最近こういう論文が中国人学者から出ている。まずはお読みいただきたい。
日本という国があってよかった、中国は幸せだ!―中国ネット
「21日、中国の作家で文学博士の陳希我氏が書いた「日本の存在は、中国にとって大きな幸せだ」と題した記事が、中国のブログサイト・網易博客に掲載されている。資料写真。
21日、中国の作家で文学博士の陳希我氏が書いた「日本の存在は、中国にとって大きな幸せだ」と題した記事が、中国のブログサイト・網易博客に掲載されている。
2014年8月21日、中国の作家で文学博士の陳希我(チェン・シーウォー)氏が書いた「日本の存在は、中国にとって大きな幸せだ」と題した記事が、中国のブログサイト・網易博客に掲載されている。以下はその内容。
「日本はいい国?悪い国?」という質問ほど幼稚なものはない。「悪い国だ」と言えば、相手は安心する。だが、「いい国だ」と答えれば、相手の顔色が変わる。中国では親日派=売国奴なのだ。
「日本は昔の恩を忘れて中国を侵略した」と中国人は考える。中国人は歴史的角度からでしか日本を見ることができない。例えば「日本の文化は中国に由来する」と中国人は主張するが、日本の良いところは「中国から来た」と言い、悪いところは「日本独自のもの」と主張するのだ。
田中角栄の国交回復以来、日本は相当な援助を中国には提供してきた。日本から見れば今の習体制の日本バッシングは、「飼い犬に手を噛まれた」と見えているだろう。だがこの考え方や中華思想の誤った復活は、それ以前、周恩来以来の中国共産党の念願でもあったのである。要するに日本政府はいいように利用されたのだ。
さて、中華史の2はまず漢から始める。ざっと流してしまおう。今回大事なのは隋・唐である。
中国の古代史は漢以前に、長江文明、黄河文明の諸国から始まるわけだが、直接日本と関係が始まったと考えられるのは後漢の2世紀あたりから。もちろんそれもヤマトから見てそうだったのであり、考古学的視野で見るとすでに紀元前の前漢の鏡が九州から出てくるし、縄文後期から弥生、古墳時代に、すでに沖縄~九州五島~朝鮮の諸島を経て山東半島というタカラガイ貿易がはっきりと存在が証明できる。当初の日本と中華の関係は九州の王権に始まると見てよい。それは主として倭人=海人族による交易である。
中国古代史のおおまかな流れ
長江文明
玉蟾岩遺跡…湖南省(長江中流)。紀元前14000年? - 紀元前12000年?の稲モミが見つかっているが、栽培したものかは確定できない。
仙人洞・呂桶環遺跡…江西省(長江中流)。紀元前12000年ごろ?の栽培した稲が見つかっており、それまで他から伝播してきたと考えられていた中国の農耕が中国独自でかつ最も古いものの一つだと確かめられた。
彭頭山文化…湖南省(長江中流)。紀元前7000年? - 紀元前5000年?。散播農法が行われており、中国における最古の水稲とされる。
大渓文化…四川省(長江上流)。紀元前4500年? - 紀元前3300年?。彩文紅陶(紋様を付けた紅い土器)が特徴で、後期には黒陶・灰陶が登場。灌漑農法が確立され、住居地が水の補給のための水辺から大規模に農耕を行う事の出来る平野部へ移動した。
屈家嶺文化…湖北省。紀元前3000年? - 紀元前2500年?大渓文化を引き継いで、ろくろを使用した黒陶が特徴。河南地方の黄河文明にも影響を与えたと考えられる。
石家河文化…屈家嶺文化から発展し、湖北省天門県石家河に大規模な都城を作った紀元前2500年頃を境として屈家嶺と区別する。この都城は南北1.3Km、東西1.1Kmという大きさで、上述の黄河流域の部族と抗争したのはこの頃と考えられる。
河姆渡文化 …紀元前5000年? - 紀元前4000年?下流域では最古の稲作。狩猟や漁労も合わせて行われ、ブタの家畜化なども行われた。
良渚文化…浙江省(銭塘江流域)。紀元前5260年? - 紀元前4200年?(以前は文化形態から大汶口文化中期ごろにはじまったとされていたが、1977年出土木材の年輪分析で改められた)青銅器以前の文明。多数の玉器の他に、絹が出土している。分業や階層化も行われたと見られ、殉死者を伴う墓が発見されている。黄河文明の山東竜山文化とは相互に関係があったと見られ、同時期に衰退したことは何らかの共通の原因があると見られている。
三星堆遺跡…紀元前2600年? - 紀元前850年?。大量の青銅器が出土し、前述の他に目が飛び出た仮面・縦目の仮面・黄金の杖などがあり、また子安貝や象牙なども集められており、権力の階層があったことがうかがい知れる。青銅器については原始的な部分が無いままに高度な青銅器を作っているため他の地域、おそらくは黄河流域からの技術の流入と考えられる。長江文明と同じく文字は発見されていないが、「巴蜀文字」と呼ばれる文字らしきものがあり、一部にこれをインダス文字と結びつける説もある。
黄河文明
裴李崗文化…紀元前7000?~紀元前5000?。一般的な「新石器時代」のはじまり。定住し、農業も行われていた。河南省(黄河中流)。土器は赤褐色
老官台文化…紀元前6000?~紀元前5000?。土器作りや粟作りが行われていた。陝西省(黄河上流)。土器は赤色。
北辛文化…紀元前6000?~紀元前5000?。土器は黄褐色。山東省(黄河下流)
磁山文化…紀元前6000?~紀元前5000?。土器は赤褐色。河北省(黄河下流)
仰韶文化…紀元前4800?~紀元前2500?。前期黄河文明における最大の文化。陝西省から河南省にかけて存在。このころは母系社会で、農村の階層化も始まった。文化後期になると、社会の階層化、分業化が進み、マルクス経済学でいうところの原始共産制は仰韶文化のころに終焉したと見られる。土器は赤色。
後岡文化…紀元前5000?~紀元前4000?。北辛文化が発展。河南省。
大汶口文化…紀元前4300?~紀元前2400?。土器は前期は赤色(彩陶)、後期は黒色(黒陶)。なお、この区分は黄河文明全体に見られる。山東省。
馬家窯文化…紀元前3100?~紀元前2700?。彩陶中心。仰韶文化が西へ伝播し発展した。甘粛省。
龍山文化…紀元前2500?~紀元前2000?。大汶口文化から発展。後期黄河文明最大の文化。土器は黒色(黒陶)。山東省。
喇家遺跡…紀元前2000年頃の遺跡。水害で埋まり、麺類や楽器などが発見された。青海省。
二里頭文化…紀元前2000?~紀元前1600?。遺跡の中心部には二つの宮殿がある。河南省。
夏
史記では伝説と目される三皇五帝時代に続いて夏[† 2]王朝について記述されている。夏については実在が確かでなくまた定説もない。
殷
(代表的な遺跡殷墟が有名であるため日本では一般に殷と呼ばれるが、商の地が殷王朝の故郷とされており、商が自称であるという説もあるため、中国では商と呼ぶほうが一般的である。殷商とも呼ぶ。)が実在の確認されている最古の王朝である。
周
紀元前11世紀頃に殷を滅ぼした
周は、各地の有力者や王族を諸侯として封建制をおこなった。しかし、周王朝は徐々に弱体化し、異民族に攻められ、紀元前770年には成周へ遷都した
春秋戦国時代
春秋
諸子百家
戦国 晋の分裂以後
秦漢帝国・・・
Wiki中国の歴史より
そして三国時代
魏すぐに司馬氏西晋、そしてまたまた大混乱の五胡十六国を経て東晋。
これもすぐだめになって第一期南北朝時代。そしてようやく南朝宋の時代となって倭五王が朝貢したのがもう5世紀である。
前漢も後漢もその時代は中華史の中ではまれに長期政権だったが、それは気候が温暖な時代だったからだと言ってかまうまい。その証拠にどちらも滅亡するのは天候不順によって国内農民の不満が噴出したからである。前漢は「赤眉軍の乱」で、後漢は「黄巾の乱」が直接的要因で、数百年の歴史を閉じた。特に後漢滅亡の原因である「黄巾の乱」は、匈奴の侵犯や気候の不順によった農民たちの不安が、太平道の教祖張角の五斗米道(ごとべいどう)信仰を増幅させ後漢はあっけなく幕を閉じた。要するに古代神仙思想を基軸にした「鬼道」である。
その後、華北、東北部には北魏が登場。倭にとっては縄文以来のえにしのあった南朝・・・江南との決別を考えねばならなくなったと言える。
漢という固有名詞は元々は長江の支流である漢水に由来する名称であり、本来は劉邦がその根拠地とした漢中という一地方をさす言葉に過ぎなかったが、劉邦が天下統一し支配が約400年に及んだことから、中国全土・中国人・中国文化そのものを指す言葉になった(例:「漢字」)。
そのほとんどの時代は戦乱と大旱魃で翻弄される。
南朝宋時代も数十年で終わる。漢~中世中華で重要な政治キーワードは
1 封禅による王位
2 冊封(さくほう)体制
3 11世紀澶淵の盟以後の多数国家共存方式によった専守防衛の中華思想
への変化。
さらに外敵である匈奴・契丹・西域・南越などとの排他的・集団的防衛権確立のためのストラグル(内部闘争)である。
そのすべての基盤は地球環境の激烈さにある。
要するに中華は自己を防衛するための歴史に終始してきた。4000年以上。
倭人も韓民族も常にこれに翻弄されてきた。チベットもベトナムも南沙諸島も、台湾エイ州も、琉球もみなそうだ。中華の独善的排他的防衛権主張閉じこもり政治のために、多大なる迷惑をこうむってきた。
邪馬台国時代には中心地を近畿に移すわけだが、その理由は3世紀国内での東海系土器の南下拡散を見てもわかるように寒冷化、乾燥化によった民族の移動と、九州玄界灘における大陸動向への大いなる不安があったことは間違いないだろう。東海地方の気象史でも、3世紀前後は非常に天候不順であったことが見て取れる。
このように歴史はまず地球環境の激烈な変化に翻弄されるステップロード地域の荒廃と南下侵略に始まる。古くは黄河文明の長江文明侵入も寒冷化のせいである。
次回、いよいよメイン記事となる隋・唐時代。蘇我氏の謎に関わる時代。