田、岩手など北東北のアラキ(荒起)、東北、関東のアラク(荒久、新久)、各地に分布しているカノ(刈野、鹿野、狩野、加野、神野、蚊野、軽野)をはじめ九州に多いコバ(木場、古庭、小場)、アラマキ(荒巻、荒牧、荒蒔)などである。手近にある郵便番号簿をざっとめくってみただけでも、各地に実在する焼畑に関係する地名があって興味深いものがある。(下記以外にも見つけることが出来たがここでは割愛した。)
「岩手(下閉伊郡)鼠入」、「富山(平村)夏焼」、「岐阜(下呂町)火打 夏焼」、「三重(菰野町)切畑 (宮川村)小切畑」、「京都(網野町)切畑」、「大阪(豊能町)切畑」、「和歌山(本宮町)切畑」、「佐賀(富士町)古場」、「長崎(長崎市)(平戸市)(福江市)木場町」、「熊本(菊池市)(玉東町)木庭」、「鹿児島(栗野町)木場」などと広く分布している。
農業の伝播
3.焼畑の作物
「焼畑の主な作物」
代表的な焼畑の作物
ソバ・アワ・ヒエ 豆類:大豆・小豆 トウキビ
里芋・カライモ コンニャク
大根・カブ ミツマタ(和紙の原料)
http://www10.ocn.ne.jp/~sobakiri/yakibata.html
代表的な焼畑の作物
ソバ・アワ・ヒエ 豆類:大豆・小豆 トウキビ
里芋・カライモ コンニャク
大根・カブ ミツマタ(和紙の原料)
http://www10.ocn.ne.jp/~sobakiri/yakibata.html
「木場」と焼畑地名
「ソリ・ゾリ・ソレ・ノバ・サス」なども焼畑特有の地名である。いくつかの地名を挙げよう。佐賀県伊万里市平沢良(ひらぞうら)、熊本県天草市火打木場、山口市夏焼、愛知県豊田市御内蔵連、長野県上松町焼笹、富山県平村夏焼、三重県宮川村切畑、岐阜県高山市火山、下呂市焼石・火打・夏焼、東白川村捨薙山・無反(それ)山、白川町柿反、揖斐川町大草履(ぞうり)、八百津町赤薙、中津川市夏焼・権四薙(ごんしなぎ)、恵那市焼山 愛媛県愛南町猿鳴(サルナキ) 宇和島市津島町鼠鳴 岡山県奈義町に聳える那岐山1240mは焼畑地名かもしれない。長野県南木曽町柿其(かきぞれ)峠の「ぞれ」は、急な上り坂が続く峠の崩れやすい地形をあらわしている。」
http://baba72885.exblog.jp/9814270/
「ソリ・ゾリ・ソレ・ノバ・サス」なども焼畑特有の地名である。いくつかの地名を挙げよう。佐賀県伊万里市平沢良(ひらぞうら)、熊本県天草市火打木場、山口市夏焼、愛知県豊田市御内蔵連、長野県上松町焼笹、富山県平村夏焼、三重県宮川村切畑、岐阜県高山市火山、下呂市焼石・火打・夏焼、東白川村捨薙山・無反(それ)山、白川町柿反、揖斐川町大草履(ぞうり)、八百津町赤薙、中津川市夏焼・権四薙(ごんしなぎ)、恵那市焼山 愛媛県愛南町猿鳴(サルナキ) 宇和島市津島町鼠鳴 岡山県奈義町に聳える那岐山1240mは焼畑地名かもしれない。長野県南木曽町柿其(かきぞれ)峠の「ぞれ」は、急な上り坂が続く峠の崩れやすい地形をあらわしている。」
http://baba72885.exblog.jp/9814270/
「福井 (1983:239) によれば、「ある土地の現存植生を伐採・焼却等の方法を用いることによって整地し、作物栽培を短期間おこなった後、放棄し、自然の遷移によってその土地を回復させる休閑期間をへて再度利用する、循環的な農耕である」と定義される[2]。
焼畑にはいくつかの機能があると指摘されている。火を使うことについては
1.熱帯の土壌はやせて酸性のラトソルが主体のため、作物の栽培に適していない。そこで熱帯雨林に火を付けて開拓することで、灰が中和剤や肥料となり、土壌が改良される。
2.焼土することで、土壌の窒素組成が変化し、土壌が改良される[3]。
3.熱による種子や腋芽の休眠覚醒
4.雑草、害虫、病原体の防除
また十分な休耕期間は遷移途中に繁茂する多年生草本がなくなるので、この除去の手間がはぶけるなど省力な農業であるという。
基本的に灌漑を利用しない天水農業である。また、広域の山林における人間活動が、野生動物の里地への侵入を低下させる可能性も指摘されている。
ここで、キャッサバ、ヤムイモ、タロイモなど根菜類、あるいは、モロコシなどを栽培して主食とする。
かつては日本でも山間地を中心に行われ、秩父地方では「サス」、奥羽地方では「カノ」、飛騨地方では「ナギ」など種々の地方名で呼ばれてきた[1]。しかし、近年急速に衰退し、宮崎県椎葉村、山形県鶴岡市などに限られている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E7%95%91%E8%BE%B2%E6%A5%AD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E7%95%91%E8%BE%B2%E6%A5%AD
焼畑と環境破壊
「焼畑農業には、賛否が渦巻いている。
「焼畑農業には、賛否が渦巻いている。
古来の焼畑というものは、環境に害を与えるよりも、むしろ環境を改善するのに一役買っていた。
森を焼くことで、病害虫などを殺菌でき、燃えた灰は肥料分となり、土壌を改良してくれる。
生態系という観点から見ても、焼畑で一度リセットすることにより、生物の多様性が増すという利点がある。
焼畑が問題となるのは、そのペースである。
古来の焼畑は、充分な休閑期がもうけられていた。作物を3~5年栽培したら、10~20年は休ませる。
ところが、工業ペースに踊らされた農業では、それほど悠長に構えていてはオマンマが食えなくなる。
産業革命に引っ張られるように、焼畑もペースアップしてゆく(農業には革命が起こっていないにも関わらず)。」
http://eikojuku.seesaa.net/article/211589662.html
http://eikojuku.seesaa.net/article/211589662.html
サス、サシは古代~近世においてなんらの環境問題にも影響はなかった。
しかし、近代以後、世界のどの地域でも、効率を高めるためさまざまの環境問題を引き起こすとされてしまった。
焼畑農業がなぜ、伊豆諸島などに始められたかは、よくわかっていない。そもそも漁業を中心としてはずの島人が、なぜ畑作にも関心を示したか?それはもちろん島嶼の中で「真水が湧かない」ことに起因する。本来なら漁師たちは稲作水田の民であるはずが、真水がないために天水畑作に頼るしかなかった。
島人がすべて、海に頼って生きてきたわけではなかった。
伊豆諸島でも、魚介だけでは生きてはいけなかったのだ。
焼畑は縄文時代から始まっている。
それをいったい誰が持ち込んだかは、実はまったく不明である。
Kawakatu’s HP 渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳
http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U
デジブック作品集http://www.digibook.net/?entrycode=openAuthorDigiBookList&companyuuid=a09029c91b6135a0ab4fbd77295016a8&pageno=1
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳
http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U
デジブック作品集http://www.digibook.net/?entrycode=openAuthorDigiBookList&companyuuid=a09029c91b6135a0ab4fbd77295016a8&pageno=1